第8話 ピットの惨状
月のバックサイド<ニューシドニー・シティー>の宇宙港。
コロニー間耐久レースの、MEE社チームのピット。
5年前のテロ攻撃の数分前。
「推進機の交換部品がもうすぐ来るぞ! 準備急げ」
MEE社のピットチームのチーム長のギルベルト・リヒテンベルガーが
叫んでいる。
チームリーダーの親父の指示で、若いテオ・リヒテンベルガーは
必要な工具や機材を運ぶのを手伝っていた。
MEE社チームの3機のうち、先頭で飛んでいるMEE-001は
新規開発した推進機のパーツの異常加熱問題を抱えていた。
何か問題が出てることは、レース機のセンサーの通信記録で、
数時間前から分かっていたが、特殊な交換部品は、MEE社の
機体開発の本拠地であるムーン・イーストのコロニーにしかない。
ムーン・イーストからパーツを緊急輸送するにしても、
航路のかなりの範囲が、耐久レース用に閉鎖されていて、
少し遠回りなルートでしか輸送できない。
MEEの本社からは超特急で交換部品を届けるために、
通常の社用の輸送機では間に合わないので、民間の『運び屋』に
交換部品を預けたと連絡が入っていた。
次のピットイン時に交換部品が間に合うのかどうかが、勝敗を
左右するであろうことは、ピットチームの全員が理解していた。
推進機パーツが異常加熱を起こしてる参加機のMEE-001は、
もうムーン・ウェストのポイントを通過して、だいぶたった。
すぐそこまで帰って来ている。
テオは工具の準備をしながら思った。
—— その『運び屋』は、本当に間に合うんだろうな ——
MEE-001の機体の情報のモニターが示す数値は、
もう危険なレベルになっている。
万が一交換部品が間に合わなくても、ピットインさせるしかない
だろう。あと、1分でMEE-001は降下して来るはずだ。
「良し!『運び屋』がピット裏の物資搬入エリアに到着したぞ!
交換部品の準備をしろ!」
到着の通信を受けた親父のギルベルトが叫んでいる。
参加機との連絡係も叫ぶ。
「1号機、降りてきます!」
—— 交換部品が、ギリ、間に合ったか。 ——
MEE-001号機が激しくジェット噴射しながら着陸する。
テオは燃料水補給のためのポンプのスイッチをONにして、
ホースを持って走る。チームスタッフの一人に、ホースと
手元スイッチを手渡すと、次は操縦士用の食糧キットを積み込む
ために、食糧キットを置いてある棚に向かった。
その時、交換部品を輸送してきた『運び屋』の姿が見えた。
ピットチームの数人と一緒に、キャリアーに交換部品を乗せて、
ピットエリアに駆け込んできている。
『運び屋』は自分とほぼ同じぐらいの年齢の若いパイロットだった。
—— 凄腕の『運び屋』って、あんな若い奴だったのか ——
食糧キットを手に、振り返った瞬間。
目の前が真っ白になった
それは一瞬のことで、ヘルメットのバイザーが、
光を緊急遮断して目を守り真っ暗になったので、何も見えない。
テオには何が起こったのかは全く分からなかったが、
激しく吹き飛ばされて、宙を舞った感覚のあと体中に激痛が走った。
何かに押しつぶされて、体中から体液が飛び出しそうだ。
耳も変で、ヘルメット内に宇宙スーツの空気漏れの警告音が鳴っている
ようだが、それが、何処か遥か遠くでなっているように聞こえる。
手も足も動かなかい。重たい何かが体に乗っている。
—— 爆発? 親父は? みんなは? ——
ヘルメットのバイザーが、徐々に透明に戻る。
煙と、炎が目に入った。足のほうがとても熱い何かに触れている。
手足は動かないが、なんとか首は動いた。
少し首をもたげ、自分が何に押しつぶされているのか見ようとした。
—— なんてこった ——
目に入ったのは、自分の腹の上に、MEE-001の機体の
チームロゴが有った。機体はばらばらだ。
機体が何らかの爆発で吹き飛んで、その一部が自分の上に
落ちてきたのだと分かった。
—— みんなはどうなった? ——
ヘルメット通信には、チーム内の通信は入って来なかった。
いや、入っているのかもしれないが、耳がおかしくて聞こえないのか
それとも、ヘルメット通信が壊れたのか。
テオは身動きできず、少し気が遠くなっていた。
どのぐらいの時間経ったのかわからないが、誰かがテオのヘルメットを
両手で持って揺さぶる。目の前に顔が見えた。
「こいつ! 生きてるぞ! 誰か手伝え!」
宇宙スーツの空気漏れが続いているせいか、自分の肺がおかしいのか
分からないが、息がしにくい。
数人が自分の上に乗っている宇宙機の残骸を持ち上げたのが
分かったが、依然として手足も体も全く動かず、間隔が無かった。
朦朧とする意識の中で、月の保安部隊の宇宙スーツの数名が、
