第5話 スキル

 大蜘蛛を倒した後、疲労感と達成感に満たされてしばらく仰向けになって空を眺めていたが、そういえば蜘蛛は死んだときに卵を放出すると聞いたことがあるのを思い出して慌てて飛び起きた。


 しばらく大鎌を構えたまま警戒していたが、どうやら杞憂だったらしい、蜘蛛の死体はピクリとも動かなかった。

 ……杞憂で本当に良かった。


 改めて、足を丸めたまま動かなくなった蜘蛛の死骸を眺める。


「この森、想像していたよりも遥かにヤバイな……」


 だがようやくこれではっきりした。ロザリアの言っていた"直ぐに死ぬ"とはこういうことだ。

 おそらく、この森の中にはこんな化け物が潜んでいるのだ。


 俺が遭遇したこの蜘蛛だけが特別というわけでも無いだろうし、何よりあの態度……俺たちに微塵も期待してない様子からして他にもウジャウジャいるのだろう。

 こんな化け物がいる所に送り込むのだから、そりゃあ俺たちが生き残ることなんて期待してない訳だ。碌に説明する気もないロザリアのあの態度にも合点がいった。

 

 問題は、この蜘蛛がこの森の生態系のどれくらいに位置するのかということだ。

 もちろん頂点捕食者なら良し。というより頂点捕食者であってくれないと本当に困る。


 まずいのがこの蜘蛛が食物連鎖の下位に位置していた場合だ。このサイズの生き物を捕食する更に強大な化け物がいるということになる。

 この蜘蛛一匹倒すのにすら命がけだというのに、これより強いとなるといよいよ勝ち目がない。


「はあ……前途多難だな」


 困ったな。生死の危険を侵して手に入った物と言えば蜘蛛の死骸一つ。全くもって割に合わない。

 食糧事情も結局改善されていないのでプラスマイナスゼロ、いや激しく動いたせいでちょっとお腹が空いたのでむしろマイナスだ。


 割とお先真っ暗な先行きに早くも沈みかけながらぼんやりと蜘蛛の死体を眺めていると、妙な感覚を感じた。


「……なんだ?蜘蛛の死体が光ってる……俺の右手もだ。蜘蛛の死体に向かって引き寄せられているのか……?」


 蜘蛛の死体に、まるでこの身体が呼応しているような感覚があった。

 引き寄せられるままに倒した蜘蛛の死体に近づくと、無意識のうちに右手を蜘蛛の方に向けていた。


 そして、気づいたときには"頭の中に浮かんだ言葉"を呟いていた。


「……【魂の収穫ソウルハーベスト】」


 "その言葉"を口にした瞬間、蜘蛛の死体から黒く光り輝く何かが浮かび上がって、こちらへ向かって吸い寄せられてきた。

 そしてその黒い光は吸い込まれていくように、かざした右手に取り込まれていった。

 瞬間、身体の奥底から何か力が湧いてくるような感覚がした。気づけば空腹も満たされている。


「……は?何が起こった……?」


 慌てて"何か"を取り込んだ右手を確認するが、いつの間にか黒い光は消えていて、まるで今の事が嘘だったかのように何ともない。


 今のは疲れが見せた幻覚だったのだろうか?

 しかし、身体の奥から力が湧いてくるような感覚は今もまだ続いている。



 ……俺はさっき、無意識に何て口にした?


 ""?いったい何を――――?


 ――……"ソウル"?


「何なんだよ一体……それにこの身体も……」


 蜘蛛と戦ったときに俺が駆け抜けた跡を見れば、


 俺は、ずっと祭壇で拾ったこの真紅の大鎌が軽いのだと思っていた。それこそ女子の筋力でも持ち上げられるほどに。

 しかし、実際は逆だった。

 この大鎌が軽かったのではなく、この大鎌を持ち上げられるほどに力が強くなっていたのだ。


 あの大蜘蛛をまるでバターみたいに切り裂く大鎌を振り回すことのできる腕力、踏み込んだだけで蜘蛛との距離、少なく見積もっても10mの距離を一瞬で詰めることができる脚力、凄まじい速度で放たれる蜘蛛の糸を見切ることのできる動体視力、それら全てが軽く人間離れしている。


 それに俺が今無意識に発動したこの能力と、祭壇の上で見つけた真紅の大鎌、そしてこの格好――


 ……俺は一体、何になったんだろうか?



