第一話 女神のカメオ⑥



 道路に点々と赤い種子が落ちている。

 剣道場の外に植えられたたいさんぼくが実を付けて、種が塀の外まで飛んできたようだ。

「バナナスムージーのお客様」

「ありがとうございます」

 陽人が背高のグラスに顔をほころばせる。店員は匡士の前に残るコーヒーカップを置くと、カフェのロゴがしゆうされたエプロンから伝票を取り出してスタンドに挿した。

「少々お待ち下さい」

「よろしくお願いします」

 匡士はコーヒーカップのとつに人差し指を潜らせて店内に目線を配った。

 アメリカのダイナーをモチーフにした内装は、独自のアレンジが加えられて目に優しい配色をしている。ダイナーに多い赤や黄色は使わず、青と茶を主にして、観葉植物が置かれているのも雰囲気を落ち着かせている要因だろう。

 視線を感じて見上げた壁に、レコードのジャケットが飾られている。ステンレスの縁取りのテーブルにひじを突いて上体をひねるが、前後左右の席に客は案内されていない。

「外で待ち伏せじゃないんだね」

 何故、陽人が乗り気なのだ。

 匡士はあきれながらコーヒーの苦味で声量を抑えた。

「遺産相続で望ましい配分をされなかった遺族が、身内を窃盗犯呼ばわりする通報は前例がある」

「遺言書を公開されたら虚偽通報で捕まるのは自分の方では?」

 陽人の言い分は如何いかにも正しい。

 だが、人間は必ずしも正しくない。だから匡士ら刑事がいる。

「店で言ってただろう。不満の理由を周囲の所為せいにして自分を正当化する奴は、吃驚びつくりするほど堂々と理不尽な暴論を押し通す。その内、本当に自分が正しいと思い込んで、被告人席に立ってもぽかんとしてるもんだ」

ゆがんだ認知を元に真実を探す。難解なパズルみたいな仕事だね」

「だから、こっちはあらゆる可能性を考える必要に迫られる」

 全員が正直に話している。誰かが噓を吐いている。

 カメオは別々に存在している。二つのカメオは同一である。

「同一だった場合、盗まれたカメオも偽物になる」

「上手に誤魔化してあったけれど」

「間違いない?」

 匡士が念を押すと、陽人が太いストローでバナナスムージーをかき混ぜた。

「カメオは石や貝殻を削って、輪っかの土台にめて作る。裏側から光を当てればヒビや内包物が透けて、見た目通りの素材か判別出来るんだ」

「純金ときん鍍金めつきみたいなものか」

「それから、持ち込まれたカメオは土台の縁が高く作られていた。先輩の言う金鍍金の方は、側面に素材の積層が見えないから隠さないとね」

 陽人が手の平でグラスの側面を覆う。真上から見なければ、グラスの中がジュースか紅茶かわからない。

「二つのカメオが同じ物で、誰も噓を吐いていない前提で考えると、持ち主も鑑定依頼人も偽物だと知らない事になる」

「既に盗まれてがんさくにすり替えられていたのなら、お身内が皆に秘密で売ったかな」

「どうして身内だ?」

「ただの泥棒はわざわざ贋作を用意しない。発覚を遅らせたい人物の犯行だ」

 陽人らしからぬ物言いである。彼は仕事でもプライベートでも事実しか口にしない。推測で他人の悪事を断言するなど平素の陽人からは最も遠い行いだ。

「……実例が?」

「こちら側でよく聞く話」

 陽人が柔らかな笑顔で背筋の凍る事を言う。深く突っ込まない方が良さそうだ。

 匡士はまだ温かいコーヒーで暖を取った。

「あの高校生──鑑定依頼人が本来の相続者であれば身内の問題だ。警察の出る幕はない。逆に、通報者が正統な相続者なら、身内といえども高校生を容疑者とす」

「二つのカメオが別物だったら……やるせないな」

 グラスに結露した水滴が表面を伝って流れる。陽人の笑みがわずかにかげる。

「貴重なカメオが盗まれて、高校生はお祖母ばあさんに噓を吐かれていた。思い出の宝物に値段を付けるのは、時々申し訳ない気持ちになるね」

 表の通りを下校中の高校生達が楽しそうに歩いていく。

 匡士が陽人や同級生と過ごした学生時代の思い出を、他人に無価値と鑑定されたら、きっと腹が立って悲しい気持ちになるだろう。

 依頼人の高校生もそうだったのかもしれない。

「値段を付けて欲しいと望んだ結果だ。感傷で評価を甘くするディーラーじゃ商売にならんだろ」

「うん、鑑定に加味はしないんだけど」

 陽人があっさり割り切ってバナナスムージーを飲み干した。

 来店した客が窓辺の席に案内される。注文を聞いてカウンターに入った店員がにわかに慌ただしく動く。彼女に背を押されて店の奥から姿を見せたのは、雨宮骨董店を訪れたブレザーの高校生だった。

「……っ」

 高校生がきびすを返してちゆうぼうに駆け込む。

「陽人、ここ頼む」

 匡士は即座に立ち上がり、店を出て裏路地側に回り込んだ。あらかじめ、従業員通用口は調べてある。

 ダストボックスの角を曲がったところで、アルミ製の扉が勢いよく開き、ブレザーの高校生が飛び出して来た。

「止まって。話を聞くだけだ」

 高校生は聞く耳を持たずに反対方向へ逃げる。

 なりふり構わない犯罪者と異なり、高校生はしやだが周囲を巻き込むような無茶はしなかった。ただひたすらに速い。トップスピードがなかなか落ちない。

 だが、もし相手が現役陸上部員だったとしても、死に物狂いで逃走する相手を追って街中を走るすべにかけては匡士も熟練者だ。

(この先は信号があるから距離を詰め過ぎない方がいい。焦って赤信号を渡られては困る。渡られても夕方開店の飲食店が多いから、店に入られて見失う心配はない)

 高校生が交差点に差し掛かる手前で、匡士は彼女の背後から外れて歩道橋を上った。階段は走り続ける足にこたえたが、彼女が逃げる方向を上から確認して後を追える。

 開いた距離を縮めるのは匡士の嫌いな意地と根性だ。

だるい。カフェラテ飲みながらデスクワークしたい」

 弱音を独りごちて、匡士は高校生が横断した方の階段を駆け下りた。川通りに追い込めれば後一手で詰みだ。耳に嵌めたワイヤレスイヤホンを素早く二度たたく。

「川通り東、焼鳥屋の角」

 視界に高校生の背中と焼き鳥居酒屋の看板をとらえて、匡士は徐々に速度を下げた。

「あっ」

 高校生が靴底をアスファルトに滑らせて止まる。

 前方から陽人が歩いて来て、スマートフォンの画面をタップする。

 匡士はイヤホンを外し、警察手帳を高校生に掲げて見せた。

「お話を聞かせて下さい」

 高校生が切れぎれの呼吸で肩を上下させて、煩わしそうに髪をかき上げた。

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