第12話 買い物帰り

 下着を買ったあとは、ぼろぼろになっていた靴を新しいものに買い替えたり細々とした身の回りのものを買い揃えたり、いろいろとお店を見てまわった。

 お店から外に出ると鐘の音が聞こえてきた。

 空に浮かんだ雲がオレンジ色に染まっている。


「クリスさん、この鐘の音ってなんなんですか?」

「ああ、これ? 時間を報せてるのよ。いまのは日没の鐘。あとは日の出とお昼に鳴るわね」

「へえ、そうなんですね」


 一日の終わりを告げる鐘の音は、少しさみしげな響きを帯びているように聞こえた。

 これも日中働いている人にとっては解放の福音に聞こえたりするんだろうか。

 ん? 一日の終わり……?

 そういえば、何か忘れているような……。

 

「あーっ!」

「な、なによ。いきなり大声出して」

「お風呂です、お風呂! また行きそびれてしまいました。暗くなったらお風呂屋さんは閉まっちゃうんですよね、たしか……」


 あーあ、と肩を落とす私にクリスが言った。


「そうね。この鐘の音が聞こえたってことは、もう閉まってると思うわ。ま、別にいいんじゃない? お風呂なんて入らなくても死なないんだし」


 …………?

 気のせいだろうか。クリスの声が弾んで聞こえるような気がする。

 

「クリスさんはお風呂が嫌いなんですか?」

「別に嫌いってわけじゃないけど」


 少し言いよどむ。

 

「人前で裸になるのはあんまり好きじゃないわ。無防備だし、なんか……恥ずかしいし」

「そうですか」


 てっきり面倒くさいだけかと思った。

 人前で裸になることに抵抗があるというのはわかる。でも、そうしないとお風呂に入れないのなら私は迷わないかな。


「私は好きですよ。お風呂。お湯につかっていると体が温まりますし、汗をながして体がきれいになると気持ちがいいと思いませんか?」

「ふーん」


 あんまり興味がなさそうな反応だった。

 クリスはもともと体温が高いようなので、温まりたいという欲求は薄いのかもしれない。

 

「そういえば、クリスさんって体温高いですよね」

「そう?」


 朝はクリスがくっついていたおかげで寝起きでも体がぽかぽかしていた。欲を言えば夜眠るときもそばに居てほしい。


「ええ。一緒に寝ていると暖かくて気持ちよかったです」


 クリスはうろたえながら私の口を手でふさいだ。

 

「ちょっ……! そ、そういうこと外で言わないでくれる? 人に聞かれたら誤解されるでしょっ」


 きょろきょろと、通行人の目を気にするようにクリスが目を配る。

 

「誤解もなにも、本当のことじゃないですか」

「そうだけど、そうじゃなくて……。とにかく余計なことは言わないの!」

「わかりました」



 話をしながら歩いていると、かかとにひりひりとした痛みを感じた。

 買ったばかりの新しい靴がかかとに擦れているみたいだ。どうやら足に合わなかったらしい。

 先を歩いていたクリスが振り向いて首を傾げた。

 

「どうしたの? まさか、また疲れたとか言わないでしょうね。さっきまでずっと座ってたじゃない」

「あ、いえ。なんでもないんです。行きましょう」


 もうすでにクリスには買い物の荷物を持つのを手伝ってもらっているし、そのうえ足が痛いから休みたいと言うのはちょっと気が引ける。

 帰り道くらいはなんとか歩けるだろう。

 

 そう思っていたんだけど……。

 帰り道が思っていたよりも長い。ゆっくり歩いているのと土地勘がないせいで、余計に遠く感じるのかもしれない。

 痛みも徐々に増している。一歩を踏み出すたびにかかとをやすりがけされている感じだった。

 不意にクリスが私を止めた。

 

「シホ、あんたその足……。ちょっと止まりなさい」

「なんですか?」

「いいから靴を脱いでみせて」


 言われたとおりに、しゃがみこんで片方の靴を外してみると、かかとに赤く血が滲んでいた。

 う……。想像していたよりもずいぶんと痛々しく見える。

 

「やだ。血が出てるじゃない。あんたね、こんなになるまで気づかなかったわけじゃないでしょう」

「もう帰り道だったので……。ちょっと痛むくらいですから、ゆっくり歩けば平気ですよ」


 こういう痛みは我慢すれば動けるからなんとかなる。

 だけど、クリスが真剣な顔をして言った。

 

「平気なわけないじゃない。おんぶしてあげるから、こんな足で歩いちゃだめよ」

「でも――」

「でもじゃないわよ。早く乗りなさい」


 その瞳がやけに真剣だったので、私はクリスに従うほかなかった。

 

 町中でおんぶなんて、かなり人の目を集めてしまっている。だけど、クリスは全然気にしていないみたいに堂々と歩いていた。

 さっきは通行人の目を気にしていたくせに。

 いまはただまっすぐに、私を心配して気遣ってくれている。それがなんだか嬉しくて、胸の奥がきゅっと熱くなるのを感じたのだった。

 

 翌朝になると、不思議なことに靴ずれの痕は何もなかったみたいに治っていた。

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