第13話 鹿頭の巨人①


 尋常じゃない図体の大きさと天高く聳え立つ二本の角に、始めは昔図鑑で見たヘラジカを想起した。


 しかしその生き物が強靭な二本の脚で直立している様を見てそれも違うことに気づく。

 角の生えた偶蹄目の頭に、全身を覆う黒色の体毛と、背中から腰にかけては金色の体毛に覆われた筋骨隆々の胴体。


 その姿は、まるで神話上の生物かのようにさえ思えた。


「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」


 たった一度の咆哮で森全体が振動したのが分かった。

 木々はざわめきたち、鳥たちは一斉に羽ばたいていった。周囲の動物たちが逃げていくのが足音で分かる。


 生物としての格が違う。

 今まで倒してきた化け物とはまるで比にならない生物であることを本能が全力で警告している。


「ヤバい奴に喧嘩売っちまった!助けてくれ!!」


「ちょっとした特能ギフトの試運転のつもりだったんだよ!」


 そんな生物が、二名の男子生徒を追いかけて、今まさに怒り狂いながらこちらに向かって来ていた。


「ヤバい……」


 こんなことになってはもう一秒たりとも一ヶ瀬こんなやつに構っていられない。一刻も早く逃げなくては。


 急いでこの場から逃げようとすると、右腕を一ヶ瀬が掴んだ。


「ま、待ってくれ……!どこに行くんだ……?」


 流石にアイツのヤバさを分かったらしい、一ヶ瀬の顔は脂汗が滲んでいた。


「見てわかるだろ。あれは戦って勝てる相手じゃない。今すぐ全員逃げるんだよ」


 はっきりそう告げると、一ヶ瀬は眉を吊り下げて情けない表情を浮かべた。


「に、逃げ切れるわけないだろ!僕たちがあんな化け物から!!」


「戦うのはもっと無理だ。今すぐ全員逃げれば何人かは生き残れる」


「む、無理だ。絶対に追いつかれる!」


 一ヶ瀬はさっきまでの威勢はどこへやら、すっかり怯え切って震えている。


「知るか!!お前が連れて来て、お前が指揮していたんだろ!?お前が命令しないと全員死ぬぞ!!」


 一ヶ瀬の胸倉をつかんで言ったが、いまいち響かなかったらしい。

 ぱっと胸倉を放すと、よろよろとへたり込んで今にも泣きだしそうな声を上げた。


「た、助けてくれ……」


「は?」


「それだけ強いなら足止めした後でも十分逃げ切れるだろ……?僕たちが逃げ切るまであいつと戦って、時間を稼いでくれないか……?」


「は――――――」


 絶句して言葉が出てこなかった。


 まず、一ヶ瀬の提案は論外。こいつらのために命を懸けてやる義理が無い。

 さっきまで下手すれば殺されかねない状況だったのに何で今度は命懸けで助けてやらなきゃならないんだ。


 となれば逃げの一択だが、果たしてこの状況で迂闊に動いていいものか。

 下手に動いたりして今度は俺を追ってきたらたまったものじゃない。


 あの化け物が追っているのは今こっちへ向かって逃げて来ている生徒達なんだから一旦様子見をする余裕はある。

 

