第14話 鹿頭の巨人②

 "鹿頭の化け物"の襲撃から2時間以上が経とうとしている。

 それでも俺はまだこの森の中を駆けていた。


 時空の魔女ロザリアによって変えられたこの身体は、一歩で2~3メートルは跳躍し、こちらの存在に気がついた魔物を次の瞬間には遥か後方に置き去りにしている。それでいて肺機能は全力の疾走にも少しも悲鳴を上げることもない。


 これだけの運動をしても冷静なままの頭を必死に回転させる。


 状況は端的に言って最悪だ。


 自分たちの置かれている状況をまともに理解できていない馬鹿たちが調子に乗った結果、決して怒らせてはいけない相手を怒らせた。

 "鹿の頭に巨人のからだ"。この森の頂点捕食者を目覚めさせてしまった。


 そして2-4の生徒達は瞬く間に蹂躙され、散り散りに逃げることになった。


 もちろんそれは、俺も例外ではない。

 この特能ギフトを以てしても、あの化け物と戦って勝てるイメージは全く湧かない。

 もし一ヵ瀬の口車に乗って戦っていたとしたら今頃は死んでいただろう。


 もはや自分が進んでいる方向も分からないし、"脱出の糸口"なんて悠長なことを言っていられる状況ではなくなった。

 今はただあの化け物から少しでも距離を離せればそれでいい。


「くそ、本当に余計な事をしてくれたな……」


 思わず恨み言を吐くが、それももう意味が無い。


 あの化け物を怒らせた本人たちは先ほど一ヵ瀬の特能ギフトによってその報いを受ける事になったからだ。

 それでも、欠片も気は晴れることはなかった。


 未だに男子生徒の断末魔が頭にこびりついて離れないでいる。



「おい!おい……!雨夜!」


 そんなことを考えながら森の中を移動していると、どこからか呼びかけられた。

 振り返る……が誰もいない。


「なんだ……?」


「違う、そっちじゃない!こっちだこっち!」


 不審に思っていると思いがけない所から声が返ってきた。

 その声はなんと、足元の茂みの向こうからしていたのだった。


「そうそう、こっちだ!助けてくれ!」


 茂みをかき分けて見れば、二人の男子が足を植物の蔓に絡まれて這いつくばっていた。


「えーと、誰だっけ……?」


 顔は思い出せるのだが肝心の名前が思い出せない。

 確か一ヵ瀬の取り巻きのうちの二人だ。

 一ヵ瀬の取り巻きはやたら多いからいまいち顔と名前が一致しないんだよな。


「"安達"と"名護"だよ!」


 考え込んで黙っていると、太ったほうの男子……たぶん安達が苛つきながら答えた。

 そう言えばそんな名前の奴がいたな。

 興味が無さ過ぎて忘れていた。


 ……俺がクラスで孤立していたのも、きっとこういうところもあるんだろうな。

 一ヶ瀬に指摘されて反省するのは癪だが、実際こういうトラブルでさっきは殺し合いになりかけた訳だし、少しずつ直していかないといけないかもしれない。

 

「ああ、思い出した、安達。……それで、何か用か?」


「『何の用』って見てわかるだろ!?俺達捕まってるんだよ!」


 ……前言撤回。やっぱり名前を覚える必要も無いな。

 捕まってるという割には大声も出せるし随分と余裕がありそうなものだ。


「……それで?」


「『それで』じゃねえだろ!?さっきから鈍いな!見てないで助けろよ!」


「…………」


 正直近づきたくないな。

 向こうは這いつくばっている訳でその……角度的に、


 ……いや、自意識過剰なのは分かるよ。

 俺だってこの森の化け物モンスターと戦ってる時はそんなこといちいち気にしていない。

 でも人間相手に見せるのは違うじゃん。元が男な分、余計に気にしちゃうじゃん。


「た、助けてくれ……頼むよ……」


 そんなことを考えていると、やせ細った和服を来た男子生徒……たぶん名護が今にも泣きそうな顔で懇願してきた。

 右手に持っている日本刀……あの化け物がやってくる直前に蜘蛛の群れと戦った時に前衛の中にいた一人だ。

 安達よりは名護の方が話が通じそうだな。


 周囲を見渡してみれば、少し向こうに林檎に似た果実が実っている。

 ははあ、を食べようとしてこの蔓に捕まったのか。


「植物の蔓が足に巻き付いているだけだろ?名護はさっき蜘蛛を倒した時に強そうな特能ギフトを使っていたじゃないか。真空斬だっけ?あれを使って蔓を切ればいいんじゃないのか?」


「それが使えたらお前に頼む訳無いだろ!!」

 

