第3話 "ギフト"
「女になってる…………」
駆け込んだ水面に映っていたのは、見慣れた俺の顔ではなどなく、
何を言っているのか分からないと思うが、俺にも何が起こっているのか分からなかった。
「…………」
水面に向かって手を振ってみる。
俺が動けば、水面に映る
水面に映っている少女が、俺であることは間違いないようだ。
ある日いきなり魔女を名乗る女が現れて、異世界とやらに連れてこられたと思ったら、今度は身体を変えられて……
あ、頭が破裂しそうだ……
「お、落ち着け、思い出せ……そもそも人生は理不尽の連続だ……冷静になれ……くそっ!声が高い!!」
拳を地面に叩きつける。痛い。痛みで少し冷静になってきた。
ずっと声が変だと思っていたがやっと納得がいった。喉の調子が悪いのではなく、そもそも声が変わっていたらしい。
「……………………」
今度は身体を捻ったりしながら、改めて水面に映る自分の姿を確認する。
長い黒髪に、赤色の瞳。見た目は誰もが振り向きそうな美少女。
服装は
「なんなんだよ、このスカートは……」
なにより、スカートが短すぎる。
膝上 30cm だったか、クラスの女子のスカートについてよくあんなもの履けるなと思っていたけれど、それと同じくらい短い。
股がスースーして冷たい上に少し動いただけで見えてしまうんじゃないかと不安になってくる。周りには誰もいないけど。
スカートの辺りまで隠してくれている黒の外套は、何があっても人前では脱がないことを決めた。
「いったい何が起こってる……?どうしてこうなった…………?」
確かに、起きてからずっと身体の違和感はあった。
それに時空の魔女ロザリアは俺たちを異世界に送るとは言っていた。だけど異世界とやらに送るのと、俺の身体が
「――――【
転移の前、俺たちを異世界に送った時空の魔女ロザリアは『【
その時は何のことを言っているのかさっぱり分からなかったが、これがその
仮にそうだとして、これはなんの
「なんでもありかよ……すごいな"異世界"。はは、ははは……」
乾いた笑いまで出てきた。というより、もう笑うしかなかった。
「ははははは、はあ……」
思わず地面にへたり込んで、クシャと髪を握った。
艶のある長い髪が乱れて、視界の半分を遮った。
……いったい
元の世界でさえあの有様だというのに、全く知らない世界に、慣れない身体、これでどうやって生きていける?
一つ乗り越えたと思ってもすぐにこうだ。
次から次へと、理不尽ばかりが振りかかる。
「…………クソ」
思わず口から漏れた独り言が、誰もいない森の中で空しく響いた。
「……………………」
しばらくの間、そのままうずくまっていた。
食糧を探しに行かないといけないとは分かっていても、それでもこの現状を受け入れるためには、時間が必要だった。
そのまま呆然とその辺りを眺めていると、何かが視界の隅で煌めいていることに気がついた。
「なんだあれ……」
目を凝らして眺めると、それが朽ちかけた倒木に立てかけられている"鎌"なのだと分かった。
「なんでこんなところに鎌が……いや、異世界に飛ばされるし見た目はこんなんにされるし何でもアリか……」
この森にやって来た誰かの持ち物だったのだろうか。こんな森の中だ。まさか草刈りにでも持ってきた訳じゃないだろう。
捨てられたか、それとも俺のように迷い込んで持ち主はもう死んでいるか。
「……………………」
『あんなどう見ても怪しい物に近づくべきじゃない』と、そう頭では理解していても、まるで吸い込まれるようにふらふらとその鎌に歩み寄っていた。
近づいて見る鎌はさらに"異質"だった。
真っすぐに伸びる長柄は黒に塗りつぶされ、その先から伸びる湾曲した刃は血に濡れたように赤みがかかっている。
「……………………」
気がつけば俺は、その鎌に向かって手を伸ばしていた。
「うっ……!」
次の瞬間、ドロリとした
恐怖、不安、怒り、そして絶望。ドロドロとした暗い感情が、深紅の大鎌を通して頭の中で渦巻くように俺の中に押し寄せた。
しかし、それでも何故か、この鎌を握る手を離すことができなかった。
誘われるようにそのまま拾い上げてみると、それが思っていたよりも遥かに軽いことに気が付く。
