3話 電話

 ない。ない。ない!


 今朝学校に行く時には確かに鞄に付けた。


 しかし、帰宅後鞄から外そうとすると、そこには何もなかった。


 いったいどこで落とした? いや、そもそも落ちないように細心の注意を払って取り付けている。自然に落ちる事など考えられない。


 誰かが意図的に外した。それ以外考えられない。


「まさか……!」


 犬上奈緒は焦っていた。普段は感情の起伏がないように意識して行動しているが、この時ばかりはそうも言ってられなかった。奈緒が感情を制御している理由――『お犬様』の人形が見当たらないためだ。


 人為的な原因を考えた時に奈緒の頭に浮かんだのは一人のクラスメイトの顔であった。 

 奈緒の顔に焦燥が浮かぶ。



 

 その夜、鹿島は上機嫌だった。

 犬上奈緒はそろそろ人形がない事に気が付いた頃だろう。その場で様子を見られないのは残念だが、楽しみは明日の朝まで取っておこう。

 ようやくクラスの異物を取り除ける。これで、麗奈のクラスカーストの地位を脅かす者は誰もいなくなる。

 

「ふっふっ~♪」


 麗奈は上機嫌でお風呂上がりの髪を乾かしていた。


 ~~~♪♪♪


「はいはい~どちら様ですかーっと」

 スマホに電話がかかってきた。片手にドライヤーを持ったままスマホの画面を確認する。

 映っていたのは非通知の文字。不審に思いながらも電話に出る。


「もしもし?」

『あたしイヌカミサマ。今ゴミ捨て場にいるの……』


「はぁ?」

 電話に出ると童女のような老婆のような、艶があるが、掠れた、それでいて無邪気さが混じり合った何とも奇妙な声が聞こえたきた。

 その声が話す内容も意味が分からず、思わず疑問の声が漏れた。


『あたしイヌカミサマ。今ゴミ捨て場にいるの……プープープー』


 すると、声は再び同じ言葉を繰り返し、こちらが何か反応する前に電話が切られた。


「マジ何? 悪戯電話?」

 良い気分が台無しだ。スマホを手にしたまま疑問半分苛立ち半分。スマホの画面に映る、眉間に皺を寄せた自分の顔を睨み付ける。


 ~~~♪♪♪


 ドキッ 

 数分後再びスマホから着信を知らせる音が鳴り響いた。


 表示されていろのはやはり、非通知の文字。

 恐る恐るスマホを耳に当てる。

「……はい」

 

『あたしイヌガミサマ。今西南高校の前にいるの……プープープー』


 今度は言う音だけ言って電話が切れた。


「マジ何なんだし!!」


 苛立った麗奈はスマホをベッドの上に投げ付けた。

 

 しこし、その後も電話はかかり続けた。


 『あたしイヌガミサマ。駅前のコンビニにいるの……プープープー』

 『あたしイヌガミサマ。今〇〇公園にいるの……プープープー』


 初めはたちの悪いいたずら電話かと思った。しかし、声の主の居場所が段々近づいて来ていることに気が付いた時には、言いようのない恐怖が全身を駆け巡った。


 そして、ゴミ捨て場と言う言葉のせいか、あの人形が脳裏二チラついた。


「――ッ!」


 気付いた時にはスマホの電源を落としていた。コレで電話はかかってこない。


 しかし、女子高生麗奈にとって、スマホをつつけない時間は長かった。部屋に時計がないので時間もわからない。

 どれくらい時間が経った?

 〇〇公園から麗奈家までは十分ほど……。


 〜~~♪♪♪


「!!!!!!⁉」


 驚きのあまり、文字通り飛び上がった。

 部屋に鳴り響く聞き慣れた音源メロディー。信じ難いが、手に持っていたスマホが震えている――電源を落としたはずのスマホが。

 表情されているのは、非通知の文字。


(どうしてどうしどうしてどうして⁉)


 恐怖で顔が引きつり、手が震える。

 しかし、何故か指は一人でにスマホの画面を操作していた。


「……ッ」

 声が出ない。

 ただ静寂が流れる。

 そして、その静寂を破ったのはアノ声だった。


『あたしイヌガミサマ。今麗奈の家の前にいるの……プープープー』


「〜~~ッ!!!!」

 咄嗟に電話を切りスマホを投げ捨て、部屋のドアに向かった。


 ガチャリ


 鍵を締めた。

「はぁっ はぁっ はぁっ」

 それでも、速まった呼吸は、鼓動は落ち着かない。

 今度はそっと、窓際に移動する。

 カーテンを少し開け、玄関先に視線をやる。


「…………はぁぁ」


 ソコには何も居なかった。

 安堵感に膝が崩れた。

「何してんだろ、私」

 自嘲気味な呟きが漏れた。


 〜~~♪♪♪


 今度こそ心臓が止まるかと思った。

 実際に呼吸が、動作が、表情が……麗奈の汎ゆるモノが時間を止めた。

 

