第16話 ひよわな私のお給仕生活
お昼の鐘が鳴った。この鐘とともに、働いている人たちはいっせいに休憩に入る。
ライカ亭のような食事処にとっては稼ぎ時、つまりとっても忙しい時間帯に突入するのだ。
「いらっしゃいませ。お一人様ですね。カウンター席へどうぞ」
お客さんはひっきりなしに訪れる。私は一人客をカウンターへ案内しながら、テーブル席の様子をちらりと確認した。
空きは4番テーブル。2番はもう食事を終えている。バッシングしておこう。3番は二人の食事のペースが違うので状況次第で。
「おや、お姉さん見ない顔だね。新人さんかい?」
「ええと、今日は臨時でお手伝いさせてもらってるだけなんです」
「ほ~。こんな美人さんがいるならおじさん毎日通っちゃうんだけどなあ」
注文を聞きながらお客さんに愛想笑いを返していると、荒々しい足音が近づいてきた。
「ちょっとそこ! いまシホに触ろうとしたでしょ!」
「なんだあんた、なにをするんだ――ぐえーっ!」
「く、クリスさん!? なにしてるんですか!」
クリスがいきなりお客さんの胸ぐらを掴んで投げ飛ばそうとしたので必死に止める。解放されたお客さんは苦しそうに咳き込んでいた。
「申し訳ありません! 大丈夫ですか?」
「あ、ああ、なに、これでもおじさん冒険者やってるからな。こんなのはなれっこさ」
幸い、優しいお客さんだったので許してもらえたけど、お客さんに暴力なんて……。と思っていたら、クリスはリルカに引っ張られてバックヤードに連れて行かれた。
戻ってきたクリスは「なによ。わたしが悪いっていうわけ?」とつぶやきながらふてくされていた。怒られたらしい。
それからクリスは暴力こそ振るわなくなったものの、私が接客しているお客さんに対して口出しをしはじめた。
お客さんと世間話をすれば「注文は5秒以内に済ませなさい!」と怒鳴りつけ、
注文しようとこっちを見ていたお客さんには「じろじろ見てるんじゃないわよ! 投げ飛ばすわよ!」と脅し、
お客さん同士で談笑しているテーブルに向かって「そこ! うるさい!」と威圧する。
リルカがたしなめるも効果はあまりなく、ホールの中央でクリスが睨みを効かせていると入店しようとしたお客さんもびっくりして引き返してしまい、少しずつお客さんの数が減っていった。
「ふうっ。やっと静かになったわね。安心しなさい、シホ! わたしが居る限りこの店の平和は守るわ!」
クリスは満足そうな笑顔を私に向けて額の汗をぬぐった。
「お客さん、いなくなっちゃいましたけど……」
「うん……。あっ、おかーさん」
お昼といえば稼ぎ時なのに、この状態はまずいんじゃないんじゃないかなあ。
手の空いたキッチンからライラが出てきた。いつものように優しげな微笑みを浮かべているけど、その目は笑っていなかった。
「クリスちゃ~ん。ちょっとこっちに来てくれる?」
「いいわよ! なにかしら!」
晴れ晴れとした足取りでライラのあとについていったクリスは、戻ってきたときにはふくれっつらをして、エプロンも着けていなかった。
「なによ……わたし悪くないのに」
「クリスさん――」
話しかけようとしてぎょっとする。クリスが、うっすらと目に涙を浮かべていた。
一体何があったんだろう……。
クリスはちらりと私に目を向けると、慌てたように涙を拭き取った。
「べ、別になんでもないから! ただ、今日はちょっと他のことをすることにしたの! ライラに言われなくても最初からそうするつもりだったし!」
強がって言っているけど、つまりはクビになったということだろう。
「……クリスさん、人には向き不向きがありますから」
「わかってるわよ! いまに見てなさい、絶対見返してやるんだからっ!」
「待ってください、クリスさん。どこへ――」
「夜までには戻るわ!」
だだだっと勢いよく走って外に行ってしまった。
「ちょっと言い過ぎちゃったかしら……」
いつの間にか後ろに立っていたライラが反省するようにつぶやいた。
クリスが出ていってからは、こう言うのもなんだけど、とてもスムーズに仕事ができた。
ピークは過ぎたものの、少し時間をずらしてお昼ご飯を食べに来る人も少なくはない。テーブルの清掃や食器の準備などやることは多く、慌ただしく時間が過ぎていく。
