第6話 アルメイリアのライカ亭

 クリスの言ったとおり日暮れ前には町に着いた。

 町中に建ち並ぶ建物は2階建てくらいの背の低いものが多く、道幅の広い通りからは空や遠くの景色がよく見える。

 一日の終わりが近いせいか人通りが多くていろんな人とすれ違う。私の格好は少し浮いているようだったけど、この雑多さにまぎれてしまえば目立つこともない。中には全身に金属の鎧を着込んでいる人もいて、つい目で追ってしまった。

 

 この辺りには飲食店が多いようだ。店先からお肉の焼けるようないい匂いが漂ってくる。

 

「ちょっと。どこに行くのよ」


 思わず足が向いていたらしい。クリスに呼び止められた。


「すみません。いい匂いがしたもので、つい気になってしまって」

「あんまりふらふらするんじゃないわよ。はぐれたら困るんだから」


 クリスの言う通りだった。知らない土地でお金も持っていない私が一人で迷子になったら途方に暮れてしまう。

 おとなしくクリスのあとを付いていこう。

 

「でも、なんだか珍しいものばっかりで、楽しいですね」


 かわいく飾り付けされたお店があるかと思えば、剣やナイフが壁にかけられた武器屋らしきお店もある。

 見に行ってみたいなあと思いながら歩いていると、急に声をかけられた。

 

「そこのお姉さん! 見てやってくんな!」

「え?」


 振り向くと、屋台のおじさんと目があった。

 

「私ですか?」

「お姉さん美人だね! もう店じまいだから、買ってくれたらおまけしちゃうよ!」


 見ると果物かなにかを売っているようだった。

 

「いえ、私は――」

「まあまあ! 見るだけでも見ていってよ!」


 お金がないから買うことはできないんだけど……。

 って、こうしてる間にもクリスが先に行ってしまう。


「私、お金がないんです」

「いやー、お姉さんお買い物上手だね! よし、出血大サービス、半額でどうだ!」

「あの、ですから――」


「なにやってんのよ」


 いつのまにか後ろに立っていたクリスが不機嫌そうな目で私をにらんだ。

 

「言ったそばから居なくなって、探したじゃない」

「すみません。そんなつもりはなかったんですけど」

「フー……。仕方ないわね」


 クリスが私の手を握った。

 

「これならはぐれないでしょ」

 

 引きずられるように屋台の前をあとにする。

 振り返ると屋台のおじさんが、あっけにとられたようにこっちを見ていた。


「すみません、いま急いでいるんです」

「お、おう。また来てくんな」 


 買うつもりもないのに立ち寄って、かえって悪いことをしてしまった。

 

「あんたねえ、客寄せにいちいちかまってたらきりがないわよ」

「そう、ですよね。でも、無視するのも悪いですし」

「中にはろくでもないものを売り付けてくる輩もいるんだから、気を付けなさいよね」


 クリスは私の手を引っ張ってずんずんと歩いていく。

 歩幅は私より小さいはずなのに歩くのが早い。ついていくのがやっとという感じで進んでいくと、クリスが足を止めた。

 

「着いたわよ。ここがわたしの泊まってるライカ亭」


 クリスの視線の先にあったのは、2つの建物を繋げたような横に大きな建物だった。

 扉の上に看板があるけど、なんと書いてあるのかは読めなかった。

 入り口をくぐって中に入る。室内は暖かな灯りに照らされて、賑やかな声と美味しそうな食べ物の匂いであふれていた。どうやらここは食堂らしい。広間に並んだテーブルの多くが客の姿で埋まっている。

 

 クリスはテーブルの間を抜けて奥のほうへ進んでいく。

 壁の向こう側の部屋から、お皿を持った小さな女の子が出てきた。料理の載ったお皿を客のいるテーブルまで運び終えると、私たちに笑顔を向けた。

 

「いらっしゃーい。あ、クリスさんだ。いま帰ったの? って、後ろのひとは……?」

「ああリルカ。そのことなんだけど、この子の泊まる部屋をもう一部屋用意してほしくて」

「えっ、もしかして、クリスさんの…………お友達?」


 リルカと呼ばれた女の子が私とクリスの顔を交互に見つめる。

 私は少しかがんであいさつをした。

 

「こんにちは。シホっていいます」


 リルカはびっくりしたような表情で固まり、

 

