第28話 黒ずくめの男

小惑星プシケ<ガスパリスシティー>。


エルネスト・レスタンクールは巨大円筒形居住区内のエスケープ・

トランクを上り、リサイクル機器室に入った。

証明が落ちているので、ヘルメットの赤外線暗視装置を起動する。


資源開発局員クルト・フュッテラーの暗殺を未然に防ぎ、黒ずくめの

暗殺者を追い詰めたまでは良かったが、巨大な居住区の緊急時避難経路

でもあるエスケープトランクに逃げ込まれ見失ったのだ。


円筒形居住区の回転中心部のシャフトセンター区画には、

トユン・チュエ特別捜査員が、保安隊員を配備しているので、

外部に逃げだされるおそれは少ない。


しかし、セキュリティーシステムがダウンさせられ、監視カメラ群が

機能していない中では、多くの機械室などを結ぶスケープトランク網を

使って、どこかに身を隠されてしまう恐れがある。


夜が明けて、地方政府職員達が多く出入りするようになるまでに、

捕まえないと、職員に紛れて逃走してしまう危険性があった。


慎重に床面の埃を観察する。

うっすらと堆積した埃に、新しい足跡がついているのが分かった。

リサイクル機器室の奥に向かっている。


—— 逃がさないぞ ——


黒ずくめの男は、銃器は留置場の中で落としたので、持っていない

はずだが、ナイフはまだ持っているかもしれない。

—— 奴は投げナイフの腕前はかなりだった ——


エルネストも、足首にセットしてある隠しナイフを取り出して

広いリサイクル機器室の中の足跡を追った。


リサイクル機器室というのは、どのこ宇宙移住施設にも有るが、

空気、水、廃棄物、汚物などあらゆる物質を処理して再利用するため

の装置が詰まっており、各種の大型機器や太いパイプが多く、

隠れられる場所も多い。


足跡は、最初に入って来た入り口から機器室の対角線上の奥にある

階段に向かっているようだが、男が行ったり来たりしているようで、

少し乱れており、はっきりとしない。


ベルトのポケットから極小センサーチップを取り出して、リサイクル

機器室の通路に面した機械に張り付けた。自分以外の者の動きが有れ

ば、エルネストのヘルメットにアラートが出る仕組みだ。


機器室内を操作しているうちに、元の15番エスケープトランクに

逃げ込まれても厄介なので、センサーを設置しておけばそれを

探知できる。


 ***


シャフトセンター区画。


トユン・チュエ特別捜査員は、タブレットに表示させた巨大居住区の

図面を見ながら、指示を出していた。


「第5班は屋上の出口、第6班は地下の出口を封鎖しろ。

 この回転している居住設備から外に出るにはどちらかしかないんだ。

 からは絶対に逃がさない様にするぞ。


 第3班、第4班はこのシャフトセンター区画のエスケープトランク

 の各出口に2人ずつ配置しろ。15番にはすでに第1班Aチームが

 4人入っている。第1班Bチームは16番。

 第2班は2名ずつ、他のエスケープトランクに入って捜索だ」


保安隊員達は、チュエの指示に従い機敏に行動を開始する。

—— 暗殺者め、袋のネズミだ ——


チュエの通信端末にエルネスト・レスタンクールからの通信が入る。


「奴はリサイクル機器室に入ったようだ。この機器室の別の出口を

 調べてほしい」


チュエはタブレットの図面を見ながら、リサイクル機器室の奥には

上の機械室への階段があり、その機械室からはセンターシャフト方向に

向かう16番エスケープトランクと、その先に空調室が有ることを

エルネストに通信で伝えた。


 ***


エルネストはリサイクル機器室内で、物音を立てない様に慎重に足跡を

追う。男が何処に潜んでいるのかわからないからだ。


リサイクル機器室の奥の角、上部の機械室へと昇る階段下にたどり

着いたが、パンチングメタル製の階段ステップには埃は積もっておらず、

上に行ったのかどうかは判断できなかった。


階段の上り口にもセンサーを設置する。


腕の通信端末に保安部隊の通信が次々に入る。

『こちら第1班Aチーム。

 15番エスケープトランクチームから4名入り、エレベーター

 制御室側に2名が行き、残り2名でさらに下に降ります』


『こちら第1班Bチーム 16番エスケープトランクから下りている。

 今の所異常なし。もうすぐ空調室入り口に着く』


—— よし。上からは確実に追い詰めている ——


エルネストはパンチングメタル製の階段ステップを上り、上の機械室へ

向かう。

リサイクル機器室は夜中は停止している機械が多いせいか、

比較的静かだったが、上の機械室からは大きい騒音が聞こえて来る。


音で相手の気配を察知するのは難しいと、機械室に入る前から分かった。

逆にエルネストの声も相手には聞こえないと判断し、保安部隊の通信で

連絡をする。


「こちらGSAのエルネスト・レスタンクール。

 今、リサイクル機器室から上がり機械室に入るところだ」


『エルネストさん了解。もうすぐ隊員達も到着します』

トユン・チュエからの返答。


機械室の扉を開ける。音がうるさい。


中は運転中の機械の状態を示すLEDランプなどの光で意外と明るく、

ヘルメットの赤外線暗視装置機能は自動でOFFになった。


素早く周囲を確認するが、大型の機械類やコントロールパネルなど

