男子校文芸部にいる、嫌いな女

ヨドコウ

男子校文芸部にいる、嫌いな女

「男子校の文芸部なんて人気なくてさ。あ、入部届けは書けた?」


 廃部寸前の文芸部に入ろうだなんて、奇特なヤツもいたもんだ。

 緊張でもしてんのか、うつむいちゃって、まあ。

 別にメガネをかけてるからって、文学少年とか思わんけども、雰囲気あるよなコイツ。


「あの、持ってきてます」

「ん」


 両手で入部届を差し出す、一年坊主。

 俺は紙切れを受け取り、名前を確認する。

 ふうん。


「……1年D組、百笑どうめきあきら

「えっ。俺の名前、ちゃんと読めた人、先輩がはじめてです」

「四万十川の方に地名が残ってるよね。知ってる知ってる」


 だって、俺知ってるもん。

 小学校の頃のイヤ〜な同級生の女。その名も、百笑晶。

 親が市議会議員だかなんかで女王として教室を支配していた百笑に、俺はずっと目の敵にされていて、散々な目に合わされた。

 ま、いいけどね。男子校に入って縁も切れたし。特に心の傷ってわけでもないんだけど。


 俺は立ち上がり、部室の扉の鍵を閉めた。


「なんですか、どういうことですか?」

 百笑の顔に不安の色が浮かぶ。


「百笑くん、顔をあげてちゃんと俺の目を見て」

 恐る恐るといった面持ちで、俺の顔を見る百笑。俺も怖がらせないように笑顔を浮かべてみたけれど、余計に不安を煽る結果になってしまった。


「や、つまりね。メガネをかけてて、本好きで、うちの学校の編入試験をパスできるくらい賢い百笑晶って人物が、俺の古い知り合いにも、ひとりいてさ」


 百笑は肩を震わせて、小刻みに首を横に振る。


「俺の顔、わからない? ……俺の名前、蜂谷はちや行成ゆきなりっていうんだけど」

「蜂谷……ひっ」


 泣きだす手前まで顔を歪めて、部室の窓から逃げようとする百笑を、俺は後ろから羽交い締めにする。


「落ち着けよ。何が起きてるか知りたいだけだから。百笑さんって、小学生の頃は女の子だったよね?」


 ピタリと百笑の抵抗が止まる。

「……なんで、覚えてるの?」


 俺は、背後から脇に回した手をスライドさせて、百笑の胸に触れた。

「やっぱり、おっぱいが無い」


 すると、百笑は嗚咽を漏らして、泣き出してしまった。

 窓ガラス越しに映る百笑のつらそうな表情に、俺は慌てて胸から手を離す。


「あっ。怖がらないでよ。ごめん。なんか、ごめん」

「ちがうの……蜂谷ぁ……あたしを、たすけて」


 ***


 部室の扉の鍵をあけ、窓を開け放ち、給湯ポットでお湯を沸かして、ティーバッグの紅茶を百笑に振る舞う。

 百笑はパイプ椅子に小さく座り、いまだに涙をこぼしながら、俺のいれた紅茶に口をつけた。


「泣いていいよ。この部室、紙だけはたくさんあるから」

 俺はティッシュの箱を備品棚から取り出して机の上に置き、そのまま百笑の対面に腰掛ける。

 百笑はティッシュペーパーで目と鼻を軽く拭ってから、口を開いた。


「中学生になったとき、朝目覚めたら男の子になっていて……」


 三年前に一夜にして世界が改変されてしまった。昨日までのセーラー服が詰め襟に変わり、家族も周囲も百笑晶を生まれたときから男として認識していたのだそうだ。

 百笑は精神を病んで学校に通えなくなり、町の名士である父親の逆鱗に触れ、地方の全寮制の男子校に叩き込まれそうになったところを、母親の説得で一年間高校受験浪人をして、自宅から通える我が校にやってきた、と。


