第一話 女神のカメオ⑧



 独りでに閉まる扉を、匡士はぼうぜんと眺めた。

 衿朱と違って近隣では見た事がない制服だから、全国の学校を捜査範囲に入れなければならない。SNSの運営会社に情報開示を求めて地域を絞り、防犯カメラの映像を元に学校を特定する事は出来るだろう。

 しかし、時間が掛かる。辿たどり着くまでに売却されない保証はない。個人間で売買を成立させる仕組みはいくらでもあるのだ。

 匡士の苦悩にブーイングを鳴らすように、テーブルに置いたスマートフォンがガタガタと耳障りな音を立てる。画面に表示された発信者は『黒川凪』。

 有益な成果が上がっていないのは、黒川の第一声で明らかだった。

「そっちはどうだ?」

 トーンが低い。疲労が電波すら重くするようだ。

「行き詰まった所です。そちらは?」

「皆無だ。買い取りを断られての他店に行ったのではと隣県まで捜査範囲を広げたが、何奴どいつ此奴こいつも店の記録にはないとしか言わん」

「売買をしてないから記録に残ってないんでしょう」

「だとしても、噂も出ないのは警察をめ腐ってるとしか思えない。柳にシャドウボクシングする方がまだ実りがある」

「信用商売のかがみですね」

 口の堅さは信頼の厚さに直結する。明確に犯罪と示せなければ、警察より客に重きを置かれるのだろう。

「盗まれたカメオと全く同じデザインのカメオを売りたがってる高校生……目的が分かれば手も打てるんだが。現場を洗い直すかそれとも」

 黒川のぼやきが不格好なノイズに切断されて、匡士はスマートフォンを耳から離した。通話の終了と前後した独白だったらしい。

 応接室を出ると、明かり取りの窓の下で陽人が微笑む。

「先輩、僕にして欲しい事ある?」

 逆光でくらんだ視覚に記憶がちらついた。

 彼と出会ったのは、百日紅さるすべりの花が鈴なりに咲く高校二年の夏休み明け。

『私、一年のアマミヤ君が好きなの』

 匡士はクラスメイトの前で玉砕した。

 最悪なのは、自分で告白していない事だ。匡士の中ではまだ芽吹く前の恋心であり、先にはぐくむのは友情であろうと思っている段階で、フットワークの軽い友人が良かれと口を滑らせたのが原因だった。

 あれから九年。

 友人付き合いが続いているのは、ひとえに雨宮陽人が信頼に足る人物だからだ。

 使えと言うなら、思う存分、頼らせてもらおうではないか。

 匡士は腹の底の方が期待に躍るのを感じた。

「陽人。同業者から、女神のカメオに関する情報を集めてもらいたい」

「了解」

 陽人が答えて店に移動する。すぐに社交的なあいさつが聞こえて、尋ねては礼を言って電話を切る流れが五度くり返された。

 六度目。段々と雲行きに不安を覚えてくる。匡士が気紛らわしに階段で踏み台昇降運動をしていると、軽い足音が下りて来て、踊り場から冷淡な視線を投げた。

「何してるの?」

「海星」

 まだ寝ていたのだろうか。海星は上下揃いの部屋着に、肩からブランケットを掛けている。

 彼は開いた扉から店の方をのぞいて、陽人の姿を確認した。

「電話?」

「同業者にいて欲しい事があったんだが、よく考えると同業者って競合相手だろ。そう易々と手の内を明かさないよな」

「大丈夫だよ」

 海星があまりにあっさりと言うので、匡士は反応しそびれてしまった。海星がつまらなそうに欠伸あくびをする。

「兄さんが誰かに嫌われるとこ、想像も出来ない」

びい……と言いたいが、おおむね同意だ」

「だろ」

 海星がブランケットごと階段に腰かけて、ひざほおづえを突いた。

「本当ですか? ありがとうございます」

 弾んだ声が場を明るくする。陽人はその通話が終わるなり、受話器を持ったまま二人の元に戻って来た。

「アフロディーテのカメオの鑑定依頼を受けた店があった。台座の特徴からも、同じデザインで間違いないと思う」

「あの高校生か!」

 気が逸って匡士は身を乗り出した。が、陽人は左右に首を振る。

「二十歳くらいの大学生だったみたい」

「は、誰だ? いや、警察の聞き込みではそんな話ひとつも出てきてないぞ」

「妙な話は他にもある」

 陽人が不穏な前置きをする。

「鑑定依頼に来たのは一週間前。一目でおもちゃだと分かって買い取らなかったのだけれど、客は安心した様子で礼を言って帰ったらしい」

「安心って何に……」

 陽人が肩をすくめる。匡士が混乱する視界の端で、海星がまばたきを一度だけ。

「金庫に閉じ込めておくからだ」

 と、またつまらなそうに独りごちた。

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