が並んでいて、機械室全体は見えない。

—— どこだ? ——


部屋の奥のほうのコントロールパネルの向こう側で、何かが動いた

気がしたが良く見えなかった。

その場所に向かって、左右を確認しながら慎重に進む。

コントロールパネルの横からそっと奥を覗く。


—— なんだ。こいつが動いただけか ——


コントロールパネルにぶら下げて有る操作時の注意メッセージを書いた

札がパネルの端にぶら下げてあり、それが空調の弱い風で、ひらひら

と動いていた。


と、その時、殺気を感じて振り向くと、目の前にナイフが迫っていた。


黒ずくめの男が、背後からエルネストの首筋にナイフを突き立てようと

して迫って来ていたのだ


間一髪、首を振ってかわす。


相手のナイフを持った右腕がヘルメットをこすりながら、右の首すじ

近くを通った。


エルネストは驚いてバランスを崩しながらも、バックステップを踏んで

相手との距離をとり、自分も右手のナイフを構えようとするが、

男は間髪入れずに詰め寄って、今度はエルネストの左胸に向かって

ナイフを突き出そうとする。


エルネストは左腕で、男のナイフを持った右腕を跳ね上げるように

しながら、上体を後ろにそらしながら右足を振り上げ、男の左脇腹を

蹴り上げた。


男は大型機械のほうに勢いよく吹き飛ぶ。

—— 当たりが弱い! 自分から飛んで威力を消した! ——


黒ずくめの男は、エルネストの蹴りの勢いを消すために、素早く

後ろに飛んだ所までは良かったが、後ろにある大型機械との距離が

近かったため機械に背中からぶち当たる。


その衝撃で背中に付けていた小型バーニアのジェット噴射口が折れ、

手に持っていたナイフも落とした。


エルネストは軽やかにステップして、今度は自分のナイフを勢い

よく男に向かって突き出した。


男はそのエルネストの右腕を両手で受止めると、その腕をひねり上げる

方向に飛び上がった。

—— こいつ! カメルーン柔術も使うのか! ——


カメルーン柔術は、宇宙時代の格闘技で、1G環境から無重力環境まで

を考慮した格闘技だ。

保安部隊員の基礎訓練にも使うので、当然、エルネストも使える。


黒ずくめの男は、銃器の使い方、投げナイフも優秀だったし、

カメルーン柔術まで使うとなると、ただのゴロツキではなく、かなり

訓練された暗殺者ということになる。


エルネストは自らも床を蹴って、体を回転させて腕を折られるのを防ぐ。

二人は絡み合うような体制で一緒に床に落ち、エルネストが握っていた

ナイフが床に叩きつけられ、根元から折れて飛んだ。


男は床を転がりながらも、エルネストの右手首をもって腕ひしぎ十字固め

をかけようと、足を振り上げてエルネストの首に引っかけた。


腕が伸び切らないように、エルネストは左手も使って防御をする。

体制を立て直すと、腕を取られたまま男の体を持ち上げと、次は床に叩き

つけるように振り下ろした。


男は止むを得ずエルネストの右腕を離して、受け身を取ると、

そのまま後ろ向きに回転しながら、軽やかに立ち上がり、少し距離を

取って体制を立て直した。


二人はまるでレスリング選手のように、相手に向かって両手を出し、

低い体制をとり、相手に隙が有ればタックルをしようと身構える。


じりじりとにらみ合う。


エルネストのヘルメットには保安隊員からの通信が入って来ている。

『こちら第1班Aチーム。 2名がリサイクル機器室に入ります』


保安隊員達はエスケープトランクを、降下装置を使って高速で降りて

来たのだろう。エルネストが思っていたよりもずっと早く、リサイクル

機器室からここに来れそうだ。


エルネストがリサイクル機器室に着けたセンサーが反応してピピっと

アラームも鳴った。


黒ずくめの男は、エルネストが通信の音に一瞬気を取られた隙をついて

タックルをしてくる。


エルネストは咄嗟によけながら、相手の左腕とスーツの右脇を掴み

巴投げのような恰好で、後ろに倒れ込みながら男の体を蹴り上げる。


それと同時に、左腕を両手で持って後ろに投げながら、自分も体を

捻り上げて腕をねじ切ろうとする。

カメルーン柔術の基本の、投げとひねりの複合技である。


男は腕へのダメージを減らすために、空中で飛びながらも体をひねって

うつ伏せに床に着地するや否や、右手で自分の左腕を握っている

エルネストの腕を掴み、エルネストの捻り技を防ぐ。


両者は腕を取り合ったまま、近い間合いで蹴り技の応酬をする。

男が強く前蹴りを放すと、二人は手を放して距離を取った。


目の前の黒ずくめの男がボイスチェンジャーを通したような声で

つぶやいた。

「ふん。格闘技の腕を上げたなエルネスト・レスタンクール」


—— なんだって? こいつ! 俺を知っている? ——


相手の黒いヘルメットのバイザーの向こうから聞こえる声は、

ボイスチェンジャーを通しているため、誰だかわからない。


しかし、自分もGSAの宇宙スーツを着ているとは言え、

名前が分かるようなものは身に着けていない。

ここ小惑星プシケで、自分の名前を知っている者はごく少数の

はずだった。


「お前は誰だ!」





次のエピソード>「第29話 交渉」へ続く

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