「お………………おかーさーーん!!!! クリスさんがお友達連れてきたーーーー!! すっごくきれいな人!!」


 大声で叫びながら走っていった。

 

「ちょっ!? な、なに言ってるのよ!!」


 つないだままの手がぎゅうと握りしめられた。ちょっと痛い。

 リルカはすぐに戻ってきて、後ろからもうひとり女の人がついてきた。

 エプロンをつけた女性は、私を見ると柔らかく微笑んだ。

 

「あらあら。いらっしゃい」


 私も挨拶を返す。

 リルカにお母さんと言われていたけど、ずいぶんと若く見える。20代前半にしか見えない。癒やし系オーラをまとった美人さんだった。

 

「クリスちゃんったら、こんな可愛い子をどこで捕まえてきたの? 意外と隅に置けないのね~」

「ちがうから! そういうのじゃないわよ!」

「あら、そうなの? じゃあお友達なのね。でもよかったわ。クリスちゃんいっつも一人でむすーっとしてたからお母さんずっと心配してたの」

「よ、余計なことは言わなくていいってば!」


 クリスの顔が赤く染まっていく。

 繋いだ手に、じっとりと汗がにじんでいくのがわかる。

 

「シホはそういうのじゃなくて、道に迷って行く宛がないって困ってたから連れてきたのよ。それだけだから!」

「そう? ずいぶん仲良しに見えるけど」


 エプロンの女性が私達の間のつないだままの手に目を向ける。クリスはしまったという顔をして、はたくように手を離した。

 

「これはべつに関係ないから! これは……人助け。そう、ただの人助けよ! お金もないって言うし、こんなの放っておくわけにもいかないでしょ。宿泊費はわたしが払うから、この子の泊まる部屋を用意してちょうだい!」

 

 こんなの、って私のこと?

 クリスの話を聞いていたエプロンの女性は困ったような顔をして頬に手を当てた。

 

「あら……。それが、今日は珍しく満室になっちゃって、ベッドの空きがないの。困ったわ。どうしましょう」

「えっ」


 クリスが短く声をあげた。

 エプロンの女性が何か思いついたとばかりに手を叩いた。

 

「そうだ。クリスちゃんの部屋に泊まったらいいんじゃない? 大きなベッドだから二人一緒に寝られるでしょう?」


 クリスの顔が、かあっと燃えるように紅潮していく。


「はあ!? そんなの、だめに決まってるでしょ! 同じベッドで……なんて、そんな……。だ、だって、まだ知り合ったばっかりだし……そういうコトはもっと……。と、とにかく、だめったらだめ!」


 すごい拒絶された。

 まあ、たとえ同性でも同じベッドで寝るのは嫌な人はいるだろう。クリスが嫌なら仕方ない。

 この町は結構人が多いようだし、ここの他にも宿はあるはずだ。今日のところはクリスに宿代を貸してもらえればなんとでもなるだろう。

 なんてことを考えつつ二人の言い合いを眺めていると、後ろから、とんとん、と肩を叩かれた。

 

「なあ、きみきみ」


 振り向くと、背の高い女性が立っていた。すぐ近くのテーブル席で食事をしていた女性グループの一人だ。

 がっしりとした体格で、タンクトップのような袖のない服から、むき出しになった肩や腕のたくましい筋肉が覗いている。少しどきっとした。こういう肉体美に、私は憧れがあるのだ。

 力が強そうでワイルドな風貌から、女戦士という言葉が頭に浮かぶ。この人もきっと冒険者をしているんだろう、なんとなくそう思った。


 私は女戦士に頭を下げた。


「すみません。騒がしかったですよね」

 

 食事中に近くで騒いでいたら、あまりいい気はしないだろう。

 しかし予想とは違って女戦士は気さくな感じの声で話しかけてきた。

 

「いやいや気にしてねえよ。そんなことよりきみ、困ってんだろ?」


 怒られるだろうと思っていたので、正反対のトーンに少し戸惑う。

 

「え? ええ、まあそうですね。泊まれる部屋がないみたいなんです」

「そーか。災難だったなぁ。ところで、きみは、あのクリスとはどういう関係なのかな……?」

「関係、と言われても。今日知り合ったばかりなので、なんと言ったらいいんでしょう……」


 なんだろう。命の恩人というのが肩書きとしては正しいだろうか。

 

