第7話 ニレナ②


「さ~て、おねーさんにちょっといいところ見せちゃおっかな~~」


 ニレナは一度伸びをしたあと音もなく駆けだすと、死体を食い漁る黒狼に近づいてナイフで喉を切り裂いた。


「グオ…………?」


 仲間の異変に気がついたのか、隣にいた黒狼が死体から顔を上げるが次の瞬間にはニレナのナイフによって腹を切り裂かれて地面に崩れ落ちた。


「アハ♪」


 黒狼の腹から噴き出した血しぶきを浴びて、ニレナが艶めかしく笑った。


「ウウウウウワォォォ――――ギャッ」


 二匹よりも後ろにいた一匹がここでようやくニレナの存在に気がつき、遠吠えで仲間を呼ぼうと顔を上げたが、ナイフを投げて倒した。

 放たれたナイフは恐ろしいほどの正確さでもって黒狼の脳天に突き刺さり、その命を一瞬で終わらせた。


「はい、終わり~~」


 一瞬にして黒狼を全滅させると、ぱっとニレナがこちらに向けて笑顔を見せた。


「どうだった~~?恰好良かった~~?」


「……………………」


 黒狼を一瞬にして全滅させたニレナを見て感じたのは、黒狼の返り血に塗れながらも楽しそうに笑うその猟奇的な姿への恐怖よりも――


 


「……ああ、確かに凄かった――――」


 ……だから、そのせいで周囲への注意が散漫になっていたのだと思う。


 いや、それだけじゃない。魔力の枯渇によって意識が朦朧としていてることもあったのだろう、俺は周囲の様子にすっかり気がつかなかった。


 ――もう一匹の黒狼が俺に飛びかかってきていたことに、気がつかなかった。


「あぶない――!」


 突然、ニレナが俺をどんと突き飛ばした。

 その直後、黒い影がさっきまで俺がいた所を横切った。


「うっ……何が――」


 顔を上げると、俺を突き飛ばしたニレナの右腕が黒狼の牙に切り裂かれ、肘からポタポタと血を流していた。


「だいじょーぶ?周囲には、ちゃんと気をつけないと――ね」


 ニレナは痛みで顔をひきつらせながらも、俺に優しく語りかけてきた。

 そして懐からナイフを取り出すと、ニレナの腕を裂いた黒狼に目掛けてナイフを投擲した。ナイフは吸い寄せられるように黒狼の脳天に刺さり、絶命させた。


「お前……なんで――」


 なんで、新人なんかを庇って――そうニレナに尋ねようとした瞬間、更に後方に潜んでいた黒狼が大きく遠吠えをした。


「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオン」


 黒狼の遠吠えは静寂な森の中に響き渡り、あちこちから他の黒狼の遠吠えの音が聞こえてきた。


「アハハ……まだいたんだ。おかしいなあ、普段なら獲物を見逃してるなんてミス、絶対にしないのになあ……」


 違う。ニレナの責任じゃない。

 ぼんやりして突っ立って、周囲の確認を怠って、あげく彼女の足を引っ張った俺の責任だ。


 まもなく、仲間の遠吠えを聞きつけた黒狼の群れがやってくる。

 夜目が聞いて動きも俊敏なニレナはともかく、今の俺では逃げられない。


 ……だが、黒狼が来るよりも先に【魂の収穫】をすれば、戦える体力分くらいは回復できるかもしれない。

 ここにいる黒狼の魔力だけでどれだけ回復できるかは完全な賭けだが、仕方がない。


 どういう結果になるにしろ、この事態を招いた責任は取るべきだ。

 覚悟を決めると、ニレナに振り向いた。


「……ニレナ、俺はもう置いていいから、逃げ――」


「お姉さん。今のうちに逃げてい~よ」


 俺が言おうとしていたことを、ニレナが先に言った。


「なんで……?」


 顔を上げるとニレナが頬をポリポリと搔いた。


「私、嬉しかったんだよね~~」


「は……?」


「私、依頼にはいつも一人で行ってるからさ~~、誰かとお喋りしながら目的地まで歩くのも、こうして誰かを庇うのも、まあ、嫌じゃなかったよ」


 ニレナが俺に優しく語りかける。


「おねーさんが死んだら、酒場で一緒にいた銀髪のおねーさんは悲しむだろうけど、私が死んでも、誰も悲しんでくれないんだよね~~」


「まあ、それも自業自得かな~~なんて。ね、私が死んでも、私のこと覚えていてくれる?」


 ニレナは小さく笑うと、黒狼の群れに向かって歩きはじめた。


「待て――」


 待て、待て待て待て待て。


 本気で言っているのか?

 本気で、ヘボの新人冒険者のために命を捨てようとしている?


