第一話 女神のカメオ⑦



 成人男性二人と高校生の組み合わせが目撃されると、双方にとって不利益しかない。匡士はリスクをタクシー運転手一人に収束させて、場所を雨宮こつとう店に移した。

 警察署が誰にとっても安全だが、警察署にいる姿を誰にも見られたくないという高校生の訴えを聞いた結果である。

「どうぞー」

 陽人がペットボトルを匡士と高校生の前に置いて、開け放した扉をドアストッパーで留める。

「録画させてもらうけど、俺しか映さないし、捜査記録以外には使わないから」

 言いながら、カメラを起動するのは匡士自身の身を守る為でもあった。後から高校生に訴えられたとしても潔白の証明が出来る準備をしておかなければならない。

「バイト先に来るなんて最悪」

 高校生が親指の爪を前歯に当てる。今日はネイルを落として化粧も薄い。

「名前を聞いてもいいかな」

「知らない訳ある?」

「ないなあ。うええりさん」

 衿朱が舌打ちの形に顔をしかめた。

 ちなみに、盗難届を出した被害者はなみ家という。上田家との血縁関係を調べるには時間が足りなかった。事情次第では血縁がないとも限らない。

「警察って顔だけで身元特定出来るの?」

「内部機密です」

きつしよ

 ののしられてまで隠すほど高度なアルゴリズムがあれば、血縁関係もそうざらいにしている。匡士が彼女を捜し出した方法は地道な捜査と幸運頼りだった。

 制服から高校と学年を特定して、近隣のコンビニエンスストアを当たり、同校生徒のアルバイトから話を聞く。特徴を伝えた二人目の心当たりは空振りだったが、四人目が運良く衿朱の同級生でバイト先を教えてもらう事が出来た。

「古着屋で服を売るのと同じだろ。どうして警察が出しゃばる訳?」

「君こそ、警察を見て逃げるのはやましい証拠では?」

「…………」

 沈黙が不都合を語る。

 匡士はポケットから四つ折りの紙を抜き出した。

「ある民家に空き巣が入った。盗まれたのは女神のカメオ」

 紙を広げて二本のペットボトルの中間に置く。ミーティングルームのホワイトボードに貼られていた写真だ。

 衿朱が紙から目をらした。

「似てるだけでしょ」

「それを証明する為に、君にブローチを譲ったお祖母様の氏名を聞かせて欲しい」

「嫌」

「じゃあ、警察の監督下でもう一度、鑑定を──」

「分かった」

 匡士の胸に期待がよぎったせつ、衿朱が不敵な笑みを頰に含ませる。彼女はペットボトルに手を伸ばして水を飲むと、潤ったのどで声に生気を取り戻した。

「あたしにくって事は、あのブローチが盗品って証拠はないんだ」

 見抜かれた。匡士は無愛想を保ったが、内心では終わった、どうしたものか、帰りたいの三拍子である。

「それはどうかな」

 思わせぶりな台詞せりふで間をつなぐも、声には初めから力が入らなかった。

「お疲れ様でーす」

 衿朱が椅子を引き、通学かばんを肩に掛けて立ち上がる。引き止める口実がない。彼女が戸口で陽人から顔を背ける。

 廊下を歩き出す衿朱の後ろ姿に、のんな口調が呼びかけた。

「迷いがないですね」

「?」

 衿朱がいぶかしげに視線を返す。

 陽人は部屋に入って飲みかけのペットボトルを取ると、廊下に引き返して彼女に差し出した。

「自分が正しいと思っている時。それから、誰かの為に動く時。信じる人には正義が宿り、迷いが消える。強くいられる」

「陽人?」

 匡士は席を立ち、戸口から廊下をのぞいた。

 衿朱の表情が明らかに曇っている。

「鑑定を依頼したのはあなたでしたが、帰ろうと促したのはお友達でした。カメオの持ち主があなたなら、お友達が売買を止めるのは不自然です」

「人の物を無理やり売ろうとする方が奇妙おかしくない?」

「お友達は本物だと言っている。信じる人の為なら。お友達に売却したい事情がある。正義の為なら。専門家の意見も厄介者の噓に聞こえるでしょう」

「やめて」

 衿朱が通学鞄のベルトを握り締めてうつむいた。

「もう一人が本物の売り主?」

 匡士は驚きと同時に、衿朱の強気な態度が胃のに落ちるのを感じた。匡士も自分の為に刑事をしようとは思わない。正しいとされる事を実行する。誰かの助けになるなら喜ばしい。そんな、ちっぽけなりに正義感があるから強くいられる日もある。

