抗議

「兄ちゃーん、おはよぉー!」


 がばっ むにゅっ


 真奈美がこの店で働き始めてから、もう三ヶ月近くが経った。

 今日も真奈美は元気だ。

 最近、さらに胸が大きくなったような気が……

 それが分かるくらい毎日抱きついてくる。

 オレも普通の男だし、色々困ってしまうのだ。


「これ、真奈美」

「はぁーい!」

「オレに抱きついたらダメです」

「なんでぇー?」

「オレも男だからね」

「だーかーらー、私が――」

「それやっちゃったら、オレは店長に殺されるからダメ」


 最後まで言わす前に、はっきり断る。

 頬を膨らます真奈美。オマエはリスか。


「別にいいじゃん……兄ちゃんのケチ……」


 ぶつくさ言いながら、待機部屋へ向かう真奈美。


 がばっ ぷにんっ


「きんぱっちゃん、おはよぉ〜」


 抱きついてくる「嬢」第二弾。

 尚美姉さんまで……


「尚美姉さんまで何やってるんですか……」

「えぇ〜、私の抱擁はイヤ?」

「ほのかな加齢臭が……んがっ!」


 額に青筋を浮かべながら、オレの鼻の両穴に指を突っ込んだ姉さん。


「あっ? オマエ、なんつった?」

「ふほぉはふなかほひは(フローラルな香りが)」


 にっこり笑って、オレの顔を自分の胸にうずませた。

 ぷにぷにで、すっげぇいい匂いがする。


「真奈美ちゃんほどないけど、私だってそこそこでしょ!」

「は、はい……これ以上は、ちょっとマズいです……」


 そっと耳打ちする尚美姉さん。


「……私と……する……?」


 がばっと身体を離すオレ。


「姉さん、やりすぎです! からかわないでください!」


 オレの顔は、多分真っ赤だろう。


「はい、はい、ごめんねぇ〜……きんぱっちゃんなら別にいいのに……」

 

 何やらちょっと不満気にぶつぶつ言いながら待機部屋へ向かっていった。

 ふたりとも仲良くしてくれるのはありがたいけど、ひたすら生殺しだな、まったく……



 いつものこんなドタバタもあり、今日も平和な一日になるって、そんな風に思っていた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「責任者を出せーっ!」「出せーっ!」


 な、何だなんだ。

 突然店に大声を上げながら中年の女性が五人入り込んできた。


「女性を救うぞーっ!」「救うぞーっ!」


 女性を救うって、何のこと?


「あ、あの……」

「アナタここの従業員!?」

「は、はい、そうですが……」

「こんな性風俗店で働いていて恥ずかしくないの!?」

「へっ?」


 リーダー格であろう五十台位の女性がまくし立ててくる。


「女性を辱めて搾取するこんな業界は滅びればいい!」

「そうだ、そうだーっ!」

「女性を辱めるとか、そんなことは……」


 店の入口の騒ぎに、真奈美と尚美姉さんが何事かと離れたところから見ている。


「あーっ! アナタ!」


 勝手に店の中へズカズカ入ってくるリーダー格の女性。


「ちょ、ちょっと困ります!」


 制止するオレを無視して奥へと向かう。

 そして、真奈美と尚美姉さんの前に仁王立ちに。


「アナタ!」


 真奈美を指差す女性。


「は、はい!」

「まだ若いのに、こんな店で働いて……可哀想に……」

「???」


 女性の言動にハテナマークの真奈美。


「きっとあの金髪男に脅されてるのね! 間違いないわ!」

「兄ちゃん、とっても優しいよ」

「ほら、騙されてるのよ! 優しいわけないじゃない!」

「でも優しいよ」

「もう洗脳している感じね! 彼女を救う必要があるわ!」


 真奈美の腕を掴もうと手を伸ばす女性。


 パチンッ


「痛っ! なにすんのよ!」


 その手を払ったのは、尚美姉さんだ。


「やめてくれる。彼女に手を出すの」


 そんな尚美姉さんを睨みつける女性。

 そして、その視線を真奈美に向ける。


「いい?! こんな店でずっと働いてたら、この女みたいにセックスしかできないオバサンになっちゃうのよ!」


 女性からのあまりの言葉に、尚美姉さんの瞳に涙が浮かぶ。


「自分みたいな淫乱な女の仲間を作りたいのかしら! いやらしいオバサンね!」


 バンッ


 オレは受付カウンターを殴りつけた。

 シーンとする店内。


「アンタに尚美姉さんの何が分かるんだ。取り消せ」

「な、何よ! これだから低俗な店の従業員は――」

「今言ったこと、全部取り消せ!」


 オレの剣幕に、押し掛けてきた女性たちが一歩引いた。


「お待たせしました、私が責任者です」


 店長がやって来た。


「奥へどうぞ。お話を伺います」


 真摯な態度の店長に誘導されて、店の奥の事務所の方へと向かう女性たち。


「店長……すみません……」


 オレは、思わず大声を上げてしまったことを詫びた。


「バカタレ、謝るな」


 店長はオレの頭を撫で、事務所に向かっていく。


 残されたオレたち三人。

 オレは尚美姉さんを抱きしめた。


「姉さんがそんな女じゃないこと、オレ知ってます」

「……うん」

「だからアイツらの言ったこと、気にしたらダメですよ」

「……うん」


 尚美姉さんは、オレにしがみついてきた。


『私を離さないで』


 言葉にはしないが、そんな気持ちがひしひしと伝わってくる。

 こんな姉さん、初めて見た。相当傷ついたのかもしれない。

 

 その様子を優しく微笑みながら見ている真奈美。


「真奈美もおいで」

「うん!」


 嬉しそうにやってきた真奈美と尚美姉さんをオレは強く抱きしめた。

 風俗店の従業員と「嬢」のふたり。一般のひとたちから見たら、もしかしたら底辺の人間なのかもしれない。でも、オレたち三人の間には、他のひとたちにはない強いつながりがある。きっとこれが「絆」なのだろう。

 オレは、そんな絆が深まったような気がした。



 でも、これがきっかけで大事件が巻き起こるなんて、オレは思いもしなかったんだ。



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