「~~~~~~~~~~~!」


 思わず頭を搔きむしる。

 分からん。止めだ。調子が狂ってきた。

 

 どれだけ必死に考えた所で、他人の心のうちなんて分かりようがない。


 人の心が分からない俺にできるのは、せいぜい後で後悔しないように、今やりたいことをするだけだ。


 ニレナがどういう冒険者だろうと、どういう思惑があったとしても、どうでもいい。

 人の目があるところで|特能【ギフト】の力を使ったのも、あとでエリシアに土下座でもするさ。処分という結論になったのなら、それも仕方ない。


「……待て」


 黒狼の群れに向かっていこうとするニレナの腕を掴んだ。


「?」


 ニレナが首を傾げているのを横目に、地面に倒れている黒狼の死体に右手をかざす。


 そして、その言葉を唱えた。


「【魂の収穫】」


 ――その言葉を唱えると、黒狼の死体から黒い球体が浮かび上がり、やがて右手に吸収されていった。

 たちまち黒狼の魔力が全身にしみわたってき、力が湧き上がってくる。


「……………………」


 ニレナはぽかんとしている。

 目の前で何が起こったのか理解しきれていないようだ。


「身体は……よし、動くな」


 片手を閉じたり開いたりしながら、身体の調子を確認する。

 気を失いそうなくらいの眩暈は一瞬にして消え去り、鉛のような重さは全て嘘だったかのように身体は軽くなった。


「ギャッ……!」


 牽制のために真紅の大鎌を振ってみれば、大鎌は宙で美しい弧を描きながら空を切った。

 黒狼の群れが怯んで、少し後ずさった。


「おねーさん……?」


 ニレナがまるで不思議なものを見たかのように俺を見上げていた。

 さっきまで死にかけていた筈の冒険者が急に元気を取り戻したらこういう顔にもなるか。


 ……影槍は、そもそも使えるだろうか?


 今なら体力的にも、魔力的にも使うのは問題ない――が、この暗闇の中ではどれが黒狼の影なのか判別がつかない。

 影槍は相手の影を操って攻撃する技だ。俺が黒狼の影を認識しないことには、使いようがない。


 いや、そもそも


 影を探す――のではなく、言ってしまえば

 《夜》とは――太陽が地平線の向こうに隠れ、一帯がその影に覆われた現象なのだから。


「……くっ、ははははっ」


「おねーさん?」


 そこまで考えて、思わず笑いが込み上げてきた。

 ニレナが不審な顔で見上げてきた。


 とんだとんちだ。

 こんな屁理屈で暗闇そのものを操れるなら誰も苦労しない。


 だが、そもそも出来る、出来ないの話ではない。

 なぜなら特能ギフトとは、"確信"の力なのだから。


 調子は今までで絶好調。

 今の俺なら、なんだってできる筈だ。


「グルルルルルルルルル…………」


 俺たちを囲う黒狼のうめき声が一段と大きくなってきた。今にも一斉に襲い掛かって来るだろう。


 闇夜の影を操ったとして、今までの影槍の規模じゃまるで足りない。

 一斉に襲い掛かって来るこの群れの中から一匹や二匹止めたところで意味が無い。


 今、この場を制するのは、もっと、暴力的で、圧倒的な力が必要だ。

 黒狼の群れまるごと、一掃するような。


 あの時、暴走して使った影槍のように――


 深呼吸一つ。

 真紅の大鎌の柄を地面を地面に突き刺し、集中して影を操る。


 操る対象は、黒狼の影ではなく


「ウオオオオオオオオオオオオオオオオン」


 群れのボスらしき黒狼の遠吠えを皮切りに、黒狼の群れが一斉に飛びかかってくる。


「【千影重槍】」


 鹿頭の巨人の魔力を収穫したときに使ったあの影槍をイメージする。

 そして頭の中に思い浮かんできた名前を唱えれば、地面から隆起したが、向かってくる黒狼の群れを一斉に貫いた。


「ガッ、ギャッ……!?」

「グッ……ガッ?」


 飛びかかってきた黒狼の群れは、剣山のように地面から連なって伸びる影槍に貫かれて、一斉に地面へと崩れ落ちた。


「――ニレナ!」


 止めを刺すようにニレナに声を掛ける。


「あはっ、か~っこいい!それがおねーさんの奥の手ってやつ?」


 ニレナは面白いものを見たように、目を輝かせていた。


「痙攣してるだけだ!物理的なダメージはない!長くは止められないから、いまのうちに止めを!」


「はいはい、奥の手まで見せてくれたその信頼に応えなきゃね」


 ニレナは言いながらナイフを構えると、痙攣する黒狼の群れへと駆け出して、次々に黒狼を切り裂いて行った。


「止まっている標的を狩るだけなら、訓練よりも楽かもね~~」


 ニレナは楽しそうな表情で次々と黒狼を倒していく。


 黒狼の群れの中を流れるように移動しながら切り裂き、いたるところから血しぶきがあがっている。


「はは……どこにいるのかも分からねえや……うっ」


 瞬間、再び視界が歪むような感覚に陥った。意識が飛びそうになるのを気合で凌ぐ。


(あっぶね……また気が遠くなりかけた。この技、かなりの集中力が必要だし、精神的な負担がでかい。影槍のようには気軽に使えないな)


