とある崖の殺人〜はなさないで、はなさないよ〜

青樹春夜(あおきはるや:旧halhal-

とある崖の殺人

 僕はいつか来る悲劇を知っていた。


 と、いうよりも僕が彼女をいつか裏切ると確信していた。


 恋人を裏切るなんて、なんで酷い男だろうと思われるだろうけど、酷いのは彼女の方だ。


 何があったかはどうでもいい。


 僕以外の男友達と遊んでいるとか金遣いが荒いとかそういうものだと思ってくれていい。


 ただ僕はそんな奔放な彼女のことが大好きで、何をされてもにこにこと許していた。


 それがとうとう僕の我慢の許容範囲を超えた。


 だから僕は最期に別れ話を兼ねて海辺のちょっとお高いレストランへと彼女を誘ったのだ——。




「お願い、はなさないで!」


 今、彼女は目も眩む高さの崖から落ちかかっている。僕の右手だけが彼女の手を通して彼女の身体を——命をつないでいる。


「ああ、はなさないよ」


 僕は優しくそう言うと、そっと彼女の手を離した。


 鳥の鳴き声のような悲鳴は尾を引いて、彼女は暗い海へと落ちていった。





「ま、つまりあなたは最愛の人をその手で殺したんですね?」


「殺すだなんて……不可抗力ですよ」


 僕は非力だし、足を滑らせて崖から落ちる彼女を支えるほどの力が無かったというだけだ。


 保険調査員としてやって来たさえない風体の青年はずけずけとものを言う。名刺を見ると掛川という名前らしい。


 彼はカバンからスマホを出すと僕の目の前に置いた。


「これは警察から借りて来た音声データです。彼女はあなたを疑っていたみたいですね。死ぬ直前の会話が録音されてました」


「スマホで録音してたみたいですね」と、掛川はつぶやく。


 途端に僕の全身からブワッと汗が吹き出す。


 あの直前?


 僕は彼女と何を話したんだっけ?


 有無を言わさず掛川はスマホの画面をタップした。


 雑音と共に話し声が聞こえてくる。紛れもなく僕と彼女の声だ。


『——僕は君が会社のお金を横領していることは気づいてるんだよ』


『お願い、内緒にしてて』


『そうだね、僕の頼みを聞いてくれたら僕も約束しよう』


『頼みってなに?』


『僕の願いはコレだよ!』


『きゃっ!』


 僕が彼女を崖から突き落とそうとした時、思いのほか力が入らなくて彼女と崖っぷちに転んだ。


 偶然、彼女の手を握る形で落ちる彼女を捕まえたが、それは恐怖に引き攣る彼女の顔を堪能する形になる。


 ——これだよコレ、コレを見せて欲しかった。


 十分にそれを愉しんだ僕は——。




『お願い、離さないで!』


『ああ、話さないよ』



 完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

とある崖の殺人〜はなさないで、はなさないよ〜 青樹春夜(あおきはるや:旧halhal- @halhal-02

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