第15話 シホ、働く

「私、働こうと思うんです」

「何よ、いきなり」


 私がこの宿に来て、すでに5日が経っていた。

 その間、クリスに町を案内してもらったり一緒に買い物をしたり、食べて、寝て、また寝てみたり。そんな日々を過ごしていた。

 それはそれで楽しいんだけど……

 

「こうしていつまでもクリスさんのお世話になっているのは良くないと思うんです」

「別に悪いことなんかなんにもないじゃない」

「クリスさんだって、私にずっと付き合ってくれてますけど、大丈夫なんですか? お仕事とか」


 私が尋ねると、クリスは勝ち誇ったような笑みを浮かべてなだらかな胸を張った。


「仕事……? ふふん。自慢じゃないけど、わたし三ツ星冒険者なのよ」

「それは知ってますよ」

「わたしくらいになると、10日に一度でも仕事をすれば寝ててもお釣りがくるのよ。シホと分けた報酬だってまだ残ってるし」

「そういえば、あれ結構な金額でしたよね」


 私はまだ金銭感覚がつかめていないけど、ここの宿代や食事代で計算しても50日分を越える額だった。私の預かったお金は半分なので、クリスの報酬はその倍額はあったということだ。

 しかも、あとから聞いた話では、このライカ亭は高級宿とまではいかないまでも平均よりかなり上のランクなのだという。

 クリスが言った。

 

「わたし、余計な仕事はしない主義なの」


 つまり、働きたくない。ということらしい。

 まあ能力に見合った稼ぎなのだから、それに関して私がとやかく言うことはない。

 

「クリスさんはいいですけど。私はあまりのんびりしているとお金がなくなってしまいそうなので」


 いまはクリスの好意に甘えて居候させてもらっている。おかげで宿代は半分で済んでいるけど、毎日の食事代で私の持っているお金――というかクリスから預かったお金は目減りしていた。

 

「だから、シホがお金を出さなくてもわたしが払うって言ってるじゃない」

「そういうわけにはいきませんよ」


 私はお皿に残ったソースをパンでぬぐってぱくついた。あまり上品な食べ方ではないかもしれないけど、美味しいから仕方ない。

 

「クリスさんにお金を出してもらう理由がありません。そもそも、いま私が使ってるお金だってクリスさんから借りたお金なんですから。ちゃんと返済するためにも働かないと」

「……………………」


 クリスはむすーっとして黙り込んでしまった。

 私はデザートの果物をぱくつきながら言った。

 

「いろいろ見てみたんですが、家賃の安いところなら一人暮らしをしても収入と折り合いがつくみたいです」


 私にもできそうな仕事はないものかとクリスに求人票を見てもらったことがあったけど、正直言ってあまり高い収入は得られそうになかった。

 なにより読み書きができないというのが痛い。目下勉強中ではあるんだけど、一朝一夕でマスターできるようなものでもないし。

 

「ひっ、一人暮らし……!?」


 クリスが椅子から立ち上がって私の目を見た。

 正気か? と言わんばかりだ。

 

「よくないわよ、一人暮らしは! 危ないわ! 安いところだと治安だって悪いし、シホ一人なんてだめ! 絶対だめよ!」


 すごい剣幕でクリスが一人暮らしに反対する。

 私はどうどうとクリスの勢いをおさえながら言った。


「そうすると決めたわけじゃないんですよ。できれば私もここに居たいです。だって、ご飯が美味しいじゃないですか……。他のお店でも食べましたけど、やっぱり一番はこのお店ですね。しかも、泊まってると割引もありますし」


 そうなのだ。町の大衆レストランとしてもかなりの人気を誇るこの食堂は、宿の客であればなんと半額で好きなメニューを食べることができてしまう。どれだけ食べても半額。これは他のものには代えがたい魅力だった。いくら安宿に泊まっても食事が通常の額になるとむしろ出費が増えてしまうかもしれない。それではまるで意味がない。

 といって食事のグレードを落とすのは……。良いものに慣れてしまうと後がつらいというけど、こういうことなんだなあ。

 

