第6話 ニレナ①

 街から歩くこと半日。

 俺の不調によって来た時の倍は時間がかかり、ユスティニアの森に辿りつく頃にはとっくに日は暮れていて辺りは暗闇と静寂に包まれていた。


 昼間でも覆いつくすような樹木の葉で陽が遮られるこの森は、夜は月明りも隠されてますます暗く、手元を照らすランタンの明かり無しには歩くことさえままならない。


「♪~~♪」


 前を歩くニレナは、背中まである黒い髪を風になびかせながら鼻歌交じりに上機嫌で歩いている。

 夜目が利くのか、それとも本当に見えているのか、ニレナはランタンも持たずにこの暗闇の中を正確に目的地に向けて進んでいく。


(……もしあの時、ニレナが一緒に来てくれると言ってくれてなかったら、今頃死んでいたかもな)


 そんなことを考えながら、ニレナの後ろについて歩く。


 はっきり言って、今の俺は一般人と大して差が無い。

 化け物じみた怪力は碌に力が入らないし、技能スキルだって今は上手く使えるか怪しいものだ。魔物との戦闘なんて冗談じゃない。

 一人で依頼に行くなんて絶対に無理だと言いきったエリシアの判断は正しかった。


 今のところは、先を行くニレナの先導のおかげで問題なく進めている。

 それでも一抹の不安が、常に胸をよぎって仕方がない。


――はたして本当に、彼女のことを信用しても大丈夫なのだろうか?


 そう思ってしまうほどに、この依頼は彼女にとってあまりにも得が無い。


 そもそも、これは彼女の等級ランクよりも低い依頼だ。ただでさえニレナにとって割に合っていないというのに二人で行くのだから報酬はさらに等分される。

 おまけにその同行する相方パートナーは顔色が悪い初心者冒険者ときている。

 これはもう、ほとんど奉仕活動と言っても過言じゃないレベルだ。


 もちろんニレナは純粋な善意から俺を誘ってくれた可能性もある。むしろそっちの可能性の方が断然高い。


 彼女のことを疑いたくは無い。だから、きっとこれは俺のさがだ。

 差し伸べられた手が、たとえ善意からのものであったとしても、それを疑わずにはいられない。


 胸の中に広がる不安を悟られないようにニレナについていくと、ニレナがピタリと脚を止めた。


「そんなに急がなくたっていいよ~~?夜は長いんだしさ」


 ニレナは振り向くこともなくそう言った。俺が足取りを早めた途端のことだった。


 ドキリと心臓が撥ねる音がした。


(わずかな足音だけで、俺の動きが分かるのか……)


「それに~~さっきからもう、歩くのも辛いでしょ~~?無理しなくていいよ~疲れたならちょっと休む?」


 ニレナさらりと言った。

 何もかもお見通しらしい。


「いや……大丈夫だ。早く行こう」


 少し気後れしながらも、ニレナの後ろについていくと、ニレナがふっと笑った。


「そう?なら~~せっかく同じ依頼に行くんだし、おねーさんのこと、もっと知りたいな」


 そうして後ろ手を組みながらくるりと振り向くと、ニレナは流し目で俺を見つめた。

 その目に一瞬、彼女に何かを見抜かれたかのように感じて身体が強張った。


「ああ、ごめんね?別におねーさんのこと探るつもりじゃなくて、純粋におねーさんのことが知りたいな~って。おねーさんが隠しておきたいことまで聞くつもりはないよ」


 俺の警戒を感じ取ったのか、ニレナが慌てて訂正した。


「……それに、誰だって、隠しておきたい秘密の一つや二つはあるし、ね」


 そう言うとニレナは前を向き直して再び歩き始めた。

 俺の様子を不審には思ってもこれ以上追及をするつもりはないらしい。

 少し安心しつつ、ニレナの後ろを再びついていく。


「俺のことを知りたいって、どういうことを?」


 ニレナに問い返すと、ニレナは間延びした語尾を伸ばして少し考えた。


「ん~~、例えば、その喋り方とか?」


「喋り方?……………あっ」


 ニレナに言われてはっとする。

 しまった。フラメアから指摘されていたのに、いつの間にか話し方も元に戻っていた。


「……これが本来の口調なんだ。気をつけようとは思ってるんだけど、いつの間にか元に戻っちゃって」


 上手い言い訳も思いつかなくて適当に言い繕った。

 嘘はついていない……がだいぶ苦しい。


「へ~~そっか~~」


 思った以上にニレナのリアクションが薄くて拍子抜けする。

 本当にただ、俺の口調を不思議に思っただけなのか?


