第13話 お風呂 前編
「……どうしても行くの?」
顔に不安の色をうかべたクリスが私に問いかける。
慌ただしく人が行き交う朝の食堂で、私たちのテーブルだけが妙に重々しい空気に包まれていた。
私は、なにを今更しぶるのかと思いながらうなずいた。
「そのつもりです」
「わたしはまだ行かなくてもいいと思うけど」
「むしろ、もっと早く行くべきだったと思います」
「だけど……危ないじゃない。もし何かあったら……」
まるで戦地に向かおうとする人を止めるみたいな事を言うクリスだけど、私たちがしているのはそんな話じゃない。
「どうしてお風呂が危ないんですか。サメでも出るんですか?」
「そんなのいるわけないでしょ。でも、お風呂って…………裸になるのよ?」
「まあ、お風呂ですからね」
「そうだけど、そうじゃなくて、他の人もいるから……」
そういえば以前にもそんなこと言ってたっけ。無防備なのが嫌だとかって。
「やっぱりクリスさんは行きたくないんですか?」
「毎日体は拭いてるし、べつに臭くないもの」
クリスはそう言いながら腕を上げてくんくんと自分のにおいを嗅いだ。
その顔がふっと真顔になり、動きが一瞬止まる。
クリスが、ばんとテーブルをたたいた。
「わたしのことは関係ないでしょ! シホの話をしてるの!」
自分がお風呂に入りたいのはもちろんだけど、同じくらいクリスにもお風呂に入ってほしい。
今朝目が覚めたとき、昨日と同じようにクリスが私にくっついて眠っていた。
今日は急いで起きるような理由もないし、ゆっくり二度寝でもしようかな~、なんて思って幸せにひたりながら私はクリスの髪に顔をうずめた。
「関係なくありません。私は、クリスさんと一緒にお風呂に行きたいんです」
その髪をちゃんと洗わせて欲しい。私は切実にそう思っていた。
「わ、わたしと? ……ふーん。そういうことなら、まあ、行ってあげなくもないけど」
「え……? いいんですか」
どう説得すればお風呂嫌いのクリスをお風呂に連れていけるだろうか、という目下の悩みは、なんだか知らないうちにあっさり解決してしまったらしい。
「おはよ~、シホさんクリスさん! 何の話してたの?」
踊るように小さな子供が飛び込んできた。女将さんの娘、リルカだ。
見ればいつの間にか食堂にいるお客さんの数も少なくなっていた。さっきまでせわしなく働いていたけど、少し暇ができたらしい。
「このあとお風呂に行きましょうって話していたんです」
「えー、いいな~。リルカもお風呂大好き。でも最近おかーさんが忙しくて、連れてってもらえないの」
リルカのお母さん、つまりこのライカ亭の女将でもあるライラは、私が見かけるといつも何かしら仕事をしているようだった。
物腰が柔らかくて振る舞いにも余裕を感じさせるけど、宿と食堂をきりもりしていて忙しくないはずがない。
他の従業員にしても厨房に一人二人いるのを見るくらいなので、少人数で営業しているのは間違いない。そんな中でリルカを連れて二人でお風呂に行くというのはかなり難しいはずだ。
「おうちでお風呂ごっこするのも好きだけど、やっぱりお風呂屋さんのほうがいいなあ」
「じゃあ、リルカさんも一緒に行きませんか?」
私がそう言うと、リルカとクリスがそろって私の顔を見た。
「いいの!?」
「ええ。あ、でもライラさんが良いって言ってくれたらですよ」
「うん! 聞いてみる! おかーさーん――」
嬉しそうに飛び跳ねて、リルカが走っていった。
さて、クリスはというと、なんだか不満そうに私を睨んでいる。
「どうかしました? あ……もしかして、リルカさんとあんまり仲良くなかったり……」
しまった。こういうことは誘う前にちゃんと確認すべきだった。
「そんなわけないでしょ。リルカのことはかわいいと思ってるわよ。わたしだってリルカが行きたいって言うなら連れていくもの」
「それなら――」
「おかーさん行っていいってー!!」
何が不満だったんだろう。聞き返そうとした私の声はリルカの嬉しそうな声にかき消された。
「早くいこー?」
リルカは私の手をとって今にも走り出しそうだ。
あとからライラが出てきて笑いながら言った。
「リルカったら。手ぶらで行っちゃだめでしょう?」
「あそっか、ぱんつ持っていかなくちゃ!」
たたっと軽い足取りでリルカが2階への階段を駆け上がっていった。
「ごめんなさいね。シホちゃん、クリスちゃん。リルカのことお願いしてもいい?」
「はい。こんなことでお役に立てるならいくらでも」
「そう? ありがとう。それじゃあよろしくお願いね」
と言ってライラは戻っていった。やっぱり仕事が忙しいのだろう。
そういえば、リルカの父親はどこにいるんだろう。
考えていたら、クリスにせっつかれた。
「なにぼーっとしてるの。わたしたちも支度して早く出かけるわよ」
「あ、はーい」
リルカを先頭に通りを歩いていくと、目的のお風呂屋さんにはすぐ着いた。ギルドよりもずっと近い。何より坂道がないのがとてもいいと思う。
女湯の入り口をくぐって、クリスにならって料金を支払おうとすると、「もう人数分払ったわよ」と言われてしまった。
脱衣所は少し薄暗い。私たちのほかには座ってくつろいでいるお客さんが二人いるだけで、いまの時間は空いているようだった。
私とクリスが戸棚に荷物を置いたころには、リルカはすでに服を脱いで裸になっていた。
「リルカ先に入ってるね~」
と言って背を向けた。奥の戸をあけるその後姿に、なにか見慣れないものが付いている。
「しっぽ……?」
お尻のあたりに、髪の毛と同じ栗色のふわふわした毛玉のようなものがくっついていた。
「リルカはハーフだから」
クリスが言った。
えっ、ハーフってしっぽが生えてるの???
そうだっけ……? まあ、そう言われると、そうだったかも……。
……………………いや、そんなわけなくない?
「あの、ハーフとしっぽにはどのようなつながりが……?」
「ハーフって、獣人とのハーフよ? リルカの場合、尻尾があるだけだから外見じゃわからないけどね」
「獣人ってなんです?」
私が聞き返すと、クリスは少し言葉に詰まった。
「なにって……獣人は獣人でしょ。全身に毛が生えてて、体のつくりが少し人間と違う少数民族のことだけど――」
つまり半人半獣というか、人間とは別の種から進化した人たちらしい。
「アルメイリアではあまり見ないけど、海のほうに行くと普通にいるわよ」
ということは、リルカのお父さんは獣人なんだ。
なんだか私の知らないことがまだまだたくさんありそうだった。
下着を脱いで裸になり、ちらりとクリスに目を向けると、まだほとんど服を着たままだった。
私が近くにいると脱ぎづらいのかもしれない。
「それじゃあ、先に行ってますね」
「う、うん」
声をかけて私は浴室へと向かった。
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