第8話 おやすみ
夕食を食べ終えて部屋に戻った。
私はベッドに腰を下ろすと、体を倒してごろんと横になる。
「美味しかったですね。クリスさんの言った通りでした」
「おかしくない……? その体のどこにあれだけの食べ物が入ったのよ」
椅子に腰掛けたクリスが私のお腹に疑惑の目を向ける。
自分のお腹をさすってみても、特に膨れているわけでもなく普段の様子と変わっていない。
「自分でも不思議なんですよね。私、食が細い方だと思っていたんですけど」
「……どこがよ。本当になんともないの? 苦しかったりとかしない?」
満足感はあるけど、満腹かと言われるとそうでもない。
クリスが私のお腹を見つめて首をかしげた。
「平気ですよ。気になるなら触ってみますか?」
「触らないわよ!」
クリスはぷいっと顔を背けた。
「ばかなこと言ってないで寝ちゃいなさいよ。そのベッドはあんたが一人で使っていいから」
「え? クリスさんはどうするんですか?」
この部屋で横になれるような家具はこのベッド以外に見当たらない。
「わたしはここでいいわ」
木の椅子に腰掛けたクリスが言う。
「日を跨ぐ仕事で外に出たら安全な場所で寝られることなんてあんまりないし。わたしは2,3日寝なくたってなんともないもの」
外というのは町の外、つまり冒険者の仕事で野宿をすることを言っているんだろう。
「冒険者って大変なんですね……」
「べつに毎回そんなことしてるわけじゃないわ。1日で終わる仕事のほうが多いわよ。まあ、とにかく明日になれば一部屋くらい空くでしょ。わたしのことは気にしなくていいから」
「気になります。と言うかベッドで寝ればいいじゃないですか。こんなに広いんですから」
ベッドの上には2,3人が寝られるくらいのスペースがある。私1人で使うには大きすぎるくらいだ。
「広いとかそういう問題じゃないでしょ。だって、一緒のベッドで寝るってことは……その………………………。あんただって、知らない人と一緒に寝るのは嫌でしょ」
「知らない人は嫌ですけど、クリスさんなら嫌じゃないですよ」
がたんと音を立てて椅子が揺れた。
「は、はあ……っ?」
クリスが目を見開いて私の顔を見つめている。
「でもクリスさんが嫌なら、私が椅子で寝ます。じゃないとおかしいです」
ここまでさんざん助けられてきたのに、私だけが快適に過ごすわけにはいかない。
「べ、別に……嫌ってわけじゃ……ないけど……」
「それならいいじゃないですか。一緒に寝ましょう」
ぽふぽふとベッドを叩く。
「そ、そこまで言うなら仕方ないわね。寝ればいいんでしょ。寝れば」
クリスはそう言って投げやりに椅子から立ち上がると、ベッドの反対側に回り込んだ。
「……さきに言っておくけど、わたしに指一本でも触れたら叩き出すわよ」
「ええ……」
自分の寝相がいいかどうかは、あまり自信が持てない。
クリスは慎重な手付きで掛け布団をめくりベッドの上に片膝を乗せた。スプリングの軋む音に一瞬動きを止めたあと、開き直ったように布団の中に潜り込んで丸くなった。
「そんなに端っこで寝たらベッドから落ちちゃいますよ」
「平気よ。わたし、人が近くにいると眠れないの。あんたがどうしてもっていうから横にはなるけど、眠るつもりはないわ。まあ、こればっかりは冒険者として身についた習性だから、べつにあんたのせいってわけでもないし」
「そうなんですか……」
なんだか申し訳ない気持ちになりながら私もベッドに入った。
眠れないにしても、ベッドで横になれば椅子にいるよりは体が休まるだろう。
「あ、部屋の灯り消しますね」
クリスからの返事はなかった。私はベッドから出て、つけたままだったランタンの灯りを落とした。真っ暗になるかと思ったけど、青い月明かりが部屋の中まで届いて暗くはならなかった。
窓の外から、かすかに人の笑い声が聞こえる。食堂の方からか、それとも他のお店か。まだまだ寝るつもりはない人たちもいるらしい。
明日はお風呂に入りたい。あと着替えもほしい。そういえばクリスは上着を脱いだくらいで、ちゃんと着替えていなかったような気がする。
ちらりと目を向けると、布団のかすかな動きとともに気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた。
私は眠っているクリスを起こさないように、静かにベッドに戻って目を閉じた。
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