「昔あったことを考えると、正直ざまぁって言いたくなるかと思ってたんだけど、……悲惨すぎてなんて言えばいいのか。どう信じていいのかもわからんわ」

「あたし、蜂谷にひどいことしたよね。あの頃のあたしは、どうかしてた。なんでも許される気になってた。ごめんね。ほんとに、ごめんなさい」

「……いいよ、いまさら。そんなに気にしてないし」


 百笑は、スマートフォンを取り出し、フォトアプリを画面に映しだす。

 それは百笑家のアルバムで、小学生時代の百笑晶の写真が何百枚も収められていた。


 俺の記憶では、百笑は小学生の頃から、女を武器に周囲を振り回していたような人間だ。

 当然、着る服も長い髪も、すべてを女子の記号として身にまとい、自分自身を可愛い存在だと信じてはばからないヤツだった。

 

 だが、どうだろう。このアルバムに映る百笑は、短髪に短パンで、他の男子に混ざってピースサインなんて決めてやがる。


「ちょっと待て。この写真の百笑と肩くんで笑ってるアホ面は、まさか、俺か?」

「この世界でのあたしと蜂谷は、親友だったみたい。……そっか。お母さんがこの学校を推薦したのって、蜂谷がいるの知ってたからかも」


 いやいや。


「そんな歴史はねえよ。なんで俺がお前と」

「お願い信じて。これまで、あたしが女だったことを知っている人に会ったことがないの。あたしの生きてきた過去が全部消えてしまったことがしんどくて耐えられない。……蜂谷が覚えていてくれて、ほんとにうれしくて。今のあたしには蜂谷しかいないの」

 

 俺とお前の記憶なんて、嫌な思い出しかないけどな。

 そんな正直な気持ちの裏側で、俺は得も言われぬ優越感を感じはじめていた。


 だってさ、あの百笑が、俺にすがりついて涙をこぼしているんだぜ。

 今の俺は、この世界、この宇宙でただひとりきりの百笑晶の理解者で、俺が突き放したら一瞬で、この女は這い上がれ無い絶望へと落ちていくんだろう。


 そう思うと、百笑がたまらなく愛おしく見えてきた。

 かわいいな。

 俺がおかしいんだろうか。


「男の身体でいることは、百笑にとって苦痛なこと?」

「嫌に決まってる。こんなの、あたしじゃない」


 俺は机越しに身を乗り出して、百笑の腕を掴んで、彼女の唇を、自分の唇でふさいだ。

 

「んっ……んん………んんんんー!!」


 顔を真っ赤にした百笑に力ずくで、引きはなされる。 


「っぷは。あ、あ、あ、あんた、何考えてんの!? ホモなの!?」

「いいや。いきなりキスしたことは謝るけど、でも、百笑は女の子でしょ」

「男の身体相手に少しは抵抗ないわけ?」


  少し迷ったが、俺は正直に伝えることにした。


「卒業した先輩がゲイで、俺のこと好きだったんだ。よくキスの相手をさせられてたから」

「やっぱり、ホモじゃん……」


 眉を寄せて、げんなりした顔で机の上のティッシュケースを見つめながら、百笑が言った。


「だから、違うってんだろ。百笑が女じゃなかったら、俺からキスしたいなんて思わないから」


「うん……」

 百笑はうつむいて、静かに涙をこぼした。


「涙拭きなよ」

 そっとティッシュケースを差し出すと百笑は、

「そんな蜂谷と先輩の爛れた関係に使われてたティッシュはやだあ」

 と、さらに泣きじゃくるのであった。


 ……マジで、お前さあ。


「なんか理解できたかも。男の百笑と俺が親友だとしたら、もしかして女のお前は、俺のこと好きだったんじゃないのか? 俺だけ、女のお前を記憶してるのって、そういうことなんじゃないのかなって」

「わかんないけど、そうだったのかもね。クラスで蜂谷だけ、あたしのこと見向きもしないのに本気でむかついてたし」


 すねたようにつぶやく百笑。


「男って、なかなか人前で甘えられないけど。それって、甘やかされてきた百笑には、なかなかつらいことじゃないかって思うわけですよ」

「うん」

「だから、俺にだけは甘えていいよ」

「……うん」

「キスくらいでよければ、いつでもしてあげるから」

「…………馬鹿」

「先輩とヤリまくったから、俺マジでキス上手いよ。今から試してみる?」

「はぁ? あんた、ほんっとに馬鹿なの!? デリカシー考えろ」


 俺は、小学生の頃のように罵詈雑言を並べ立てる百笑の唇を、大人のキスでふさいだ。



 おわり。

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