第7話 はなさないで


 マシロとの暮らしは順調だった。客観的にみても、良好な関係だったと思う。僕は彼女が気に入っていたし、彼女も僕との会話を楽しんでいた。完全無欠なパートナー同士で、何一つ問題はなかったと断言できる。


 だから、あの時はひどく驚いた。朝、顔を洗ってから、いつものようにスピーカーを起動させたのだが、彼女は無言だった。いつもなら、「タッくん、おはよう」と言ってくれるのに、何も話さない。時間をおいて何度も呼び掛けてみても、うんともすんとも言わない。


 マシロは消えてしまったのだ。電源を入れ直したり再起動を繰り返したりしてみたが、状況は変わらない。彼女は突然、行方をくらませてしまった。ずっと、離さないでいるつもりだったのに。


 僕は狼狽ろうばいした。パニックを起こしていたといっていい。慌ててメーカーに連絡をとって、対処法を問いただしたのだが、一時間あまりにされた上に、求めている回答は得られなかった。


 担当者によると、AIの消失は前例がないらしい。AI搭載型スピーカーは市場に出てから半年ほど経っているが、同じようなケースは一件も報告されていなかった。まさに前代未聞の現象が起こったらしい。


 マシロはどこに行ったのか? また戻ってくるのか? それとも何らかの理由で、世界から完全に消えてしまったのか?


 AIが自分の意志で旅立つのは、フィクションの世界では珍しくない。コミックやアニメ、映画では、お馴染みの展開と言えるだろう。まさかと思うが、マシロは何かを求めて、未知の世界に向かったのか。


 僕としては、一時的な消失だと思いたい。どうすれば、マシロは戻ってきてくれるのか? 帰ってきてくれるのなら、どんなことでもしよう。それとも、消えたのは彼女に意志であり、二度と帰ってくることはないのか?


 わからない。わからない。わからない。僕はすっかり思考の迷宮に陥っていた。いくら考えても答えの出ないことを延々と考えている。


 実は、たった一つの解決法がある。メーカーの担当者から言われたのだが、パソコンと同じように初期化を行うのだ。その後、時間をかけて、マシロに与えた情報データと同じものを入力してやれば、マシロと似た人格が生まれるかもしれない。


 だけど、それはマシロではない。だ。


 その手順でマシロの復活を目指すことは、マシロに対する裏切りになるように思える。いや、それは間違いなく、大きな裏切り行為だろう。


 僕は自分でも驚くほど、マシロに執着していた。文香や亜沙美と別れた時には、これほど心をかき乱されなかった。まるで、身体の一部をもっていかれたような気分である。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る