第7話 ベッドと食事
私達が泊まるライカ亭は食堂と宿で建物がわかれている。宿の階段を上がり、廊下の一番奥へと進んでいく。
外はもう夕暮れ時で、ドアを空けると室内に夕焼けの色が写り込んでいた。
「わー、大きいベッドですね。たしかにこれなら二人で寝ても狭くはなさそうです」
ベッドのサイズは標準的なものをふたつくっつけたような大きさで、それだけで部屋の大部分の面積が埋まっている。
私はベッドに腰掛けて、そのままごろんと横になってみた。
ふかふかだ。ここに来るまでの疲れがやわらかなベッドの中に包まれて、体が溶けていくみたいだ…………私はあんまり歩いてないけど。
寝返りをうって、私よりも疲れているはずのもうひとりの姿を探す。
「気持ちいいですよ。クリスさんも一緒にどうですか?」
クリスはしかめっ面で私のことを見下ろしていた。
「あんたねえ……いい加減にしなさいよ」
「え? なにがです? ……あ! すみません、私がベッドを占領してしまって。こういうのはクリスさんが先にしたかったですよね!」
スプリングの弾みをつかって起き上がり、クリスのための場所を空ける。
「違うわよ!」
「…………?」
ベッドを先に使ったこと以外に、なにかまずいことをしただろうか。
「さっきのこと! どこの誰ともわからない女の誘いにのっかって同じ部屋に泊まろうとしてたじゃない!」
「えっと、食堂で声をかけてくれた方のことですか?」
「そうよ!」
「あの……。それを言うとクリスさんとも知り合ったばかりでお互いのことあんまり知りませんけど」
そんなクリスに誘われて、私は同じ部屋に泊まることになったのだ。
「わたしは別でしょ! だって、わたしはシホをヒトクイグマから助けたし、シホの事情だっていろいろと知ってるもの!」
クリスは腕を組んでぷんすかと怒りながら胸をはった。
「確かにそうですけど。でもあの人たちもいい人そうでしたよ」
「そんなの、ちょっと話したくらいじゃわかんないでしょ。簡単に人を信じすぎよ。だいたい冒険者やってるようなやつなんてギラギラした欲望まみれの連中に決まってるじゃない! そんなのと同じ部屋に寝泊まりしたら、どんなことされるかわかんないわよ!」
クリスも冒険者やってるって言ってなかったっけ。
「お金はないですし、盗られて困るような物なんて持ってませんよ。さっきの人もそういう話を聞いて声をかけてくれたんだと思います」
「お金なんかより、もっと……大事なものがあるでしょ」
お金よりも大事なもの……?
私の持っているものなんて、いま着ている服と、それこそ、この命くらいしかない。
「命ですか……? それは怖いですけど、だったらあんなところで声をかけたりは――」
「もう! なんでそんなに鈍いのよ! イライラするわね! 自分がどんなふうに見られてるかわかってないわけ!? ここにいるのがわたしじゃなかったら、こんなふうに――」
肩をトンと軽く押されてベッドの上に仰向けに倒された。クリスは私の上に覆いかぶさるように乗っかると、真上から見下ろしながら勝ち誇った顔をして言った。
「ほら見なさいよ! こんな簡単に押し倒されちゃって――」
――ガチャリ
ドアが開いた。
「クリスさ~ん、お湯持ってきたよ~」
湯気の立つ大きな桶が部屋の中に入ってくる。湯気の向こうにリルカのあどけない顔が見えた。
ベッドの上の私たちを見て、リルカの足が止まる。
「あっ、ごめんなさい。お客さん同士が仲良くしてるときは部屋に入っちゃダメっておかーさんに言われてたのに」
リルカはそう言うと、お湯がなみなみと入った桶を部屋の中に置いた。ごとっと重そうな音が床に響く。小さな女の子の持てる重さじゃなさそうなのに、それをここまで運んできたリルカは息も切らさず平然として、私たちに困ったような笑顔を向けた。
「えっと、リルカが邪魔しちゃったこと、おかーさんには内緒にしてね」
背を向けたリルカが、とてとてと歩いてドアに手をかける。
