2007
何を送ろう。
自室のベッドで仰向けに寝そべり雨音を聞きながら、わたしは携帯電話を握りしめていた。
液晶には何も書かれていないメール画面が表示されている。携帯電話に付けられた由紀と春子とお揃いのピンク色のビーズストラップが揺れる。
扉がノックされる。返事をする前に扉が開かれ、不思議そうな顔をした母が顔を出す。
「未華子、玄関先に干してある傘誰の?」
「貸してもらったの。明日返すから置いておいて」
「また傘忘れたの?梅雨なんだから、毎日折り畳み傘持っておきなさいよ」
「わかってるよ。今日は偶然忘れたの」
母からの小言を適当に返す。本当は折り畳み傘は重いから毎日持って行ってはいない。母はため息をつき、もうすぐ生徒が来るからと階段を降りていく。
しかし、傘を忘れていってよかった、などと思うのは良くないことだろうか。わたしがもし今日傘を持っていたら、慧くんが傘を貸してくれることはほぼ確実になかっただろう。そもそも雨が降っていなかったら話せていなかったかもしれない。
悶々と考えてしまう。一定時間触れていなかったためか、携帯電話の液晶が暗くなってしまっている。ぱかりと蓋を閉じ、ビーズストラップを弄る。初めてのメールの文面は、考えれば考えるほど何を送ったらいいかわからなかった。
メールの受信音が鳴り響く。わたしははっとして携帯電話の蓋を開いた。
『ブログ更新したよ~!この前遊園地行った時のやつ!』
わたしはため息をついた。ポップな文面と絵文字付き、送り主は見なくてもわかる。
「由紀、今はあんたの気分じゃないよ……」
我ながら失礼な一言だ。しかし、心からの本音である。
仕方なく由紀が作成した個人ホームページを覗く。『本日5人目!』とでかでかと書かれたホームページを下に進み、ブログのページを見る。少し前に行った遊園地の思い出が、写真や絵文字いっぱいの文面とともに綴られている。小文字や絵文字、記号を駆使した文面のせいか、彼女のブログに読者は多い。いくつかのコメントや評価もついていた。わたしもグッドマークをつけ、『また行こうネ』と音符マークをつけてコメントを残す。
そしてまたメールのフォルダに戻るが、やはり文面は思いつかない。彼から何か送られてきているのでは、という淡い期待も砕けた。
そもそもわたしは、男友達という存在が少ない。お付き合いをしたのも高校生になったばかりの一昨年、告白されたからという安易な理由で付き合って別れて以来、交際はしていない。安易な理由からかそのお付き合いも互いにすぐに気持ちが冷め、せいぜい数回のデートとキスをした程度で別れてしまった。クラスメイトの男子と話すことはあるも、メールアドレスを交換することもない。友達と言えるかも曖昧なところである。
だからこそ、慧くんとのメールでは何を送っていいものかわからない。送らない、という選択肢はあるが、せっかく交換したメールアドレスを無碍にはしたくなかった。
メールのフォルダから由紀に適当な返信をする。送り終えたタイミングで、新たにメールが受信される。
『お疲れ様』
というメールタイトルに心臓が跳ねた。たった4文字、飾り気のない業務連絡のようなタイトル。しかし、今わたしが一番望んでいた人からだった。
少しだけ震える指で、携帯電話のボタンを押す。長い爪がボタンに当たり、かちっという音と共にメールが開かれる。
『2007/6/13 18:35
件名:お疲れ様
From:樋上慧
メール、これであってるよね?無事に帰れた?
実はあの傘ちょっと不調だったんだけど、道中壊れなかった?(笑)
傘は返すのいつでも大丈夫です』
何度も読み返す。たった3行のメール、短いその文章を何度も読む。
傘は不調だったらしいが、帰り道のわたしはそんなことにすら気が付かなかった。今ですら、文面に「(笑)」を使う慧くんの意外性に口角が上がってしまっている。
わたし、ここ最近で一番浮かれている気がする。
熱くなる指先を動かし、返信を考える。
『2007/6/13 18:43
件名:ありがとう!
From:未華子
あってるよ、傘ありがとう!!
不調だったの?!全然気が付かなかった!
貸してくれただけでまじ感謝だよ!ゼッタイ明日返すね(≧▽≦)』
馬鹿っぽいかな、と何度もメールを読み返す。顔文字とか使わない方がいいかな?引かれる?
男子ってどんなメールの文章でやり取りするのだろう。
何度も考える。けれど結論、目上の人ではないからいいかという安直な理由でそのまま送信した。
どんな文面が返って来るんだろう、もう読んでくれたかな。
メールはいつ相手が読んだかこちら側からはわからない。読んだら印がつくような機能があったらいいのに、と考えてしまう。
携帯電話の蓋を閉じ、慧くんからの返信を待つ。人からの返信が待ち遠しい、という感覚に陥ったのは殆ど初めてかもしれない。
言い表せないこの気持ちは、文章にすらきっとおこせない。わたしの中で広がるこの感情は、きっと名前もないだろう。名の無い感情、それはもどかしさに近かった。
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