 しかも、一度使えば疲労感でしばらく動けなくなるというオマケ付きだ。

 使うのにかなりの集中が要るし、激戦の中では使うのは避けた方が良いだろう。


「終わったよ~~」


 やがて黒狼の群れから血しぶきが止み、黒狼の返り血塗れになりながらニレナが満面の笑みで笑いかけた。


◇◇◇


 城塞都市へ戻ってくる頃にはちょうど日が昇り始めていた。


 黒狼の討伐完了の報告のため、冒険者ギルドに顔を出す。

 ちらりと酒場を見れば、エリシアがジョッキを手に掲げながら気絶するようにテーブルに突っ伏していた。


「何やってんだあいつ……」


 テーブルの上を見れば、空になったガラスが大量に置いてある。

 どうやらエリシアはあの後、宿屋にも戻らずあそこで俺の帰りを待っていたらしい。

 報告をニレナに任せ、エリシアの寝ているテーブルへ向かう。


「おい、戻ったぞ」


「……んあ?」


 声を掛けると、エリシアが涎を垂らしながら顔を上げた。


「……はっ!寝ちゃってた!どれくらい経った……!?」


 エリシアは目を覚ますと、慌ててきょろきょろし始めた。


「おい」


 どうやら俺が声をかけたことにも気がついてないらしい。

 身を乗り出して再び話しかけるとようやくエリシアがはっとした顔で俺の顔を見た。


「アマヤ……!」


 エリシアは瞳を潤ませると、がばっとしがみついてきた。


「おい……!」


「生ぎでだああ……良かっだああ……」


「汚ねっ!おい!外套に鼻水をこすりつけるな!!」


「だっでええ……」


 初めて会った時のクールな騎士のイメージはどこへやら。

 呆れながらエリシアを引きはがすと、代わりにギルドへ報告をしてくれていたニレナに話しかける。


「ありがとう、本当に助かった。この借りは忘れない」


「いや~~格好つけるつもりが助けられちゃったし。それに~~私より、おねーさんの方が凄かったし、ね」


 そう言うと、ニレナがウインクしてきた。

 ニレナの前で使った特能の力は、内緒にしていてくれるということだろうか。


 互いに少しの沈黙のあと、ニレナが口を開いた。


「ね、良かったらさ――」


 ニレナが何かを言いかけて、俺にまだしがみついているエリシアを見て――やめた。


「……や、感動の再会のお二人を邪魔しちゃ悪いし、私もそろそろ行こっかな~~。……じゃ、バイバイ」


 ニレナがヒラヒラと手を振ると、歩き始めて行った。


「待った――」


 思わずニレナの腕を掴んで引き留めていた。


「……どうしたの~~?」


(あれ……?何で俺はいま、ニレナを引き留めたんだ?)


 自分が何故、こんな行動をしているのかが分からない。


 ……嘘だ。

 本当は今、ニレナが何て言いかけたのかも、俺が何でニレナを引き留めたのかも、全部分かっている筈だ。


 元の世界で散々学んだ筈だ。黙っていたって何も伝わらないし変わらない。

 想いは、願いは、きちんと言葉に出して伝えないと。


「……もし、もしよかったらなんだけど……俺と――」


 こうして、この街での最悪の二日目が終わった。 






◇◇◇


「ね……本当に来るの?」


「さあ……分からん」


 翌日、俺はエリシアと共に、酒場である人物を待っていた。


 来るかは分からない。

 誰かを誘うのってあんなにも勇気がいるんだな。初めて知ったよ。


「まあ……駄目だったらまた他の誰かを誘うよ」


「そう、まあそうするしかないよね……」


 エリシアは俺の隣でちびちびとシードルを飲んでいる。

 このまま彼女が現れなかったら、またエリシアと作戦会議からだ。


 少しして酒場の扉が開いた。

 扉の向こうからはニレナがやって来た。


 ニレナは俺を一目見て、にんまりと笑った。


「あはっ、本当に待ってんだ~~」


「まあ、そりゃ……来てくれたってことは、オッケーってことでいいのか?」


「それなんだけど、本当にいいの~~?私、かなりの嫌われ者だよ~~?」


 ニレナが自嘲するように笑った。


「いや……言っても俺も人にはかなり嫌われる方だしな……」


「ふーん、そうなんだ~~」


 言いかけながら、ニレナがそっぽを向いた。

 耳が赤くなっている。


 やがて、ニレナがおそるおそる手を差し出して来た。


「じゃあ、その、宜しく……おねーさん」


「こちらこそよろしく――ニレナ」


 差し出された手を握り返すと、ニレナは嬉しそうに小さく笑った。


 この街に着いて三日目。

 こうして俺は、冒険者ニレナとパーティを組むことになった。

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