第35話 情報屋

小惑星プシケ<ガスパリスシティー>


ホテル<ニューガスパリス>のラウンジ。

エルネスト・レスタンクールは、コーヒーを飲みながら人を待っていた。


今日の午後のクルト・フュッテラーの尋問では、新たな情報は得られず

予定よりも少し早く取り調べを終了し、ホテルに引き上げてきたのだ。


GSA本部から昼に届いたショウジ・サクライの過去の任務記録には

調べたい内容が多かった。


モレッティー議員やサクライの家族のことはエルネストがアクセス

できるネット情報でもう少し調べられるはずなので、この後、

自分で調べるつもりだ。


しかし、クルト・フュッテラーの証言にあった違法賭博の

常連客のニックネームの情報はネットでは出てこないと思われる。

こういう時は、『裏』のネットワークに頼むのが手っ取り早いと

これまでの捜査の経験でわかっていた。


つまり、裏社会に通じた『情報屋』に捜査を依頼するのだ。


エルネストは小惑星プシケに来たのは初めてなので、

トユン・チュエがいつも使っているという情報屋を教えてもらい

コンタクトを取ろうとしていた。


地方政府直属の通常の保安部隊隊員は情報屋を使わないが、

チュエは特別捜査員なので、その情報屋を『外部協力者』として

登録し情報提供料も支払っているという。


チュエからは『パープル』という通称しか教えてもらえなかったが、

ホテルのラウンジで待っていれば、向こうから声をかけて来るらしい。


変装の達人でいつも異なる姿・恰好をしているとのことだが、

会えば必ず本人と分かるはずだと言われていた。


—— 変装の達人なのに見たら分かる? どういうことだ? ——


ホテル<ニューガスパリス>は、プシケ宇宙港に近い高級ホテルで、

ラウンジも大きい。 ラウンジのスタッフや宿泊客などであふれている。

本当にそのパープルとかいう情報屋は現れるのだろうか?


家族連れや、ビジネスマン風の男、向かい側のソファーには先ほどから

高齢の上品な女性が、紅茶を飲みながら、少し色の付いたメガネが

ずれ落ちるのを時々直しながら雑誌を広げてゆっくりとしている。 


そしてラウンジの柱の向こう側では、

ホテルの入り口のほうを見ながら、通信で誰かと話をしている男がいる。

いかにも街のチンピラという風体だ。

何となく、あれは違うだろうと感じた。


その時、ビジネスマン風のスーツ姿の男が、こちらに足早に近づいてくる。

—— 現れたか ——


エルネストはコーヒーカップをサイドテーブルに置いて、

スーツ姿の男のほうに顔を向けた。


その時、エルネストのすぐ横から突然、声が聞こえる。

「あなたがレスタンクールさんよね?」

ギョッとして振り向く。


—— すぐ横には誰もいなかったはずだ ——


そこには、向かい側のソファーにいたはずの老婆といっていいぐらいの

高齢女性がにこやかに笑っていた。


—— え?  ——


その時、足早に近づいて来ていたビジネスマン風の男は、すぐ近くを

通り過ぎて、エルネストの後ろのほうにいた知り合いに向かって

手を挙げて挨拶をしていた。


高齢女性がかけていたメガネを下げて、目を大きく開けた。

きれいなをしていた。綺麗な紫色の目だ。

「パープル……さん?」


「トユンちゃんから、女性だと知らされていなかったの?

