2024

「未華子が作りたいって思うならいいんじゃない?」

 運ばれてきたレアチーズケーキをフォークで切り、口に運んだあとに由紀は言った。

「昔ほど、服も小物制作も積極的にはなれないけれど」

 わたしはため息をつき、ホットコーヒーを口に運ぶ。

 由紀とわたしは今、こじんまりとしたレトロな喫茶店に来ていた。この前行けなくなったドライブの埋め合わせである。とはいえ、由紀の子供の休日保育の迎え時間までの数時間のためドライブをするのは後日に延ばし、今日はカフェのランチで近況報告会である。

 わたしたちはランチを食べ終え、セットでついてきたケーキとドリンクをちまちまと食べている。由紀がアイスティーとレアチーズケーキ、わたしはホットコーヒーとモンブラン。SNSで見つけたと由紀が案内したこの喫茶店は、街中にあるものの一見見つけにくい場所にあり、わたしたち以外はサラリーマンが一人、新聞を読みながらコーヒーを飲んでいるだけだった。

 壁に掛かっている古い時計が、14時を知らせる重い音を鳴らす。店内はコーヒーの匂いが充満し、会話を邪魔しない音量でジャズミュージックが流れている。

「流石に、専門学校時代や高校時代ほど時間ないでしょ。未華子だって働いてるもんね」

「そう。帰ってからだと気力もないし」

 話題は先日、母に依頼されまだ返事を出していないピアノ発表会の衣装の話だ。由紀はわたしが服や小物を作っていたことを知っている。

「それにしても、未華子のお母さんがそんな要望をしてくるなんて珍しいね。今までにあった?」

「ないわよ。わたしだって結構驚いた」

 母はわたしの趣味や好きな事に何も口出しをしてこない。興味がない、というよりかは、自身と娘の人生をしっかり区切って考えているタイプである。過干渉な親を持つ子供よりよほど楽な考え方をしていると我が母のことながら思う。

「未華子はやりたいの?」

「迷ってる。両立出来る自信がないかな」

 わたしは一口モンブランを頬張り、ふっと息を吐いた。

 目の前に座る由紀は、35歳に見えないくらい活き活きとしている。彼女自身の美意識が高く、元々スタイルや顔だちが綺麗なこともあるが、きっと夫や子供の存在が大きいのだろう。だが相変わらず、派手な服装やバッグから出てくるアニマル柄の小物に高校生時代の片鱗が見え、彼女自身や好みがいい意味で変わっていないことに安堵する。

「いいきっかけだとは思うけれど。まだミシンだってあるんでしょ?」

「もう殆ど使ってないけどね」

「使えるならいいんじゃない?ていうかいっそ、もう使わないなら、これを機に捨てたっていいわけだし」

 思い切ったことを突拍子もなく言い出す由紀に驚く。

「捨てるって……」

「だって、今やらないならきっと一生やらないよ。わたしも結婚のタイミングで、もうやらないだろうなって物とか着ないだろうなって服、全部捨てたよ」

「結構思い切ったのね」

「そうかな?だって、ここからどんどん若くなくなるし、10年前に出来たことが余裕でできなくなったりするんだよ」

 由紀の何の気なしに発される言葉は、少しばかりわたしにとって重みがある。

「今、そして今後やるかなって考えたとき、もう絶対やらないって思えたものだけね。高校の頃のデコ電とかスクールバッグとか、あの辺の思い出は捨てられなくて困るよ」

 由紀が冗談交じりに言った。懐かしいね、と2人で笑う。

「それにしても、未華子はだいぶおとなしくなったよね」

「そうかな?」

 由紀はわたしをまじまじと見る。わたしは今、髪色は黒髪で巻いてもいない。服装もベージュのワンピースと年相応の恰好をしているだろう。

「むしろ由紀が若々しいんじゃない?あの頃のままだよ」

「そんなことないわよ。好きな物や系統も変わらないけど、子供2人産んでもう数年経つのに産後太りもまだ残ってるの。身体はもう若くないわ」

 冗談交じりに自分のお腹を服の上から撫でた後に摘まんで見せる由紀。本当に妊娠と出産をしたとは思えないくらいにはお腹が薄い。彼女なりにきっと、産後ダイエットやら食生活やらを頑張っているのだろう。言わないだけで、昔から由紀は努力家なのである。

「うちら3人の中で、当時の派手な面影ないのは未華子だけな気がする」

「もう専門学校で派手なのと個性的なのは飽きたよ」

「やっぱり派手で個性的なの多いんだね、専門は」

 の世界だ、と笑う由紀。由紀は高校を出てすぐに就職をしたため、専門学校を漫画の中でしかきっと知らない。わたしも時々、高校を出て就職をすればよかったと感じることがある。由紀の前では言わないけれど。