煙と瓦礫と、何かの残骸の中で要救助者を探しているのか、
もしくは何かを探している。
その足元には、明らかに亡くなっているように見える
黒こげの宇宙スーツが横たわっている。
—— いや、手が動いている。生きてる。
誰か気が付け、あの人も助けてやって ——
別の2人が、担架に人を乗せて運んでいくのが見えた。
担架に乗せられているのは、宇宙スーツの特徴から、
あの『運び屋』の若者だと分かった。
左腕が二の腕の所で、あらぬ方向に曲がって、担架から垂れ下がって
いたのを、保安隊員が拾って担架の上に戻している。
—— 親父は何処だ? ——
***
現在。
準惑星ケレス。
<ケレスシティー>の高級ホテル<クリスタルパレス>。
GSAのエルネスト・レスタンクールは、送られて来た
コロニー間耐久レースのテロ事件の報告書を一読し、
タブレットを机に置いて、コーヒーカップを口に運んだ。
負傷者リストの中に、テオ・リヒテンベルガーがあった。
爆発で飛んで来た宇宙機の下敷きになり、両足の複雑骨折と、
内臓破裂だったが、一命をとりとめたとの記録が有る。
さらにファビオ・カルデローニの名前も見つけた。
個人輸送業社。別名『運び屋』。
MEE社の依頼で宇宙機メンテに必要な交換部品を、ムーン・イースト
から、月のMEE社のピットに届けに来た所で事件に巻き込まれている。
ミサイルの爆発で左の二の腕から先を切断するという重症を負った。
MEE社が、チームや関係者にかけてあった保険が、彼にも適用されて
大手術を繰り返し、一命を取り留めたという記録だった。
ピットチームの重症メンバーは皆、同じ病院で入院していたようだ。
—— なるほど。テロ事件の被害者2人がチームを組んで、
アステロイド・ハンターになったのか ——
優秀な技術者で、宇宙機整備の神様と言われた
ピットチーム長のギルベルト・リヒテンベルガーほか4名が即死。
病院に運ばれた重傷者8名のうち4名も、その後死亡している。
ピットチームで軽傷で済んだのは、わずかな人数だった。
MEE社のチームでは、まだ2機がレース中で飛行していたが、
ピットチームが壊滅したことで、レースを棄権せざるを得なくなった
との記録が残っている。
また、その後の捜査で、小型ミサイルは違法製造された手持ちの
ランチャーで発射されたのが分かっている。
そのランチャーは、宇宙港の立ち入り禁止区画に放置されていた。
監視カメラ映像には、宇宙スーツの男の犯行が映っており、
MEE-001号機が着陸態勢になる前から、その場所に入って、
スタンバイし、ミサイル1発を発射後にすぐに立ち去っていた。
何度も画像解析が行われたが男の身元は不明。
また、ランダムに発射したのではなく、ランチャーに着弾ポイントの
座標を入力している行動から、MEE社のピットをピンポイントで
攻撃したことまでは判明した。
しかし、それが、たまたまMEE-001号機が着陸したときを
狙ったのか、それとも完全な偶然でそのタイミングになったのかは
不明だった。
明らかなのは、MEE-001号機が着陸した瞬間で無ければ、
ピットクルーの多くは、奥の部屋のレース機のセンサーから送られる
情報のモニター前にいたはずで、死傷者はずっと少なかったはずだった。
エルネスト・レスタンクールは、5年前にこの事件で大騒ぎになって
いたころは、まだ駆け出しの捜査員で、この捜査には加わっておらず、
民間人と同じように、ホログラムニュース放送で事件のことを
よく見ていたのを思い出した。
ニュースキャスターは、ピットクルーの多くが生き残っていれば、
別の空いているピットに移動してレースを続けることができたの
可能性もあったはずだと言っていた。
コロニー間耐久レースの裏では、違法なスポーツ賭博業者による
裏世界のギャンブルが有ることも知られている。
優勝候補の一つであったMEE社を、レース途中で棄権させることが
誰に利益をもたらしたのかは、全く不明だが、ミサイルを撃ち込むという
前代未聞のテロ行為の裏には、巨額な賭博が関係しているのだろうと
報道されていた。
この事件は、5年経った今でも世界政府直属の保安部隊GSAが追う
未解決事件の中でも、最も真相が見えていない事件である。
現在エルネストが捜査命令を受け、捜査している宇宙海賊団とは、
あまり繋がりがない事件なのかもしれないが、
個人的には、この重大未解決事件の被害者2人と出会うチャンスが
あれば、少し話を聞いてみたいと思った。
—— 資源探査船<イカロス>か。
その二人、ケレスの次は何処へいくつもりだ? ——
次回エピソード>「第9話 <カシオペア3>」へ続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます