逃走
「きんぱっちゃん、おはよぉ〜」
がばっ ぽにゅん
真奈美が店を辞めて二ヶ月近くになる。
今のところ、何の連絡もない。
「ねぇ〜、きんぱっちゃ〜ん」
ぼにゅにゅん
便りの無いのは良い便り、なんていうし、新しい職場で楽しく働いているならそれでいい。オレには祈ることしかできない。
ガッ
「いっ!」
尚美姉さんが両手のゲンコツでオレの頭を挟んだ。
いわゆる「梅干し」である。
「元気ないから、私の美乳でぽよぽよ攻撃してあげてんのに!」
ぐりぐりぐりぐり
「いててててて! め、めっちゃ気持ち良かったです!」
「でしょ〜」
ご満悦な笑顔の尚美姉さん。
そのままオレの頭を胸に抱きしめた。
「……きんぱっちゃん、大丈夫……?」
「…………」
オレは何も答えられなかった。
「……何でも言ってね。愚痴や不安を口にするだけでも心が軽くなるから……ね……」
「……はい」
尚美姉さんは、それ以上は何も言わずに抱きしめ続けてくれた。
姉さんの優しい香りがオレの心を癒やしていく。
このままずっと離さないでいてほしい、なんて思ってしまった。
姉さんにも心配かけるほど落ち込んでたのか……情けない。
身体を離すオレ。
「姉さん、ありがとうございます。もう大丈夫です!」
笑顔のオレに、尚美姉さんも笑顔を返してくれた。
「うん! きんぱっちゃんはその笑顔が一番!」
「はい!」
尚美姉さんは、手をひらひら振りながら待機部屋へ向かっていった。
よし! 真奈美が遊びに来た時に「オレも仕事頑張ってたぞ!」って胸を張れるように! 尚美姉さんに心配をかけないように! オレも頑張るぞ!
でも、そんな前向きな気持ちはすべて打ち砕かれることになる。
オレは、なぜ真奈美から連絡がないのか、その理由をまだ知らなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今日は客の入りも悪く、かなりヒマだ。
尚美姉さんも時折待機部屋から出てきては、受付フロントのオレのところにやってくる。
「ヒマねぇ〜」
「そうですねー……」
で、つまらなさそうに待機部屋に戻っていく。
こんなことを何度か繰り返していた。
ぼーっとしていても仕方ないので、掃除でもしようかと思っていたところにやって来た。おっ、客か!?
いや、可愛らしい女の子だった。
黒髪おかっぱ、上下ともちょっと汚れた赤いジャージ姿の女の子。中学生か高校生くらいに見える。確かに年齢よりも若く見える女性はいるけど、明らかに若いのだ。ウチの店で働くにはちょっとまだ早い感じ。
そして、もうひとつ。気になる点があった。
靴を片方履いていないのだ。
不安そうにしている女の子を安心させるため、彼女の前に出ていき腰を曲げて視線を合わせる。もちろん、にっこり笑顔だ。
「こんにちは! どうしたのかな?」
オレの声掛けにビクッと身体を震わす女の子。
何かを話そうとしているようだけど、言葉が出てこないようだ。
そして、何かに怯えているような……様子がおかしい。
「キミの話しやすいように話してね。お兄さん、待ってるから大丈夫だよ」
オレの言葉に、少しホッとした様子だ。
待機部屋から尚美姉さんも出てきた。笑顔で女の子に手を振っている。
うん、女性がいた方が安心できるだろうしな。
「あのね、あのね……私、ミホって言います……」
「ミホちゃんか、可愛い名前だね!」
「ありがとう……」
嬉しそうに微笑むミホちゃん。
「あのね、ここに行くように言われたの」
「ここに?」
「だから、逃げてきたの」
「???」
ミホちゃんの言っていることが分からない。
「ミホちゃん、ここに行くように誰に言われたのかな?」
「……マナミお姉ちゃん」
「真奈美!?」
「えっ、どういうこと……?」
突然真奈美の名前が出て驚くオレと尚美姉さん。
「ミホちゃんは、どこから逃げてきたのかな?」
「……分かんない」
「そっか……」
ミホちゃんを責めても仕方がない。分からないものは分からないのだから。
オレはもうひとつ質問をしてみた。
「ねぇ、ミホちゃん。マナミお姉ちゃん、何か言ってなかった? 何か預かってきたとか……」
オレの質問にミホちゃんの目が見開いた。
「あっ! これを金髪のお兄さんに渡してって!」
ジャージのポケットからくちゃくちゃのメモ用紙を取り出した。
それを受け取るオレ。メモ用紙には――
『たすけて』
――赤黒くて太い文字。血をインク代わりに、指で書いたであろうことはすぐに分かった。
「マナミお姉ちゃん、私とかユカリちゃんとかを助けるために、代わりにイジメられてて……」
「連絡がないのもそのせいか……」
あんなババァが斡旋した会社なんてこんなもんか! クソッタレ!
すぐにでも真奈美を助けに行かないと……でも、一体どこに……
オレはもう一度メモに視線を移す……あっ!
「ねぇ、ミホちゃん。思い出してほしいんだけど、マナミお姉ちゃんやミホちゃんがいた場所の周りにはビルがあった? それとも山とかがあった? 覚えてるかな?」
ミホちゃんは覚えていたようだ。
「山……は無かったけど、ここみたいにビルとかはなくて、田舎だった」
「じゃあ、ミホちゃんはそこから逃げ出してきたんだね」
「うん! はじめは走って、そしたら駅があったから電車に乗って、乗ってたひとにここまでの行き方を教えてもらったの」
「そっか、じゃあ大冒険だったね!」
「うん!」
メモ用紙は、真奈美が転職した先の会社のメモ用紙で、下の部分に本社と事業所の住所が印刷してあったのだ。間違いない! 真奈美がいるのは「事業所」の方だ!
嬉しそうなミホちゃんの頭を撫で、あとは尚美姉さんに託した。
「ねぇ、店長が帰ってくるまで待ってた方が……」
「一刻を争う事態だと思う。あとはお願いします」
オレは店を飛び出し、オレのボロボロの原付きで「事業所」へと急いだ。
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