 何故か隣で話を聞いていた安達が切れた。


 お前に聞いてないわ。お前の隣にいる名護に聞いてるんだよ。

 強そうな特能ギフトを持ってる名護より安達の方が遥かに偉そうなのには納得がいかなかった。


 ……段々面倒くさくなってきたな。もう見なかった事にしようかな。


「……あっ、いや、この蔓に特能ギフトの力も吸い取られているみたいなんだよ。力も入らないし、特能も使えないしでさ……助けてくれないか?」


 どうやら俺の気持ちを悟ったらしい、名護がしおらしく説明した。


 言われてよく見ると安達と名護に巻き付いている蔓の先には綿毛のようなものが付いている。

 どうもこの綿毛に力?を吸い取られているらしい。


 たぶん向こうの果実目当てに近づいて来た生き物に蔓が巻き付いて逆に栄養が吸い取るって感じかな。

 この世界の物に不用意に近づくからこうなる。

 ……いや、よく分からない祭壇から拾った大鎌を使っている俺が言えたことではないか。


「別に死にはしないんじゃないか。周囲に動物らしき骨は落ちていないし」


「……は?」


 そう告げたら安達がぽかんという顔をした。


「骨ごと吸収するタイプなら話は別だけどな」と付け加えようとしてやめた。

 言ったらまた騒がしそうだ。


「俺も近づいたらその蔓に巻き付かれるかもだし、別にこれで死ぬ危険がない以上、自分たちでどうにかしてくれ」


 きっぱりと告げた。

 俺だって特能ギフトの力が無かったらただのか弱い美少女だ。

 わざわざ危険リスクを冒してまで助ける義理がない。


「分かった!分かった!謝る!謝るから行かないでくれ!!」


 それだけ言って去ろうとしたら、今度は安達が半泣きになって懇願してきた。

 なるほど、あの強気は不安さの裏返しだったのか。

 最初から素直に頼め。


「助けてくれたら今ここで俺の特能も使ってやるから!」


 安達が勘弁してくれとばかりに言った。

 別に対価が欲しかった訳じゃないんだが……まあ良いや、聞くだけ聞いてみるか。


特能ギフトが何だって?」


「俺の特能ギフトは人でも何でも、生き物ならなんでも一体だけマーキングができるんだ。自分から見てマーキングした相手の方向と距離、周囲の様子が見れるんだ」


 それって"マーキング"って言うか"ストーキング"じゃ……

 口に出そうとしておいてやめた。わざわざ不機嫌にさせる必要もない。


「へえ……ん?今、生き物なら何でもって言ったのか?」


 驚いて聞き返した。

 安達はさらっと言っていたがとんでもないことを口走った。

 "生き物なら何でも"、ということならつまり――


「ああ、俺はあの鹿みてえな化け物をマーキングしている」


「お、おお!!すごい特能ギフトじゃないか!!」


 驚いてつい褒めると、安達は照れくさそうに頬をかいた。


「ヘヘ、中身が雨夜でも、美少女に褒められるのは悪い気がしねえな……」


 少し頬を染めながら言ったのを見て心の中で少し引いた。

 後でこっそり俺にその特能ギフト使ったりしないだろうな。


「話は纏まっただろ!?早く助けてくれ!さっきからいつあの鹿の化け物が襲ってくるか気が気じゃないんだよ!!」


 隣で話を聞いていた名護が悲痛な叫びを上げた。

 確かにあの化け物が闊歩している状態で蔓に足を取られて身動きができなかったら不安にもなるか。少し悪いことをした気分になった。


「分かった分かった。今助けてやるからふたりとも足伸ばせ」


「え?それってどういう――」


 そう言って安達と名護に足を伸ばさせると――


「オラァ!!!」


「「うわああああああああああああああ!?」」


 思い切り真紅の大鎌を振り下ろして地面から伸びる蔓を切断した。

 安達と名護から今日一番の悲鳴が上がった。


「あ、足を切り落とされるかと思った……」


 安達は何度も自分の足を擦りながら無事を確認している。切り落としてないって言ってるだろ。


「で、さっそくだが今、特能ギフトは使えそうか?」


「……ああ、大丈夫そうだ。じゃあ今から使うけどいくつか言っておく事があるから聞いてくれ」


 安達はそう言うと真剣な表情をして言葉を続けた。


「まず、俺の特能は使用中は常に集中していないといけないから一切動けない。化け物が来たら守ってくれ」


 便利そうだと思ったけど微妙に不便だな。

 名護と一緒に行動しているのは特能ギフトの使用中、身を守ってもらうためだろうか。


「で、次に俺の特能は一回使ったら1時間は間隔を空けなきゃ再度使用出来ない。つまり、今特能を使ったら俺は1時間はただのかわいいベイヴだ」


「分かった」


 安達の渾身の自虐ネタをスルーしながら頷いた。

 安達は少し悲しそうだった。


「よし、じゃあ使うぞ……」


 そう言って安達が目を閉じた。

 そして次の瞬間には安達の顔が真っ青になった。


「ヤバい……ヤバいヤバいヤバい!滅茶苦茶近い!!……っていうか今まさにこっちへ近づいて来ている!」


 マジか……何だってこんな広い森の中で何度も遭遇する事になるんだ。


「今すぐ逃げよう!」


 名護が顔面を蒼白にさせながら安達の腕を引っ張った。


「待て!俺のマーキングは標的の周囲の様子も分かるんだ……あの化け物が誰かを追いかけながらこっちに来ているんだ」


 安達はそう言いながら目を閉じて集中を続けた。

 そして数秒ほどでぱっと目を開けて言った。


「白鳥さんと日野だ!!」


「…………そうか」

 

「もう限界だ!!安達!今すぐ逃げよう!!」


 今にも泣きそうな顔で名護がぐいぐいと安達の腕を引っ張る。

 しかし――


「いや……もう遅いみたいだ」


「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」


 振り返れば、天を衝くようなけたたましい雄たけびと、木々を破壊なぎ倒しながら、何かがこちらに近づいてくる音が聞えてきた。


 そして正面からは――


「よお、ハニー……さっきぶり、だ…な……」


 白鳥を背中に担ぎながら、ボロボロになった日野がやってきた。







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