第一話 女神のカメオ②



はる。生きてるか?」

 呼びかけながら扉を閉めた弾みで、弁当の紙袋が商品に当たりそうになり、匡士は慌てて身をすくめた。

 紙袋の角が触れたのは棚に飾られた金色の洋燈ランプだ。純金ではなくブロンズ製の彫刻だが、「ドレスの様な見事なドレープを描くデザインはアール・ヌーヴォーを代表すると言っても過言でなく、繊細なひだにまで丁寧に貼られたきんぱくは大変貴重」で、手に入れようとすれば匡士の貯金は跡形なく吹き飛ぶと教えられた記憶が、背筋の凍る感覚と共に刻み込まれている。

 そんな高級品は布付きの木箱に入れて大事にしまっておけと言いたいところだが、それを言い始めたら店内の全てがお蔵入りして、ここはもぬけの殻になってしまう。

「陽人」

 カブリオレ・レッグのハイ・チェスト、飾り金具がきらびやかな抽斗簞笥コモード、上品な色合いのグスタヴィアン・チェアには、磁器とは思えないほど柔らかな顔立ちの磁器人形ビスクドールが腰かける。

 木枠にガラスを張ったコレクターケースはロの形に配置されており、宝飾品やシルバーボックスに囲まれたその中心で、青年が机に向かってスタンドルーペの角度を調節していた。

「陽──」

 声を掛けようとして、キャビネットの陰に人が立っている事に気付く。匡士は掲げかけた手をそうっと戻して、ばつの悪い顔で会釈をした。

「先客でしたか。失礼」

 二人連れの客はつまらなそうにいちべつしただけ。

 スタンドルーペのネジを締めて、ようやく顔を上げた青年が少し微笑んでみせた。

 二十四歳になる成人を捕まえて使うには不似合いかもしれない。しかし、彼が笑うと大事に育てた花がほころんだかのように空気が緩やかになった。緊張も、明暗も、時間の流れさえ緩んで浮世を離れる。

 綿シャツにそで付きケープの様なゆったりしたカーディガンを羽織って、ともすれば年齢不相応に渋くなりがちな装いも、彼が着ると海外の流行はやりに見えるから不思議だ。というより、ずるい。

 金の飾り縁が付いた全身鏡に映る自分の姿が目に入って、匡士はよれよれのネクタイを申し訳程度に締め直した。

「お待たせしました。お持ち頂いたお品物を拝見します」

 陽人が二人連れの客に声を掛けると、片方がスクールバッグから布張りの小箱を取り出した。遺失物で時々届けられる、婚約指輪などが入れられるジュエリーケースだ。いくら高級に見えても、指輪を渡した後の箱を気に掛ける人は少ないのだろう。

 意外なのは、客のいずれも婚約指輪を売り払うには若い事だった。

 小箱を持っている方は近くの高校の制服を着ている。あの学校は学年が上がるまでスカート丈をアレンジしてはいけない生徒間のローカルルールがあるから、一年生でない事だけは分かる。

 今一方のセーラー服は近隣の学校では見ない。港町だけあってスカーフが治療用のさんかくきんに使える形状の学校は多いが、彼女が着けているのは襟の下で留めるタイプのリボンだ。

 匡士はほこりっぽい髪を整える振りをして、鏡越しに三人の様子をうかがった。

 陽人が白い手袋をして箱を受け取る。

 ふたが開かれて、手に取られたのはえん形のブローチだろうか。

「カメオですね」

 陽人が左手の親指と人差し指で金枠を挟み、ペンライトで裏側から光を当てた。

 カメオ。

 石や貝殻に浮き彫り細工を施す装飾品である。本体は円または楕円形、描かれるモチーフは人物像が多く、現代ではブローチ、ペンダントといった大型のアクセサリーに用いられるが、古代ギリシャでは指輪にして印章代わりにも使われた。

 匡士はスマートフォンでカメオの説明を触りだけ読み、文字量に疲れて画面を消した。陽人と違って本を丸暗記する趣味はない。

「ギリシャ神話にける美の女神。黒い下地に純白のモチーフは、どんな場所でも使いやすいシックな配色です。御購入はどちらで?」

く必要ある?」

 ブレザーの高校生が煩わしそうに言って、肩に掛かる髪を背に払った。

 陽人は微笑みを崩さず彼女の言葉に耳を傾けている。

「目の前に現物があるんだから、それ見て鑑定してくれれば良くない? 売った人を知りたいって、前の店ではどう評価されてたか気になるんだ。鑑定に自信ないの? この店、大丈夫?」

 彼女は声にあきれをにじませて、ネイルに載せたデコレーションチップをませるようにでる。

(言うなあ)

 匡士は鏡越しに覗き見て、視線をセーラー服の高校生に気付かれそうになり、素知らぬ態度でキャビネットウィンドウの方へ移動した。通りに面した窓に辛うじて店内が映っている。