 あなた。さっきから男ばかりを気にしていたでしょ?」

エルネストの耳元で囁いたその声は、決して高齢女性ではなく、

若い女性の声だった。


—— やられた! ——


この女性は向かい側のソファーで長いことこちらを観察していたのだ。


「ええ、その通りです。エルネスト・レスタンクールです」

エルネストが右手を差し出す。


パープルは高齢女性の変装をするために、薄手の手袋をつけていたが、

差し出した右手の感触は若くて力強かった。


「BARにでも…行きましょうかねぇぇ」


パープルのその声に、エルネストは再度驚いた。

完全に高齢女性の声色だったのだ。

—— これはまいった。相当な変装術だ ——


BARに向かう彼女は、腰も少し曲がり、歩き方は完全に初老の女性に

見えた。


2人でBARのカウンターに座り、エルネストはウィスキーの水割りを

そしてパープルはオレンジジュースを頼んだ。


「トユンちゃんからは、オンライン違法賭博関係で調べてもらいたい

 ということだったけど、何なのかしら」


パープルは飲み物が来る前に話を始めた。


「ブラックラットというオンライン違法賭博の被害者からの証言で、

 その賭博ゲームの常連客らしい参加者のニックネームが分かってます。

 『ミラノ』『ビッグフット』『シリウス』の三人です。

 ニックネームしか分からず、それ以上の情報は何も有りません。

 その3人について、もっと知りたいんです」


エルネストはパープルに電子マネーのIDコードが記録されている

チップをそっと渡した。

「これは前金です。どんな情報でもかまいません。新しい情報を入手

 してもらえたら、同じ額をもう一回払います」


パープルはチップを自分の腕の端末にかざして、前金の金額を見る。

「まぁ、GSAさんて……ずいぶんと気前がいいのね」


バーテンダーが2人の飲み物を持ってきたので、

パープルは一度口をつぐんだ。


バーテンダーが離れたのを見て、2人はグラスを合わせ乾杯をした。


「ブラックラットのサイトはガードが堅いって聞いたことは有るわ。

 だから、私もどこまでお役に立てるかは分からない。

 得られた情報によっては、この前金だけでもいいわ」


「いえ、その金額は危険手当込みです。高くありませんよ」


パープルは初めて驚きの表情を見せた。

「危険手当? 違法賭博の捜査がそんなに危険なの?」


「単なる違法賭博の捜査では有りません。 

 BRカップというブラックラットのサイト内で、さっきのニック

 ネームを知った男は暗殺されかけました。 あなたも気を付けて下さい」


「暗殺? それは随分とヤバイ話ね。 わかった。気を付けるわ。

 私はブラックラットの違法賭博サイトに入ったことはないけど、

 そのサイトで賭博をしている人は、何人か知ってる」


2人はそのあとも、少しBARカウンターに座っていたが、

パープルは自分のことは何一つ話をしようとしなかったので、

エルネストのほうが、一方的にGSA捜査員のたわいもない

苦労話をしただけだった。


後になって考えると、何でそんな話をしたのか分からなかったが、

あれが、パープルの情報屋としての人の話を聞き出すテクニックなの

だろう。


 ***


パープルと別れてホテルの自室に戻ったエルネストは、

シャワーを浴びてから、いつものようにウィスキーグラスを片手に、

ソファーでタブレット片手に調べものをする。


まずは、ジャンニーノ・モレッティー議員の過去だ。


月のアースサイド育ちのエリート。有名大学を卒業後、

一時は投資家として多くの企業に投資をして成功している。

つまり、大金持ちだ。


そして、若いうちから世界共和党の党員になり、

アースサイドの地方議会議員を経て、30代で世界政府議会の

議員に当選したとのことだ。


現在は68歳。つまり世界共和党の中ではかなり高齢で、

最も長い議員経歴を持つ重鎮になっている。


—— いや、こんな表面的な情報を見ても仕方がない ——


ジャンニーノ・モレッティーの政治事務所の団体のサイトを見る。

彼の政治理念や、功績をたたえるページ。そして政治献金の受付や、

事務所スタッフの求人欄などが有った。


ごくありふれた政治団体のサイトだ。


サイトのページをいろいろ開いては閉じ、面白そうな情報が無いので

別の方向から調査しようとして、サイトを抜けようとしたとき、

モレッティーに面談を申し込むための、通信アドレスに目が行った。


暗号のような通信アドレスの中に、『Barbara』という文字が

含まれていたのだ。


—— え? バーバラ? もしかして? ——


エルネストの気づきは当たっていた。


良く調べていくと、

ショウジ・サクライの妻であるバーバラ・マクミランは、

10年前、つまり彼女が20歳台半ばからジャンニーノ・モレッティー

議員の秘書を務めていたのだ。 

そして3年前からは、第1秘書となっている。


つまりショウジ・サクライは、モレッティー議員の護衛任務をしていた

時に、当時は第2秘書だったバーバラと出会ったに違いない。


そして、その任務期間中に彼女と親密な関係になり、

護衛任務が終わった直後に結婚、そして一人娘を授かっている。


ショウジ・サクライにとって、モレッティー議員は、

単なる昔の警護対象者ではなく、妻の上司ということだ。


ショウジ・サクライの最後の言葉が頭をよぎる。


『ブラックラットの調査から手を引け。

 でなければ、お前もあの人に消されるだけだぞ』


—— そうだ……

   『あの人』という呼び方がずっと頭に引っかかってた ——


自分の家族を人質にとって、悪事の協力をさせる犯人を呼ぶような

『奴』とあ『あいつ』という呼び方ではない。

何かもっと深い関係の知り合いという呼び方だった。


かつて、自分が護衛した警護対象者。

そして今も妻が第1秘書として使えている大物議員。


—— 『あの人』という呼び方でぴったりじゃないか! ——


サクライの言葉。

『俺の苦しみは家族を持っていないお前には理解できないだろうな』


—— そうだ。サクライの妻は常にモレッティーの傍にいる。

   バーバラ本人は、気が付いていないのかもしれないが、

   ショウジ・サクライにとっては常時、人質を取られて

   いるようなものだ —— 


モレッティーがブラックラットの黒幕だという証拠は何もない。


しかし、あのショウジ・サクライが、愛する妻との出会いをきっかけに

モレッティーに操られるようになってしまったと考えれば、

GSAの同期生が自分が望まない悪の道に墜ちて行ったという流れも

理解できるような気がした。





次のエピソード>「第36話 人命救助」へ続く

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