 私の話を聞いて、クリスがすとんと椅子に腰を下ろした。


「……なんだ。じゃあここにいればいいじゃない」

「ここで暮らしていけるほどお金をもらえる仕事って、なかなかないんですよ」

 

 現実は世知辛いのだ。

 

「だからわたしが…………」


 クリスが、むー、と口を尖らせて押し黙る。クリスがお金を出すと言えば私が反対するのがわかっているからだ。

 

「どこかに都合のいい仕事はないものでしょうか」



 厨房から話し声が聞こえた。店主のライラの声だ。


「ええっ? これから隣町へ? 妹さんが……そう、それは大変ね。うん、ここは大丈夫だから。早く行ってあげて」


 男の人が急ぎ足で店から出ていった。ライラがその後姿を見送っている。

 

「困ったわ。厨房は私がなんとかするとしても、お給仕と宿のお仕事をリルカ一人に任せるわけにはいかないし……」

「もー。だから早くもうひとり入れようよって言ったのに」

「そうねえ……お母さんもそうしたかったんだけど、なかなか都合の合う人が来てくれなくて……」


 ライラとリルカが二人で頭を悩ませているのを見て、私は尋ねた。

 

「どうかしたんですか?」

「ああシホちゃん。ううん、大丈夫。心配しないで」

「大丈夫じゃないよ~。あのね、今日厨房で働くはずだった人がいなくなっちゃって。人手が足りなくて大変なの!」


 そういうことなら。と私は思った。


「あの、私でよかったら、なにかお手伝いしましょうか」


「ええっ!?」


 ライラとリルカの二人が私に目を向けた。大きな声を出して驚いていたのは、後ろで話を聞いていたクリスだった。

 

 

 

「すごく助かるけど、本当にいいの?」

「シホさんが一緒に働いてくれるの? 楽しそう!」

「シホが働くならわたしだってやるわ!」


 ライラとリルカの二人は本当に困っていたらしく、すぐに受け入れてくれた。

 あと、なぜかクリスまで一緒に働くことになった。

 制服というほどではないけど、渡されたおそろいのエプロンをつけて髪をまとめると、きゅっと心が引き締まるような感じがした。

 

 私とクリスが厨房でできることはないので、さしあたって食堂のホールスタッフをやることになる。

 朝食の時間が過ぎて、いまはちょうど余裕のある時間帯だった。

 リルカに仕事内容を教えてもらいながらテーブルの片付けをしていると、お客さんがやってきた。


「いらっしゃいませ。2名様ですね。こちらへどうぞ」


 さっききれいにしたテーブル席へと案内して、用意されたコップと水の入ったピッチャーを持って席で注いでいく。

 

「ご注文はお決まりですか? メニューはあちらにございます」


 壁に料理名を書いた札が貼り付けられているので、それを手で指し示す。まあ、自分では読めないんだけど。

 お客さんはどうやらここに来るのが初めてらしい。おすすめを尋ねられた。

 

「そうですね、私のおすすめは煮込み料理でしょうか。どれも美味しいんですけど特にツノシカ肉のワイン煮が絶品なんです。私、あのソースが大好きで、パンにつけて食べると手が止まらなくって……あ、パンもいくつか種類があってですね、この料理に合わせるなら――」


 という感じで私の好きな料理を紹介したら、二人は喜んでそれを注文してくれた。

 

「ライラさん、ツノシカ肉のワイン煮ふたつ、バゲット付きでお願いします」

「はーい」


 次に来るお客さんに向けてコップを補充してピッチャーに水を継ぎ足していると、クリスとリルカが話しかけてきた。

 

「シホ……あんた、なんか慣れてない……?」

「うん。おかーさんもあんなに丁寧じゃないよ。シホさん、どこかのレストランで働いてた?」

「いえ、なんとなくやってるだけですけど、そういえば体が勝手に動いているような……」

 

 もしかしたら、失った記憶にそういう経験があったんだろうか。

 と、またお客さんがやってきた。もうそろそろお昼の鐘が鳴るころだ。ランチのピークタイムに向けて気合をいれないと。

 

「いらっしゃいませー! お一人様ですね。ただいまお席にご案内しま~す」

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