クリスが叫びながらベッドから飛び降りた。
「ちょっ……………………待ちなさい!! 変な勘違いしないで! わたしはただ、シホにしつけをしてただけなんだから!!」
部屋から出ようとしたリルカをクリスが捕まえる。開いたドアから宿中にクリスの大声が響き渡った。
リルカが持ってきたお湯は、聞けばお風呂の代わりのようなものらしい。
と言っても、体ごと浸かるわけじゃない。顔や手足を洗ったり、濡らしたタオルで体を拭ったりするためのものだ。
「お風呂はないんですね」
当たり前のようにお風呂に入れると思っていた自分の認識を改めていると、リルカが言った。
「お風呂屋さんだったら近くにあるよ。でも今日はもう閉まっちゃったんじゃないかなー」
近所にあるというお風呂屋さんは、朝から暗くなるまでの日中の営業らしい。明日、クリスと一緒に入りに行こう、と心に決める。
とはいえ、せっかくリルカが持ってきてくれたお湯を使わない手はない。体の汚れを拭いておこうと思って服を脱ぎ始めると、クリスは「ギルドに行かなきゃいけないのを思い出したわ!」と言って慌てて出ていってしまった。
お湯の入った桶はすごく重たくて、私では引きずって動かすことすら一苦労だった。あんなに小さい女の子がどうしてこんなに重いものを持てるんだろう……?
体がさっぱりしたころには、部屋の中が薄暗くなっていた。灯りはないかと見回してみると、テーブルの上にランタンのようなものが置いてある。
椅子に座ってランタンを手に取った。台座につまみのようなものが付いている。スライドさせると、ガラスで出来た筒の中が明るく輝き始めた。
部屋の中が暖かい光に照らされて明るくなった。筒の中心に、固定された小さな石の欠片みたいなものが光っているようだ。
そういえば、魔晶石は光らせることができるとクリスが言っていた。これがその道具かと納得する。
でも魔晶石の光って青白かったような。
「あ、ガラスに色がついてるんですね」
よく見るとガラスの厚みによって若干色が変わっている。
明るくなった部屋でランタンをいじってみたり、ぼーっとしたりしていると、クリスが帰ってきた。
「お腹すいたでしょ。ご飯食べに行くわよ」
空腹感はあまりなかったけど、思えば今日はクリスにわけてもらった乾パンのような携行食しか口にしていない。
クリスと一緒に食堂のテーブルについて待っていると、料理のお皿が次々に運ばれてきた。
「こんなに食べるんですか?」
「一人で食べるわけないじゃない。半分はあんたのよ」
一品一品の盛り付けが多い。大盛りと言っていい量だ。
「私、どちらかというと少食なので、半分も食べられるかどうかわからないんですけど……」
「ああ、そう? べつにいいわよ。食べきれなかったらわたしがもらうから」
クリスはさっそくお肉にかぶりつきながら、相好を崩した。
食べているところを見ていたら食欲がわいてきた。私はひとまず目の前に置いてある煮込み料理に手を付けた。
「あの、これのおかわりをもらってもいいですか?」
「……………かまわないけど。聞き間違えたかしら。あなた少食だって言ってなかった?」
「だって、すごく美味しいんですよ」
結局、用意された料理は全部お腹の中におさまってしまい、私は何度か追加注文を重ねた。
味付けはシンプルなものが多いけど、味に深みがあるというか、一口食べるごとに自分の中の何かが満たされていく。
その感覚とは反対に、食べても食べてもお腹はいっぱいにならなかった。自分でも信じられないほどの量を食べたはずなのに、食べ始めたときとお腹具合が変わっていない。
出された料理の全部が全部美味しくて無限に食べ続けられるように思えたけど、クリスの引きつった顔が見えたので、いま食べている一皿を最後に私も匙を置いた。
「ごちそうさまでした」
「どうなってるのよ、あんたのお腹……」
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