「そうか……! そいつはちょうどよかった。実はウチら、この近くで宿を取ってんだ。で、4人部屋なんだけど見ての通り3人連れだろ? ベッドがひとつ空いてんだよ。だから、きみがよかったら、今夜はウチらの部屋に泊まらねえか? まあここほど上等な部屋じゃねえけど、悪かないところさ」


 いきなりの誘いにびっくりしてしまう。

 私にとってはありがたい申し出だけど、友だちグループに全く初対面の私が混ざったら悪いんじゃないだろうか。

 

「でも、いきなりお邪魔したらご迷惑では?」

「そんなことないって。むしろ歓迎するって! なあオマエら」


 女戦士が首を傾けて後ろに呼びかけると、テーブルの二人はうなずきながらにこやかに返事をした。

 なんだかいい人たちみたい。

 

「ほんとにいいんですか?」

「もちろん! じゃあ決まり! ほら! 言っただろ、声かけてみなきゃわかんないって!」


 女戦士は興奮した様子で後ろの2人とハイタッチをした。仲がいいんだなあ。


「ああゴメンゴメン、なんでもないんだ、こっちの話。いや~、君みたいにカワイイ子が困ってたらほっとけなくてさ。アハハ。とりあえず歓迎の印に一杯どう?」


 女戦士の太い腕ががっしりと肩に回されて陶器のコップが顔の前に差し出される。中には薄黄色の飲み物が入っていた。


「大丈夫大丈夫。これ凄く飲みやすいから!」


 えーっと。これジュースじゃないよね。お酒だとしたら私は飲めないんだけど…………って、あれ? なんで飲んじゃいけないんだっけ。はっきりとした理由があったはずだけど、どうも判然としない。

 うーん、なんとなく抵抗はあるけど、私と同じくらいの子も飲んでるみたいだし、せっかく誘ってくれたのに理由もなく断るのも変だよね。


「ええと……それじゃあ――」

 

 コップを受け取ろうとしたところで、横から伸びてきた腕が私の体を引っ張り出した。

 

「わたしの連れになにちょっかい出してるのよ!」

「クリスさん?」


 私をかばうように前に立ったクリスが、敵意をむき出しにして女戦士を睨みつけている。

 女戦士は突然現れたクリスに少し慌てた様子だ。


「な、なんだよいきなり! アタシはアンタたちが困ってたから、し、親切心でだな。この子を泊めてあげようと思って」

「親切心? お酒なんか飲ませようとして、下心の間違いじゃないの?」

「ち、ちがう、これはただ歓迎しようと」

「とにかく、この子はわたしの連れなんだから、わたしのところに泊めるわよ!」

「はあ? さっき部屋もベッドもないって言ってたじゃねーか!」

「うっさいわね! あんたには関係ないでしょ!」

「いや、でも、その子だってウチらと一緒に来たがってーー」

「うるさいうるさいっ! シホはわたしと一緒に寝るの!! 文句あるっ!!?」


 クリスの大声が広い室内に反響して、周囲の時間が止まったみたいに静まり返る。

 

「ええと。私はクリスさんさえ良ければよろこんで」


 私がそう答えると、空気が少しざわついた。

 女戦士が気まずそうに口を開いた。

 

「そ、そうか……。そのー、横からはさまるような真似をするつもりじゃなかったんだ。いや、アタシが悪かったよ。ごめんな……」

 

 引きつったような表情を浮かべて女戦士が席に戻っていく。

 この場に残された私とクリスの2人に、食堂にいる全員の視線が集まったようで妙な居心地の悪さを感じる。

 エプロンの女性が口に手を当てて、にこにこと笑顔を浮かべていた。

 

「あらあら~」

「あー、びっくりした。喧嘩になるのかと思っちゃった」


 リルカがほっとした表情でとてとてと去っていくと、ようやく食堂の空気がもとに戻ったようだった。

 クリスは立ち尽くしていた。うつむいた顔が耳まで真っ赤に染まっている。

 

「ちがっ……いまのはそういう意味じゃ…………」

 

 今にも消え入りそうな声でぼそぼそとつぶやいている。

 

「クリスさん……? 大丈夫ですか?」


 話の流れはよくわからなかったけど、私はクリスと同じ部屋に泊まることになったらしい。

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