 そんなことを考えていると今度は別の男子生徒の一人が化け物に目掛けて飛び出していった。


「へへ、さっきは遠距離の蜘蛛の糸にやられたけど、こんな見るからにウスノロ相手じゃねえぜ!」


 先ほどの蜘蛛との戦いでも一匹倒していた前衛にいた男子生徒の一人だ。

 全身重武装で身の丈と同じ程の大きさの大槌ハンマーを背負っている。


「喰らえ!【重撃】!」


 大槌を背負う男子生徒はそのまま大きく振りかぶると、衝撃と共に鹿頭の化け物の脚へとスイングした。


――蜘蛛を一撃で葬り去った大槌の一撃はしかし、鹿頭の化け物相手には傷一つ与えられていない様子だった。


「あ…………やば――」


「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」


 咆哮と共に鹿頭の化け物の拳が振り下ろされ、男子生徒が遥か遠くまで吹っ飛ばされていった。


 グシャと遠くで肉が潰れた音が聞こえた。


「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」


 その光景を見て、クラス中がパニックに陥った。


「散り散りに逃げろ!そうすりゃ何人かは生き残れる!!」


 声が張り裂けるほど叫ぶ。

 どれくらいの生徒に聞こえたのかは分からないが、生徒達はバラバラに逃げ出した。


 そこにはもう統制も何も無く、各々がただ生き残るために蜘蛛の子を散らすようにバラバラに森の中へと消えていった。


 そしてこの場に残ったのは俺と一ヵ瀬、そして俺ら目掛けて逃げて来る2名の男子生徒と――それを追いかける鹿頭の化け物だけになった。


 一ヵ瀬と無駄なやり取りをしていたせいで逃げ遅れたな。

 だが見たところあの化け物の脚は生徒達と同じか、それよりちょっと速いくらいだ。今からでも十分に逃げ切れる筈だ。


 問題は一ヵ瀬だが――


「おい、待て……お前ら、何処へ行くんだ……まだ、僕がここにいるじゃないか……」


 地面にへたり込んだまま、焦点のあってない目でうわ言を呟き続けている。


「僕を、置いていくのか……?皆、僕の事を見捨てるんだ、母さんみたいに……はは、はははははははははははは…………」


 壊れたか。

 どのみち一ヵ瀬の足じゃ逃げ切れなかっただろうし、このまま無意識のうちに死ねるならこの異世界ではまだ幸せな死に方だろう。


「ははは、は……………………もういい……良くわかった。もう十分だ」


 一ヶ瀬は小さく呟くと、静かに立ち上がった。

 俺の元へ振り向く頃には既に落ち着き払っており、その目には意志が戻っていた。


「僕は、ずっとお前のことが気に入らなかった。まるで世界の全てが敵で、この世で自分だけしか信じられないとでも言う目をしているお前の事が、ずっと。……でもようやく分かった。お前が正しかった」


「は?いきなり何を…………」


「この目に映るもの全て、信用してはいけない。信用できるのはいつだって、。そうだろう?」


 こいつ、何を急に言い出している?

 それに一ヵ瀬が俺の事を褒めるなんてすこぶる気持ちが悪い。


 何か嫌な予感がする。


「おい、それはどういう――」


「お前ら、そこで止まれ」


 一ヵ瀬は俺に目もくれずこちらへ駆け寄る二人へ語りかけた。


「は?何言ってんだ!?止まったらあの化け物に殺されるだろ!」


「いいから【止まれ】、そしてあの化け物に【突撃しろ】」


 一ヶ瀬がそう言うと、前を走っていた男子は生気を失った人形のようにピタリと動きを止めた。

 そして、くるりと向きを変えて鹿頭の化け物へ向けて走り出した。


「は――?」


 目の前で有り得ない事が起こった。

 今まで必死に化け物から逃げていた生徒が、一ヵ瀬が一言語りかけただけで今度は化け物目掛けて走り始めたのだ。


「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」


 鹿頭目掛けて走り出した男子生徒は鹿頭の拳によって地面へ叩き潰された。

 まだ息があるのか、そもそも原型を残しているのかは分からないが、鹿頭の化け物は地面へ何度も何度も拳を叩きつけている。


「お前はあいつがやられたら次に【戦え】」


 一ヵ瀬が後ろの男子にそう言うと、同じくピタリと動きが止まった。

 その目は虚ろとして、まるで主人の命令を待つ機械のようだった。


「おい、これはいったい――」


 振り返って一ヵ瀬に問い詰めようとしたら、一ヵ瀬は森の中へと去ろうとしているところだった。


「さあ?僕が逃げるまで足止めをして貰っただけだ。可哀想とでも思うなら助けてあげたらどうだ?」


「ふざけ――」


 怒鳴ろうとする俺の言葉を遮って、一ヶ瀬は言葉を続けた。


「……お前とは、もう二度と会うことはないと願っているよ」


 一ヶ瀬はそう言い残すと、振り返ることなく森の中へと消えて行った。


「あの野郎――――!」


 ギリと奥歯が鳴った。

 さっきのうちに殺しておくべきだったか。


 今のが一ヶ瀬の特能ギフト

 他人に命令を聞かせることのできる特能ギフトだろうか?


 だがだとすると疑問が残る。

 なぜその力を俺や日野に使わなかった?

 日野が言うことを聞かなかった時も、俺に大鎌を突き付けられた時も、言葉一つで操ることが出来るならいくらでも使うタイミングがあった筈だ。


 ――あるいはもしかして、何か条件がある?


 そこまで考えて、頭を振って思考が現実へと引き戻す。


 一ヶ瀬が今、俺のことを操れないなら今はどうでもいい話だ。


 それよりも俺も早く逃げないと。

 男子が一ヵ瀬の言葉に操られて鹿頭の化け物に向かって行くのを尻目に、俺も森のより奥深くへと駆け込んで行く。


「助けて!嫌だ!嫌だ!嫌だああああああああああああああああ!!」


 一ヵ瀬の洗脳から解けたのだろうか、男子生徒の悲痛な叫び声が聞こえてくる。

 鹿頭の化け物はまだ、男子生徒を蹂躙しているようだった。


「……………………クソ」


 鹿頭の化け物から逃げて森の中の駆けている最中、背後からはずっと男子生徒の断末魔が聞こえ続けていた。

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