持ち上げるのに問題ないどころか、このまま振り回すことさえできそうな軽さだった。
「…………」
外套の袖をめくり、ほんの数センチ程度、大鎌の刃を手首の上で滑らすと、雪のように白い皮膚に僅かに鮮血が滴った。
「
異世界も本当、
大鎌を手に取った時から、これから待ち受けているであろうこの世界での過酷な未来を想像する度に、何かが頭の中で囁いてくる。
『どうせ何割かはすぐに死ぬ』――
言葉の真意は分からない。
ロザリアが気分でそう言っただけかもしれないし。現代の生活に慣れてしまった俺達にサバイバルなんてできないだろうというニュアンスかもしれない。
だが、もし本当にあの教室にいた何割かが直ぐにでも死ぬような世界ならば――
人が簡単に死んでいくような過酷な世界で、この容姿だ。
ただ死ぬというだけならまだマシだ。
『そんな事になるくらいなら、いっそのこと――』
俺はほとんど無意識のうちに、拾った深紅の大鎌の刃先を自分の首元に当てていた。
大鎌の刃の無機質で冷たい感触が、触れた箇所から首筋の体温を奪っていく。
あとはここから僅かに大鎌を引くだけで――
「……………………」
大鎌の柄を握る手に力を込めるのとほとんど同時に、近くの茂みがガサと揺れ動いた。
その瞬間、夢から覚めたように思考が一気に現実に引き戻され、咄嗟に大鎌を地面へと放り投げた。
「はっ……!?はぁ……はぁ……!」
汗が一気に噴き出してくる。心臓がバクバクと音を立て、それが全身に鳴り響いている。呼吸が荒い。首筋を嫌な汗が伝っていくのが分かった。
(
確かに、この状況やこの身体のこと、この先のことについて考えて多少感傷的にはなっていた。
「……違う、今のは、
どう考えたって、今のは普通じゃなかった。
おかしくなったのはこの大鎌を握ったあたりからだ。あの大鎌に触れた瞬間から、俺の中の
そうじゃなければ、そもそも自分の身体でこの鎌が本物かどうか試すこと自体がおかしい。
行動だけじゃない。思考さえ、あの大鎌に支配されかけていた。
……まるで、あの大鎌が意思を持っているかのように。
「この身体と言い、この鎌と言い、いったいなんなんだこの世界は……」
恨み事を吐きながら地面へと放り投げた大鎌へ視線を向ける。
深紅の大鎌の刃先は、今でも甘美な世界へと誘うように禍々しく輝いていた。
だけど――もし、あそこに落ちていたのが何の変哲もないナイフでも、同じ選択をしようとはしなかったか?
「……これ以上考えるのはやめよう。今はそれよりも――」
そんなことよりも考えなければいけないのは、今も視界の端で揺れ続けている茂み。
「……どうする?隠れるか、それとも一目散に逃げるか……」
今すぐ一目散に走って逃げだせば茂みの向こうにいる"何か"に見つかるよりも先に逃げ切れると思う。
しかし一方で別の考えも頭をよぎった。
『茂みの向こうにいる”何か”は少なくとも人間や、大型の動物ではない』ということ。
なぜなら向こうで揺れている茂みは、せいぜい今の俺の腰まで程度の高さしかなく、人や大型動物の姿が隠れてしまえるような高さではない。
茂みの上には何も見えていないので、せいぜい茂み程度の大きさしかないだろうということだ。
もしかして、これは
ウサギや鳥、可哀そうだがリスのような生き物ならば今の俺でも狩ることはできるんじゃないだろうか。そうすれば後は何とかして火を起こすだけだ。
「……………………」
思考は、”食糧の確保”に傾いた。
餓死という差し迫る危険がある以上、まずはそれを回避することが先決だと思った。
揺れている茂みに意識を集中させ、いつでも茂みに向かって走り出せるように、もしくは最悪逃げられるように構える。
そして、程なくして俺はロザリアの言っていた言葉の意味を理解することになった。
「…………なっ――!」
突然、茂みから飛び出してきた物を見て背筋は凍り付いた。
茂みの中から出てきたのは、ウサギでも鳥でもましてはリスなどではない。
「フシュルルルルルルル……」
茂みから出てきたのは、
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