◇◇



「失礼します!エリシア=ユーヴネル、ただ今参上しましたっ!!」


 豪奢な装飾の施された扉を、銀髪の騎士がノックをすることもなく慌ただしくガチャガチャと開けて入ってきた。

 よほど急いできたのか、銀髪の騎士の頬には汗がしたたり、息苦しそうにゼエゼエと息を切らしている。


 先に部屋の中で座っていた金髪の淑女はというと、その無作法を咎めるでもなくニコリとほほ笑んだ。


「エリシア、よく来てくれました」


「お待たせしてしまい申し訳ございません!それにしてもフラメア様がわざわざこの街までいらっしゃるなんて……用事があるのでしたら私の方から王都へ向かったのですが……」


「貴女のことを呼びつけるだなんて真似は私にも出来ませんよ。それに、この件は一刻を争うので私が直接伝えに来た方が早いでしょう」


「いえ、そんな!フラメア様のお呼びとあれば例えいつでも!!」


 銀髪の騎士――エリシアが両手を振りながら慌てて訂正する。

 この街に来て半年、いまだに知り合いの一人もできていないし、人に話しかけるのも怖いので日がな一人きり酒場で冒険者たちの噂話に耳を立てているだけとは口が裂けても言えないな、と心の中でエリシアが思う。


「そ、それで一刻を争う事態とはいったいどのような件でしょうか?」


「はい。明け方、"ユスティニアの森"で膨大な魔力の放出と、大規模な時空の歪みが観測されました」


 ユスティニアの森と言えばエリシアの派遣されているこの街から南西に半日ほど歩いた先にある巨大な森のことだ。

 森の中は"人喰蜘蛛マンイーター"をはじめ狂暴な魔物たちの住処になっており、一度奥まで入ってしまったが最後、高ランクの冒険者でもない限り無事には帰ってこれない場所だ。


「王都で魔力の調査をしていた観測チームが顔色を変えて報告をしに来たのですが……此方では何か不自然な兆候はありませんでしたか?」


 ギクっとエリシアの顔が固まった。

 そういえば朝方にちょっとした地震があったような……?


 しかし、その時間は友達ができないのに不貞腐れて夜中からずっとシードルを飲んで酔っ払っていたとは口が裂けても言えるはずがない。


 誤魔化すことにエリシアは決めた。


「は、はい!その時間にはこちらでも小規模な地震がありました!しかし一瞬のことだったのと発生地が不明でしたためとりあえず様子を見ることにしました!」


 エリシアが姿勢を正してキリッとした表情で答える。

 フラメアは満足そうに一度うなずくと、笑顔のままエリシアにずいと顔を近づけた。


「報告は?」


「後回しにしようと思ってましたあ……」


「……貴女のことですから酔っ払って寝ていたのか、一晩中飲んでいたのでしょう。貴女の職責の重さを考えれば酒を飲むなとはいいませんが、酒に飲まれるのは未熟者のすることです」


「はいい……すみません」


 フラメアの説教にエリシアががっくりと肩を落として返事をする。

 その様子を見ながらフラメアが軽く咳ばらいをすると話を戻した。


「つまり、"時空の扉が開かれた"可能性が高いということです」


「それって……」


「はい、そんなことをできるのは"時空の魔女"のほかにいません。数十年ぶりの《来訪者》がユスティニアの森に飛ばされているかもしれないということです。もしそうであるなら貴女の出番になります」


 その言葉を聞いた途端、エリシアの表情が強張った。


 《来訪者》――それは、何らかの原因で別の世界からこの世界に迷い込んできた人間のことだ。

 その殆どは"時空の魔女ロザリア"によってこの世界に連れてこられた人間たちで、例に漏れることなく【特能ギフト】という異能の力を与えられている。


「"時空の魔女"が彼ら《来訪者》達に授ける特能ギフトの力は強大です。そして、彼らがその力をどのように振るうかは誰にも予想がつきません。その力を正しく世のために使うかもしれませんし、或いは力に溺れて意のままに他者に振るうかもしれません」


 険しい表情を崩さないまま、フラメアは言葉を続ける。


「ですが、罪のない人々が、自らを守る術すら持たない人々が、まるで玩具のように蹂躙され弄ばれるのを決して許してはなりません。我々はそれをさせないために存在しているのです」


 フラメアの言葉にエリシアは黙って頷いた。


「フラメア=ヒルグレッドよりエリシア=ユーヴネルに命令します。至急ユスティニアの森に赴き《来訪者》を確保しなさい。彼らがこの世界に災いをもたらす存在か、それとも善なる隣人かは貴女が見極め、判断するのです。そして邪悪な存在であると判断したのならばその場で処分しなさい」


「はっ!!」


 エリシアは躊躇うことなく頷いた。

 フラメアに頭を下げ、そのまま部屋を出ようとドアノブに手をかけたエリシアを、フラメアが呼び止めた。


「くれぐれも気をつけて。貴女なら万に一つも遅れを取ることはないでしょうが、近ごろはケントゥリオの目撃例も出ています。……もし仮に、あれが最深部から出て来ているなら、。その時は、何よりも帰還を優先するように」



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