転職

 あの女性団体の襲撃から一週間が経った。

 尚美姉さんもだいぶ気持ちを持ち直し、今は仕事を頑張っている。


 逆に真奈美は、最近ちょっと元気がない。

 体調が悪いわけでもなさそうなので、疲れているのかと休ませようとしているのだが、仕事には来ている。何か悩みがあるなら何でも言ってほしいのだけれど……


 かっこー かっこー かっこー


 歩行者用の信号が青になった。電子音のカッコウが鳴いている。

 そして、「児童横断中」の旗を持ち、緑色の反射板付き作業着を着たオレの目の前を、ランドセルを背負った子どもたちが駆け抜けていった。


「おい、金髪! 行ってくるぜ!」

「生意気なクソガキめ! 気をつけて行って来い!」

「金髪のお兄ちゃん、行ってきます」

「おぅ! 信号渡っても車に気をつけてな!」


 住宅地が近い戸神風俗街は、住民たちとの軋轢を一番恐れている。なので、各店は街の美化活動やイベントにも積極的に参加しており、この「緑のお兄さん」活動もその一環だ。今はほぼ毎朝、子どもたちの登校時間の前後に、交通量の多いこの信号で立っている。

 お陰様で子どもたちとも仲良しだし、この間は女の子からプレゼントをもらってしまった。頬を赤らめながら「いつもありがとう」だってさ。モテる男は困っちゃうね!……子どもにしかモテない人生って……とほほ。


「ただいまーっと」


 店に帰ってきたオレ。

 受付のところに、尚美姉さんが深刻な表情で立っている。

 どうしたんだろう?


「あっ、きんぱっちゃん……」

「尚美姉さん、どうしたんですか?」

「あのね……落ち着いて聞いてね」

「はい、大丈夫ですよ」


 にっこり笑ったオレに、尚美姉さんは衝撃的な一言を放った。


「真奈美ちゃん……店を辞めるらしいの……」

「……はっ?」


 思考が全部止まる。


「今、事務所で店長と話をしてる……」


 ショックだった。

 店を辞めるのはいい。そこに異論はない。

 この仕事がやっぱり辛くて辞めたくなったのかもしれない。本番行為が無いとか言ったって、知らない男性に性的なサービスをするこの仕事は、女性にとって身体にも心にも過酷な仕事だもの。

 真奈美にとってやりたいことが見つかったのかもしれない。それだったら、とても喜ばしいことだし、オレも笑顔で送り出したい。


 でも、何でオレに相談してくれなかったんだ。

 その事実がオレの心を締め付けた。


「兄ちゃん……」


 店長と一緒に真奈美が事務所から出てきた。

 オレは真奈美にかける言葉がない。


「金髪、真奈美ちゃんには真奈美ちゃんの考えがあるんだ」

「はい……」

「聞いてやってくれるか?」


 真奈美と目を合わせるオレ。


「兄ちゃん……私、お店を辞めることにした……あっ、でもお仕事がイヤとか、そういうんじゃなくてね……」


 真奈美は少し視線を落とす。


「ここで働いてたら……本当の意味で、兄ちゃんのそばにいられないから……」


 顔を上げ、オレを見つめる真奈美。


「私、兄ちゃんが好き。大好き。だから、他の仕事をして、頑張ってそこで働いて、いつか兄ちゃんの隣に立てるようになりたい」


 真奈美の頬を涙が伝う。


「私を離さないでいてほしい。だから、兄ちゃんと離れることにした!」


 オレを見つめる真奈美。

 そっか、オレのことを想ってくれていたんだな。真剣に想っているからこそ、店を辞めることにしたのか。ここで働いていたら、オレとの恋愛はご法度だからな。


「あのね、あのね、あのオバサンが働くところを見つけてくれたの! 私みたいな障がい者でも働ける会社なんだって!」

「この間来た女性団体のあの女性が、新しい就職口を真奈美ちゃんに斡旋してくれたらしい。雇用契約書を見たが、書いてある通りであれば、まぁ普通の会社だな。仕事は事務と雑務。もちろんここより給与は落ちるが、寮もあるらしいし、問題なく生活できるレベルだ。障がい者雇用に積極的らしいから、真奈美ちゃんなら問題なく働けるだろ」


 あのオバサンが斡旋? 少し不安だが、オレを想いながら選んでくれた真奈美の道だ。今さらどうこう言ったって、真奈美の決心は揺るがないだろう。だったら、笑顔で送り出す他はない。


「真奈美、オレのことをそんな風に想ってくれて、ありがとな」


 笑顔のオレに、真奈美の表情もみるみる明るくなっていく。


「しばらくはケンシュウ? とかっていうので、連絡とか取れないと思うけど、お休みの日は遊びに来るからね!」

「わかった。待ってるよ」

「真奈美ちゃん、いつでも遊びにおいで」

「ばなびじゃん、わだじのごど、わずれないでねぇ〜」


 号泣する尚美姉さんを真奈美が抱きしめる。

 オレと店長は、それを笑顔で見つめていた。



 こうして、真奈美は店を辞めていった。



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