 鑑定眼を疑われた陽人だが、特段気にした様子はなく、相変わらずれったいくらい悠長な手付きでペンライトをルーペに持ち替えた。

「アンティークは『百年以上前に作られた製品』に限るという基準があります。いつ何処で作られた物か、明確な記録があると価値が強固に保証されるんです」

「へえ、そうなんだ」

 ブレザーの高校生は手首を外側に倒して、思いの外、素直に聞き入れる。

「死んだお祖母ばあちゃんがくれた。出来るだけ高く買って」

「成程」

 陽人はうなずいて、ブローチを天鵞絨ビロードが貼られたトレイに置いた。

「こちらの買い取りは致しかねます」

「何でよ」

「当店はアンティークを専門に取り扱っています。百年以上前に作られた物でなければ、買い取りも販売も出来ません」

 陽人の言葉が指し示す意味。

 あのブローチはアンティークを模倣した新しい作品という事だ。

「購入された際のお話をお聞きしたかったのですが、元の持ち主様が他界されているのでは難しいですね」

 ブレザーの高校生の表情は硬い。彼女はトレイを再び反転させて、陽人の方へ突き返した。

「この価値が分からないなんて、本当にちゃんとしたこつとうひん店?」

「……ねえ、やめよ」

 セーラー服の方が彼女の腕に手を添えて制したが、止まらない。

「私らが高校生だから足元見て、ごねて安く買いたたく気に決まってる。詐欺に遭いましたって通報されたくなかったらまともな鑑定して」

「通報とは穏やかではないですね」

 陽人が微笑む額でまゆを傾ける。

 売りたい、買えない。このまま押し問答が続くと面倒な事になりそうだ。匡士はおつくうな足をつまさきで返して、コレクターケースに歩み寄った。

「あー、君達。そこの賞状みたいの、見えるかな?」

 指差してみせたのは奥の壁に掛けられた額縁だ。骨董品と並べるには不似合いな黒いアルミフレームの中に、格式ばった書面が収められている。

 遠くからでも目に入るのは『古物商許可証』と『あまみや』の文字。

「警察署で発行される許可証だ。きちんと認可を受けて商売をしている店だよ」

「誰? 関係ない奴は黙ってろよ」

「…………」

 いっそ通報させた方が手っ取り早いのではないだろうか。

 匡士が投げりな気持ちになった時、壁に作り付けられた本棚の一部が開いて、こわった空気がかすかに流れた。

 誰もがそちらを見てしまうのは仕方あるまい。

 だが、姿を現した少年は視線を向ける方がしつけと言わんばかりに眉根を寄せた。

 客の高校生より若干、背が低い。たたずまいは背丈の差以上に幼く見える。

 カットの時期を一月も逃したような黒髪はつややかで、霧雨の様に繊細だ。日に焼けていない肌は血色さえ薄く、細身のたいあいってグスタヴィアン・チェアに座る磁器ビスク人形ドールよりもろく見える。

 少年は室内履きのサンダルをペタペタ鳴らしてコレクターケースをかいし、匡士の前で立ち止まった。

「もくもくさん」

 前髪の下から匡士を見詰める視線は真っ直ぐで手加減がない。

「おう、どうした」

「お弁当、何?」

「へ?」

「上から来るのが見えた。何?」

 少年が黒目だけを動かして、匡士の手に下がる薄茶色の紙袋をとらえる。

「ああ、唐揚げとハンバーグと幕の内」

「俺、ハンバーグ」

 さも当たり前という口調で要求する彼に、匡士は流石にためいきを禁じ得なかった。

 彼が陽人の弟である。

「あのな、かいせい。今、それなりに取り込んでるんだが」

「買い取りの話はもう終わったんでしょ」

 彼を長居させる方が収拾を遅らせそうだ。匡士は紙袋からマジックペンでバーグと書かれた立方体のランチボックスを取り出した。

「スープも入ってるから、お湯入れて飲むんだぞ」

「ありがと」

 言う事を聞く気がない時の返事だ。

 海星はランチボックスを両手で包むように持って、本棚の戸へと引き返す。来た時と同じくコレクターケースを迂回して、通り過ぎ様にブローチと高校生をチラと見た。

「厚化粧のごうつくり」

 小声で一言。

 静かな店内では全員が聞き取るのに充分な大きさだった。

「何なの、お前! ちょっと、逃げるな」

 ブレザーの高校生がみ付くのを聞きもせず、海星は本棚の奥に帰って行った。

「気分悪! 年下のガキに嫌味言われるし、マウントおじさんに絡まれるし、鑑定はまともにしてもらえないし最悪過ぎ。こっちは客なんですけど」

「そうですねえ」

 陽人ののんあいづちが高校生の怒りに油を注ぐ。彼女が矛先を陽人に定めてにらみ付けると、彼は柔らかくいなすように目を細めて笑顔で続けた。

「鑑定の結果、お持ち頂いたお品物がアンティークでなかったとしても、お客様である事に変わりはありません」

「まだ偽物呼ばわりするの。インチキ詐欺師」

「しかしながら」

 ののしられても、陽人の口調は波ひとつ立てず、笑顔は晴れた海より穏やかだ。

「結果に対する不満を周囲に転嫁していては一生、良いも悪いも見定める事は出来ないでしょう。御満足頂けなかった際は、三店ほど回ってみる事をお勧めします」

「何……この」

「もういいよ。行こう」

 セーラー服の高校生がなだめてブレザーのそでを引く。

 陽人がブローチを箱に仕舞ってふたを閉じると、ブレザーの高校生は腕でぎ払うように箱を取り上げて、匡士に肩をぶつけて店を後にした。

「ありがとうございました。またどうぞ」

 閉まる扉に送られた声は相変わらず長閑のどかで、店の空気が緩やかにほどけた。

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