「……変だと思わないのか?」


「別に~~?そもそも私だって人のこと言えるような喋り方じゃないしね~~」


 そう言うとニレナはクスクスと小さく笑った。


「ね、昼間の酒場でおねーさんと一緒にいた人は、おねーさんのお友達?」


 ニレナは歩く速度を遅めて俺の隣に並ぶと、腕を絡ませて尋ねてきた。

 相変わらず距離が近い。


 エリシアのことか。友達……友達では無いな。


 確かに協力関係ではあるけど、そんなにいいものじゃない。

 今は言いなりにはなっているものの、日野と白鳥を奪還する機会さえあれば、出し抜きたいとすら考えている。

 フラメアを出し抜くと言うことは、監視役のエリシアを裏切るということでもある。


 どう伝えるべきかな……監視役とその監視対象です。なんて言える筈も無いし。


「一時的な協力関係……かな。」


 そう答えると、ニレナは首を傾げた。


「え~~?そんなドライな関係には見えなかったけどな~~」


「お互いに目的があって、そのために利用しあってるだけだ。友達なんてそんないいものじゃない」


「へ~~。なんだか複雑な関係なんだね~~。でもさ、あの人、おねーさんのことを本当に心配してたと思うよ?私が酒場にいた間、ず~っと困った顔しておねーさんと依頼に行ってくれる人を探し回ってたから」


 静寂な夜の森の中で、ニレナの言葉が妙に響いた。


 確かにエリシアは組織の一員として俺についていて、俺を信用しているわけではないのかもしれない。

 だけど、今回みたいに俺が窮地に陥った時、真っ先に駆けつけて必死に助けようとしてくれたことも、紛れもない事実だ。


 ……果たして、互いに利用しあう関係の中に信頼は芽生えるのだろうか?


「……そうかもしれないな」


 そう答えると、ニレナは満足そうに微笑んだ。


「羨ましいな~~私にはそんな風に心配してくれる人、一人もいないから」


 ニレナは遠く見ながらそう言った。

 微かに零れる月明りに照らされたその横顔は、少しだけ寂しそうに見えた。


 こうして喋っているとニレナはただの優しい女の子のように思える。とても人殺しとは思えない。

 しかし、この暗闇の中を物音一つ無く正確に進む足取りが、彼女のローブの隙間から見える傷跡が、ニレナの壮絶な過去を示していた。


「ニレナは、いつも一人で依頼に?」


「ま~~そうかな。たまにパーティを組んでる人たちに呼ばれたりするけど、だいたいその時だけ組んで後はそれっきり。ま~~私こんなんだから、気味悪がられちゃうんだよね~~。だからおねーさんが受け入れてくれて嬉しかったなあ」


「そうか……」


 それ以上は、何も言えなかった。

 果たしてこんな状況でもなければ、ニレナとパーティを組もうと思っただろうか?


 ニレナの掴みどころのない言動と、その雰囲気に得体のしれない恐怖感を抱いているというのは、俺も同じだった。

 そんな俺が今、ニレナに何を言っても嘘になる気がした。


 そんなことを考えながら、ただニレナの隣を歩いていると、ニレナが片手で静止した。


「前方に二匹、その横に一匹いるね~」


 ニレナが眺める視線の先を、霞む眼を凝らしてよく見れば黒狼ブラックハウンドが二匹いるのが分かる。

 もう一匹が見えないが、恐らく熟練の冒険者であるニレナには見えているのだろう。


 少なくとも見えている二匹の黒狼は他の魔物の死体を食い漁るのに夢中で、まだ俺たちには気がついていないようだった。

 真紅の大鎌を構えようとすると、ニレナがそれを止めた。


「大丈夫、ここは私に任せて、おねーさんはそこで見ててよ」


 ニレナはそう言うと、静かに腰に下げたナイフを抜くと、欠伸を噛み殺しながら小さく伸びをした。


「さ~て、おねーさんにちょっといいところ見せちゃおっかな~~」


 そう言ってニレナが構えたナイフの刃が、妖しく月明かりを反射していた。

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