「昨日今日会った他人よりお友達を信じたいですよね」

「…………」

 横顔に掛かる髪の内側で、衿朱が震える唇を固く結ぶ。

「でも、あのカメオは偽物ですよ。ガラス玉です」

 陽人が朗らかな笑顔で容赦なく断言した。

「人類が技術の限界に挑んで作り出した鍛錬と知性と心の結晶、それを何人もの人間が大切に受け継いで、百年を経てアンティークと呼ばれます」

 語る声が氷の様に冷えていく。

がんさくを真作と偽って世に送り出す事は、オリジナルの製作者、長い歳月に心を砕いた持ち主達、彼らを繫いだ人々、作品に魅了された全ての人の感動を踏みにじる行為だと御理解頂きたい」

 匡士は今になって、彼が乗り気で捜査に同行したのではないと知った。

 アンティークへの敬意が、静かに陽人を突き動かしている。作り手に始まり、未来へ続く担い手を不幸な被害者にしない為に、自分の知識を使えと我が身ごと匡士に差し出したのだ。

 匡士は額に手を当ててちようを隠し、遅過ぎる返答をした。

「取り締まりは任せろ」

「よろしくお願いします」

 陽人から手渡されたバトンの重みを、匡士はようやく正しく受け取れた。

「上田衿朱さん」

「何よ」

「現段階では彼女を見付けて逮捕するって話じゃない。法に触れずに友達を助ける方法はあるんじゃないかな」

「……お祖母ばあちゃんにもらったと言ってた」

 衿朱がかすれた声で話し始める。陽人がペットボトルを差し出す腕を下ろす。

 匡士は慎重に質問を選んだ。

「売る理由は聞いた?」

「家族が進学費用出してくれないから、売ったお金で受験したいって。古い家で弟だけが可愛がられるから、お祖母ちゃんが心配してのこしてくれたって話してた」

「そりゃ、しんどい話だな」

 匡士が率直な感想をあいづちにすると、衿朱は顔を上げて訴えかけた。

「盗んだって噓だよね? 気に入らない家族が取り返したくて通報したんだよ」

「そういうのも含めて捜査するのが警察の仕事だから大丈夫。話も聞かずにカメオを取り上げたりしない」

「うん……取り上げられても偽物だけど」

 衿朱は陽人の鑑定も信じたようだ。

「家の人より先に彼女と話したい。身の安全を守る事にもなると思う。連絡先を教えてくれないか?」

「いいよ。けど、もう遅いかもしれない」

 匡士は陽人と顔を見合わせた。

 衿朱がスマートフォンをタップしてSNSアプリを開く。表示されたのはパフェのアイコンのアカウントで、更新は一昨日で止まっている。

 名前は『Rima』。本名もメールも記載はない。自撮りや家といった本人に結び付く写真は投稿されておらず、テキストも「眠い」「新曲好き」と特徴はない。

「好きなバンドが一緒で繫がってからほとんど毎晩通話してた。昨日から何度か呼びかけてるけど返事がなくて。りまは大丈夫なんだよね?」

 衿朱が制服の襟元でこぶしを握り締めて、ひとみおびえた色で曇らせる。

「悪いのは子供を一人の人間扱いしない親なのに、外面がいいから担任も周りの大人もまともにあの子の話を聞きやしない。お祖母ちゃんが遺してくれた逃げ出す唯一のチャンスなんだ。生まれる家は選べないけど、自分の将来は好きに決めさせてあげてよ」

「事情は分かった。片方の言い分だけを信じて糾弾したりしないと約束する」

「絶対だよ」

 衿朱が小さくうなずく。陽人が再び水のペットボトルを差し出すと、彼女は素直にそれを受け取って、店の出口の方へ歩き出した。

「話してくれてありがとう。バイト先には落とし物を拾った礼に来たと伝えてある」

 匡士が言い忘れていた事を伝えると、

「話を合わせておく」

 衿朱は手の代わりにペットボトルを振って店を後にした。

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