『あたしイヌガミサマ。今アナタの後ろにいるの』


「…………」

 カーテンを締めた状態で固まってしまった麗奈。お風呂上がりだというのに、冷や汗が止まらない。

 理性ではそんな事ありえない事は分かっている。電源を落としたスマホから着信音が鳴り、何の操作もしていないのに、相手に繋がり喋りだす。

 しかも、鍵がかかっているはずの玄関やこの部屋の扉を麗奈に気付かれないように開けて侵入するなど……。


 分かっている。あり得ない。

 あり得ないのだが……。

 

 理性ではなく、本能が告げていた。

  

 今自分の後ろには間違いなく何かがいる、と。ソレが決して見ては行けない類のものだと言うことも。


 しかし、意志とは反対に身体がゆっくりと振り返っていく。


「……イヤ。……イヤ。やめて……止まってよっ――――イヤぁぁぁぁぁ!」


 そして、麗奈の視界は暗転した。




 ◇




 翌朝。犬上奈緒はアラームが鳴る前に目を覚ました。

 カーテンの隙間から差し込む光はまだか細い。

 しかし、その僅かの明りでも目当ての者はすぐに見つかった。

 

 扉から鞄に向かって続く赤黒い小さな足跡。

 

 奈緒はゆっくりベッドから降りると、鞄の中を確認した。

 教科書や参考書に紛れて、そこに在ったのは赤黒い犬の人形。

 以前見た『お犬様』と同じものがそこに在った。


 奈緒は『お犬様』を掴むと、そっと部屋を後にした。

 向かったのはお風呂場。そこで熱いシャワーを人形に浴びせた。

 血が、記憶が、後悔が……全てが流れていくように。


 十分程洗い続けた『お犬様』を持って部屋に戻った。

 見違えるほど広くなった毛並み。一段と毛が逆立っていた。


「ふぅぅぅ……」


 深い溜息が出た。

 予想はあった。しかし、出来れば当たっていて欲しくはなかった。

 それは、これまでの奈緒の努力すべてが否定されるに等しかったから。


 再びベッドに寝転び、スマホに手を伸ばすと着信があり、留守電が残されている事に気が付いた。


「…………」


 嫌な予感がした。したが、確認しない訳にはいかなかった。

 奈緒はゆっくり画面を操作した。


『――ガガッ―――ガッ』

 

 初めに聞こえてきたのは雑音。


『ザッ――ガガッ――イデ……』


 次第に音声がクリアになってきた。


『ハナサナイデ――ハナサナイデ――ハナレナイデ――……ワタシハ、アナタヲハナサナイカラ』


 アハハハハハハ。狂喜の笑い声が鼓膜を揺らした。

 思わずスマホを投げ出してしまったが、それでも耳に残る不快な声。

 それは童女のような老婆のような、艶があるが、掠れた、それでいて無邪気さが混じり合った何とも言えない奇妙な声だった。


 自然に視線が一か所に向いた。

 まだ濡れたままの『お犬様』の人形に。


 



 数日後。鹿島麗奈が死んだそうだ。

 アレからずっと入院していたそうだが、誰にも会いたがらないためお見舞いにも行けないと仲が良さそうだったクラスメイト達が話していた。

 自殺だったらしい。まだ人気も疎らな時間に学校の屋上から飛び降りたそうだ。

 目撃者によると、顔中に包帯が巻かれていたが、飛び降りた衝撃で包帯の一部がほどけその下にある顔が露出していた。

 そして、その下にあったのはかつての美しい顔――ではなく、無理やり皮膚を剝がされたような肉の色だったという。


 その話を聞いて、かつて好きだった人と、友達だった人の事を思い出した。

 サッカー部のエースだった彼は利き足を失い、優しかった彼女は心を失った。


 みんなその人が一番大事な部分を捕られている。



 ◇



 昔お母さんが言っていた。

『お犬様』は我が家の守り神だが、私たちにとっては祟り神なのだと。

 憑き物筋という家がある。我が家もそれらしい。

 その中でも『犬神』――コレは狗の動物霊と言う訳でなく、色々な低級の悪いものが寄り集まって出来た呪いのようなモノらしい。

 そして、この呪いは家ではなく人に憑く。

 妬み、嫉妬、飢え、恨み、羨望、憧れ、怨讐……あらゆる感情が寄り集まって出来たソレは強い感情を持っていた。


 所有者呪った相手を離さないという感情。


 所有欲。独占欲――自分だけのモノ。


 そうであれば、呪いは歓喜して、富となる。そうでなくなれば、狂気し災いとなる。


 



 だから、私は独りでお犬様といなければならないのだ。

 そっと手の中の人形を撫でる。

 以前より毛羽立った毛先が、チクチクと手を刺した。


 


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はなさないで 菅原 高知 @inging20230930

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