2024

「未華子、もう服や小物は作らないの?」

 ある晩、夕食を食べていたわたしに母は言った。食卓に並んだ殆どのおかずはわたしと母によって食べられ、皿は空になりつつある。わたしにそう問いかけた後、母は正しい持ち方で箸を持ち、一口白米を口に入れる。何もかけていない素朴な白米を味わいながら、わたしの返答を待つように。

「作ってるよ、少しだけ。服はもうしばらく作っていないけれど」

 わたしは高校生の頃、制服アレンジから裁縫の魅力に目覚め、趣味でファッション小物や服を制作していた。自分の頭に思い描いたデザインや形が少しの工夫で形になるのが嬉しく、専門的に学びたいと考え、高校卒業後は服飾の専門学校にも通った。デザインを考え型紙を制作して、用意した布を裁断して形を作っていく、これら一連の流れは人よりスムーズに、且つ細かく出来るつもりだ。

 しかし、専門学校を卒業して服飾とは無縁の仕事に就いてからは、中々まとまった時間の確保も出来ず、服飾からは徐々に遠ざかっている。ヘッドドレスや手提げバッグといった小物は、休日や隙間時間を使って制作しフリーマーケットアプリに出品もしていたが、服の制作は結構な時間がかかる。わたしはもう、昔に比べてあまり制作意欲もなかった。何せ、日々を生きるのに精一杯なのだから。

「未華子の作るお洋服、お母さんは好きよ」

 母が言う。母には何度か、練習と題して小物や服を制作してプレゼントしたことがある。殆どは何処かほつれていたりサイズが合わなかったりしたが、十年近く経っても覚えているらしい。たまにわたしの制作した巾着に化粧品を入れているところも見かけたことがある。

「好きな物はもう殆ど、令和になる頃には熱意がなくなったの。平成に置いてきちゃった」

「残念ね。お母さんはずっとピアノが好きだけれど」

 母がふふっと笑って言う。母は昔から、ピアノ中心に生きている。ピアノがこの世から消えたら、同時に悲しみに暮れた母も消えるのではないかと娘ながらに感じてしまう。わたしにとってピアノはただの楽器でしかないけれど、母はピアノが人に見えているのではないかとすら思うことがある。

「お母さんはピアノが仕事になったからいいじゃない。好きなことがある方が、年をとっても生きやすいって言うし」

「あなたにも言えることよ」

 にこやかに、だけどどこかぴしっと発された母の言葉に返す言葉も見つからない。わたしは母にとってピアノのような、熱中出来て仕事にすらなり得るような趣味や特技はない。

 空になった茶碗を見つめる。母は塩焼きにしたぶりの骨を取り、白身を口に入れる。母はもう60歳を過ぎているが、現役でピアノ講師をしたり演奏をしたりしているからか、どこか周りの同年代より心も身体も若い。指先はピアノを弾いているからか細くて綺麗、老眼こそあるものの病気や身体の衰えといった話もない。教室のピアノ発表会や地域のイベントでピアノ演奏を行うため、身なりや言葉遣い、服装にも気を配っている。

「数カ月先の話だけれど、今年もピアノの発表会をしようと思っているの」

 母が話題を急に変え、また喋り出す。母の営むピアノ教室では、生徒が長期休みのタイミングで年に数回、グランドピアノのあるホールを借りて発表会を行う。生徒たちは自分の弾きたい曲やレベルにあった曲を選曲し、母の指導で練習を重ねて本番に挑む。これは長年毎年行っている伝統のようなもののため、わたしはその言葉に特に驚きはしなかった。

「今年ももうそんな時期なのね」

「そう。それで相談なんだけれど、凪ちゃんの衣装を作ってくれないかしら」

「え?」

 母はにこやかにそう言うが、わたしは困惑しかなかった。先日、凪ちゃんとは対面したが、なぜあの子の衣装の話になるのか。そもそも今まで、わたしが母の生徒に宛てて衣装を制作したこともない。

「凪ちゃんのお家ね、父子家庭なの」

 母が目を少し伏せて言う。今時片親家庭は珍しくないはずだが、母は少しためらうように言葉を続ける。

「発表会の衣装って少し高いでしょう。私もそれを”買ってください”なんて言えないのよ」

「でも今時、安くてもお洒落に見える服はあるよ。何も素人が作った手作りなんて……」

 わたしは専門的なことは学んでいる。しかし、その知識を活かして仕事をしたこともなければ、制作した過去の服が、どこかのブランドに目をつけられたことも勿論ない。趣味に毛が生えた程度、素人も同然である。

 わたしが否定的な顔をしたからか、母がため息をつく。そして席を立ち、レッスン室から巾着を持って戻ってくる。それは、わたしがかつて母にあげたものだった。水色の薄い無地の布と白地に水玉模様の入った布を合わせて縫い上げたもので、袋口がフリルになっているものである。高校生時代に暇つぶしで作った挙句、使わず母にあげたものだった。母は未だにその巾着にピアノの鍵盤を拭く布やチューナーを入れている。

「実は、これを見た凪ちゃんが凄く可愛いって騒いでね、未華子が作ったって話したのよ。そしたら作ってほしいって言いだして」

 この巾着を見た日が、丁度発表会の説明や衣装の話をした日だったらしい。わたしが過去に服や小物を作っていたと何の気なしに話した母に、凪ちゃんは発表会の衣装を頼んできたそうだ。

「まだ凪ちゃんのお父さんには衣装の話は軽くしか話してないけれど」

 母はそう言って一度お茶を飲む。会話が止まった。

 父子家庭云々といった前置きは、母なりにわたしのことを話してしまった罪悪感と言い訳だろうと直感的に思った。購入を促す言葉は言いづらいと言いつつ、凪ちゃんのおねだりを無下には出来ない、といった具合である。

「少し考えさせて」

 わたしの言葉に母は頷いた。

「無理になんて言うつもりはないわ。けれど、未華子の作った衣装を着て教え子がピアノを弾く、それを見たいって思ってしまったのも事実よ」

 母は少し笑ってそう言うと、手を合わせて食事を終える。

 わたしもそれに続いた。

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