2024 凪
わたしのパパは忙しい。
朝、わたしを起こす。起きなかったらお姫様だっこで寝ぼけたわたしをリビングに連れていく。アパートだから広いお家じゃないけど、ベッドルームからリビングまでは廊下を歩いて行かなきゃいけない。ひんやりした廊下を、パパは毎日わたしを起こすために行き来する。
洗濯物を狭いベランダに干して、
わたしの髪を結ってくれるのもパパ。保育園に通っていた頃から結ってくれているから、年々上手くなっている。櫛の使い方も徐々に慣れてきて、ツインテールが左右非対称なことも減った。
準備が出来たらわたしの手を引いて家を出る。卒園までは保育園まで一緒に行っていたけれど、わたしが小学生になった今は玄関でお見送り。
わたしのパパは、パパであってママ。
わたしのパパは、小さなカフェを営んでいる。平日の昼間11時から15時までと、週に3回は夜の18時から23時の営業時間。昼間は珈琲やスイーツを出して、夜は少しのお酒とパフェを出す。わたしは珈琲もお酒もわからない子供だけど、パパが考えて作ったメニューはどれもいい香りで美味しそうだと思う。夕方営業していないのは、わたしの習い事の送迎があるから。
夜に営業する日は、わたしはパパのお店のカウンターで宿題をしたり、お店のタブレットで動画を見て待っている。何度か手伝おうとしたけれど、「凪にはまだ早いからね」と止められる。パパはとても心配性。わたしは、そんなパパがお店でお皿を割ったり失敗したり、体調が悪くなったりするのが怖いから、宿題をするふりをしてパパを見守っている。わたしも、パパに対しては心配性かもしれない。
パパはわたしを「ちいさなおかあさん」とたまに言う。
「ピアノ教室、楽しかった?」
わたしと手を繋いでお家に帰る際中、パパは聞いた。遠くに小さく月が見える、春から夏に変わりかけた空気の夜。今日はカフェの夜の営業はないから、いつもよりのんびりなパパ。
「うん!左手がまだ難しいけどね」
わたしが空いていた左手を閉じたり開いたりすると、パパは笑って言った。
「右手は弾けるようになってきてるんだろ?凪はすごいよ。パパはピアノ出来ないから」
「右手もまだ早いのは出来ないよ。指がたまに突っかかるの」
「難しいんだな。もっと広いお家に引っ越したら、電子オルガン買おうか」
パパがわたしの頭を撫でる。大きくて、洗い物のせいで少しかさかさな手。
「お引越ししたら、パパのお財布それだけで空っぽになっちゃうよー」
「こらこら、凪はお金の心配なんてしなくていいんだよ」
パパはわたしがお金の心配をすると、少し不服そうな顔をする。そして苦笑い。いつものこと。
「あ、そういえば今日ね、ハムカツ食べたの!」
「給食で出たのか?」
「ううん、ピアノの先生のお家で少し貰ったの」
「迷惑かけちゃったなそれは」
パパは少し困ったように言った。
「今度作ってよ!」
わたしがそう言ってパパの手を強く握ると、パパは更に困ったように笑う。
「揚げ物は大変なんだぞ」
パパはそう言って笑う。キッチンに油が跳ねるし処理が大変だし、とパパが呟いている間にお家が見えてくる。
パパはわたしのパパであってママ。わたしはパパにとっての娘であって小さなママ。
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