「そういえば、春子は元気?」

「あれ、連絡とってなかったんだ」

「うん。スマホとかSNSとか疎くって」

 由紀はやれやれと言いたげに笑った。彼女の皿のケーキは気づけば完食されており、アイスティーをストローで啜って続ける。

「30歳なる前に働いてた大阪のキャバクラだかラウンジだかを辞めたって聞いたわ。そこからパートやら派遣やら点々としながら、関西の彼氏の家で同棲してるみたい」

 春子とわたしが最後に会ったのは、由紀に一人目の子供が産まれて間もなかった頃である。軽く数えて7年前だ。

「彼氏って……。結婚してるわけじゃないの?」

「どうだろう。わたしも頻繁に連絡をとってるわけじゃないからわからないけれど、もしかしたらかもね」

「そろそろか……」

 春子は童顔で男性からのウケもいい。しかし、高校卒業後に男女関係がこじれた挙句、通っていた短期大学を一年で辞め、何を思ったのか心機一転関西に身を置いた。そして大阪の夜の煌びやかな世界に飛び込み、7年前の再開時に高校時代より格段に綺麗になっていたのを覚えている。

「未華子は浮ついた話はないの?」

 由紀が会話を切り返す。

「あるわけないじゃない。出会いすらないわよ」

「もったいないなあ。未華子、顔も整っているし家事だって出来るじゃない」

「家事なんて、見た目じゃ出来るか分からないよ」

「自分からアピールするのよ」

 アイスティーを飲み干し、由紀は言う。わたしもケーキを完食し、ホットコーヒーを飲む。

「それに、今結婚したって妊娠のリスクは高いし、同年代は大体既婚者か恋人持ちだよ」

「今の時代、子供いなくたって幸せになれるわよ。春子みたいに、同棲してても籍入れてない人もいるし」

「流石既婚者、説得力あるね」

 わたしがわざとらしく言うと、由紀が笑った。笑いながら口をおさえる左手の薬指には、きらりと結婚指輪が光っている。

「別に結婚を促しているわけじゃないから。未華子みたいに仕事を真面目にやって打ち込む生き方も、春子みたいに若い時に若さを武器にして、そのあと愛する人と暮らす生き方も全然いいと思う。わたしは今、結婚も出産もしてよかったと思っているけどね」

 にこやかに笑う由紀。高校生の頃の派手で遊び好きな由紀に聞かせてあげたい言葉だ。

 そして由紀ははっとし、スマートフォンのロック画面を見る。ロック画面は由紀と子供たちの自撮り写真になっている。

「やば、子供迎えに行かなきゃ」

「そっか、もうそんな時間。支払いしておこうか?」

「お願い!」

 由紀は机に五千円札を置く。

「おつりは次に会った時でいいから。ごめんね、最後慌ただしくて」

「全然大丈夫だよ。わかった、気を付けてね」

「ありがとう。また連絡するね!」

 椅子に掛けていた薄い羽織を腕にかけ、ブランド物のハンドバッグを手に持つ由紀。何度も謝り、手を振りながら喫茶店から出て行く。扉にかかっていたベルがドアの開閉により音を鳴らした。ぎりぎりまで話し込んでしまったことを後悔する。

 由紀の幸せそうな姿は微笑ましくもあり、同時にどこか複雑な心境になる。春子の現在の話を聞いたことも相まって、少し自分の未来が心配にもなった。

 自分の未来に期待はしていない。母と実家で暮らし、一人っ子だからのちのち介護もするだろう。今の職場に満足できなくなったら転職して、それなりに年をとるまでどこかしらで働く。幸い母の教育のおかげで家事全般は出来るし、就職活動を頑張ったからか職場にも恵まれている。一人で生きていける術もお金もそれなりにはあるつもりだ。

 だからもう、妊娠はおろか交際も結婚も諦めている。由紀が結婚した頃には婚期に焦り、彼女が出産した頃には子供が羨ましくもなった。そして春子のように若さや可愛さで奔走は出来ないから、誰かに媚びずに地道にちまちまと日が昇っている間に働き、給料を得る。たまに、春子の若々しさやそれを武器に出来るあざとさに羨望の眼を向けていたことも事実である。

 由紀には一生を添い遂げる人がいて、一生守らなければならない子供もいる。春子も今熱を向けられる、そして熱を向けてもらえる人がいて、若さで得たお金や生まれ持った武器がある。

 わたしには、何があるのだろうか。そしてこの先、何を得られるのだろうか。

 底知れぬ不安がわたしを包み、怖くなって慌てて店を出た。先程まで晴れていた空は曇天に変わり、薄暗くなっていた。

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