あとになって思えば、クリスのことはもう少しフォローしてあげればよかったかもしれない。
色々と無茶なことはしていたけど、クリスなりによかれと思っての行動だったんだろうし……。
ようやく一息つけたのはそれからしばらく経ってからのことだった。扉に準備中の札をかけ、掃除をしてからカウンターの席に腰掛ける。
大変だったけど、疲労感は思ったよりも少ない。不思議なもので、効率のいい動き方を体が知っているような感じだった。
「本当にありがとう、シホちゃん。ゆっくり休んでね。……それでね、できればなんだけど……夕方の時間帯も少しだけお願いできないかしら。途中から来てくれる子がいるから、どうしてもっていうわけじゃないんだけど」
ライラが申し訳無さそうに言いながら、私の前に料理の盛り付けられたお皿をいくつも並べていく。どれも大盛りで、とても美味しそうだ。
「いいですよ。もともとそのつもりでしたから。それより、こちらの美味しそうなごはんは……?」
「本当? よかった。これはね、まかないご飯。がんばってくれたお礼だから遠慮しないで食べてね。あっ、もちろんお給料もあとでちゃんと渡すから」
「えーっ、いいんですか!? わーっ、私がんばります!」
働いたあとに食べるまかないご飯は、いつも食べているご飯よりも一段と美味しく感じられた。
ディナータイムになると、お酒の提供数が増えるようだった。お客さんの滞在時間が長めになってお昼のような慌ただしさは感じないものの、これはこれでまた別種の忙しさがあった。
しばらくすると交代のスタッフが来たので、彼女に仕事を引き継いで私の役目は終わりとなった。
「本当にありがとう、シホちゃん。今日はとっても助かっちゃった」
「ライラさんにはいつも美味しいご飯を食べさせてもらってますから、お役に立てて良かったです」
「じゃあこれ、あんまり多くはないけど今日のお手当」
「わあ、ありがとうございます!」
手渡されたのは紙に包まれた数枚の硬貨だった。
私が自分の力で得た初めてのお金だ。ずっしりと重たく感じる。
お給料に感動していると、ライラが少し真面目な顔をして言った。
「シホちゃん。もしよかったら、これからもうちのお店で働いてくれない? 返事はすぐじゃなくてもいいの。シホちゃんにもいろいろ都合があると思うし、今日のお給料を見て考えてほしいから。あっ、でも今日みたいにまかないは好きに食べていいし従業員割引もあるから、きっとシホちゃんにはお得だと思うの」
「えっ……すごい……。お金をもらえてご飯まで食べ放題だなんて……!?」
「た、食べ放題は、ちょっとこまっちゃうかな~……」
こんないい条件、ほかにあるわけがない。
「私、ここで働きます! 働かせてください!」
私はライラの手を胸の前でぎゅっと握りしめた。
「えっ、えっ」
ライラの目を見つめて、真剣に頼み込んだ。
「お願いします、ライラさん……!」
「は、はい……」
「やったあ! ありがとうございます、ライラさん」
仕事を得られた安心感と喜びに小さくガッツポーズをしていると、ライラが脱力したように壁によりかかった。
ずれたエプロンを直すライラの顔は火照ったように赤みがさしている。
「もう……だめよ、シホちゃん。誰にでもこんな頼み方しちゃ。……なんだか久しぶりに熱くなってきちゃった」
私たちがいま話をしているキッチンは、換気が行き届いているのでそんなに暑くはないと思う。
顔を手でぱたぱたと仰ぎながら、ライラがふと思い出したように言った。
「あ、そうそう、働いてくれるとなったら言っておかなくちゃ。うちはね、住み込みで働いてくれる人のための部屋があるの。ちょうどいまは誰も使ってなくて空き部屋になっちゃってるから、シホちゃんが使ってくれたら嬉しいなって思って。ほら、クリスちゃんの部屋に二人だと、やっぱりちょっと狭いでしょう?」
「えっ」
予想外の提案に思考が止まる。
給料と従業員割引、そして無料で住むことができる部屋。降って湧いたような話だ。
クリスから離れて一人の部屋に引っ越す。
数時間前に何の気無しに言った言葉が、現実味を帯びて目の前に転がっているのだった。
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