Chapter14 小悪魔

「おはようございます! 先輩、先日はありがとうございましたぁ!」


 朝、出勤すると社内ですれ違った青山さんから先日ナンパの礼を言われた。律儀だな!こちらこそ恐縮です。


「おはよう。あれから大丈夫だった?」

「はい、おかげさまで! あのぉ……これよかったら使ってくださいっ! 先日はご馳走になってしまったので」


 視線を逸らしモジモジとする彼女は、小さな包みを俺に押し付けて去って行った。

 うさぎの様な逃げ足だ。取って食いやしないのに……まぁ、この後デスクで会うんだけどな。

 小さな紙袋の中を見ると紳士物のハンカチが入っていた。彼女なりの感謝だろう。実用的でこの季節は嬉しい。 ありがたく使わせていただきます。


 さて、七月も終盤突入だ! 締日も近い……そうだ、三ノ輪の所に行って領収書の清算しに行かなきゃ。


 青山さんの歓迎会の日程も明日中には調整付きそうなので、店も予約できる。一昨日彼女に好き嫌いを聞けて良かった!


 今週の金曜日にUPする動画の編集も昨日の夜出来たし、今週も頑張るか。それに昨晩もカメラを回したので何か撮れているといいなぁ……物事がうまく進むほど楽しい事はない。充実してんなぁ~俺。


「よう! 月島、おはよう」

「先輩! おはようございます」


 佐倉先輩だ。この人はいつも爽やかだなぁ。などと思ったのも束の間、そんな先輩が困り顔で尋ねてきた。


「変な事聞いて悪いんだが……月島の所にうちの妹来てないか?」


 本当に変な事を聞かれたので心拍数が上がった。脳内に浴衣姿の彼女が現れて不安そうな顔をして『バレたら捕まっちゃう……』とつぶやいた。


「いえ、来てませんよ……」


 しまった!……とうとう先輩に嘘をついてしまった。


「だよな? なんか妹が彼氏と喧嘩したんだとよ。それで出て行ったみたいでさ。俺も妹に電話したんだけど繋がらなくて……どうせ友達の家にでもいるんだろ。まぁ、あいつらの喧嘩は今回が初めてじゃないからな、大丈夫だろ。すまんな」


 などと言いつつも心配しているのだろう。そう言って先輩は去って行った……まずい!元彼が動き出すのか?? 俺は慌てて零のPC宛にメールを送った。


『急にすまん、元彼が大輝さんに零が出て行った事を相談したらしい。昨日大輝さんが零に連絡しているみたいだ! スマホ確認してみてくれ』


 彼女も仕事中ならメールに気づくだろう。しっかしあの男……チラつきやがって……


 ◇ ◇ ◇


「先輩、一緒にお昼行きませんかぁ?」


 青山さんが話しかけてきた。その声で午前中が終了したことを知る。

 零と元彼が頭の中でチラついて仕事に集中できなかった……。

 

 ヤベェ……仕事が終らん


 昼飯を食って気分転換しよう。いつも通り大輝先輩を誘おうとしたら今日は上司に誘われてしまったらしい。……う~ん残念。俺は青山さんをチラリと見る。二人でランチは気まずいかな?


「青山さん、佐倉先輩が居なくて二人っきりになっちゃうんだけど……」

「私は大丈夫ですぅ!行きましょう!」


 まぁ……男女サシで昼飯食べる人もいるよな? 考えすぎか。それに、本人がいいって言うから何かのハラスメントにもならないよな?


 この日は彼女が食べに行きたい店が有ると言うので二人で食べに行った。暑いオフィス街を5分程歩くと、裏路地に小洒落たパスタ屋が有った。へぇ~こんな店会ったんだ。よく見つけたな彼女は……


 俺はナポリタンをオーダーした後にスマホをチェックすると零からメールが届いていた。


『教えてくれてありがとう。お兄ちゃんには取材旅行に行ってるってメールで伝えたから大丈夫だよ。心配かけてごめんね』


 対応してくれてよかった。何とか誤魔化せそうだ。……ほっとしてスマホをポケットにしまおうとすると青山さんが話しかけてきた。


「先輩……連絡先交換しませんかぁ?」

「あれ番号教えなかったっけ?」


 確か、彼女には会社で貸し出されているスマホの番号を教えたはずだが……

 しくは俺、ガチで連絡先教え忘れた?

 それはまずいんだが……冷や汗を冷房が更に冷やしていく。


「それは会社スマホの番号ですよね? 会社のスマホは古くてバッテリー弱いからすぐ電源切れて連絡取れないんですよね。個人のスマホも知っていた方が便利で……」


 ああ!良かった。バッテリー切れになるのは、俺が充電を忘れるからなので善処いたします。まぁ、社内の親しい人は俺の個人の連絡先も知っているから、今更戸惑う事は無い。


「ああ、そう言う事か、いいよ」

「やったぁ!これ、スキャンお願いしますっ」


 彼女は自身のスマホにメッセージアプリの二次元コードを表示して俺に差し出した。俺はそれをスキャンして、登録内容を確認する。軽い電子音と共に彼女の連絡先が無事追加される。


 ピンクと黒のうさぎのキャラクターアイコンに平仮名で “はづき” と書かれている。俺は青山さん宛てに『よろしく』とメッセージを送ると、『よろしくお願いします♡』のメッセージとウサギのキャラクターがお辞儀するスタンプが送られてきた。むう! 女の子っぽい!!

 双方登録できたので、これで連絡先交換の儀は終了した。


「やったぁ! これで沢山お話できます! ありがとうございます!!」


 彼女は嬉しそうにスマホを握りしめて、そう話しかけた。


 沢山? お話??


「―――?……うん! これからもよろしく頼むよ」


 この時感じた疑問はナポリタンの香りに掻き消されてしまうのであった。


 ◇ ◇ ◇


 午前中の遅れを無事取り返すことが出来、定時で仕事を切り上げて会社を出た。


 そうだ! マウス買おうかな? 今、家で使ってる純正マウスは手に合わなくて腱鞘炎になりそうなんだよな。

 思ったが吉日、家電量販店でマウスを物色ていると視界の端に違和感を感じた……これと言って原因を言えないのだが……


 疲れ目だろうか? 最近動画編集で目を酷使するからな。


 良さげなマウスも購入したので、外食してから電車に乗った。家路につくとすっかり日が沈んでいる。それでも蒸し暑さは顕在で早くエアコンの効いた部屋に入りたい。汗をかきながら家に着くと真っ暗だった。やはり零は元彼を警戒している。


「ただいま」


 玄関の明かりをつけて、鍵をかける。遠くから「おかえり」と零の声が聞こえた。

 ネクタイを緩めワイシャツのボタンを外しながら2階に上ると、零のデスクとPCの明かりがガラス戸から洩れる。仕事頑張ってるなぁ〜


 俺は自室に入ると荷物を置き、着替えを持って風呂へと向った。汗だくなので一刻も早くシャワーを浴びたい。


 脱衣所の電気を点けようよするが何度スイッチを押しても点かない。


 ……あ。確か今朝、脱衣所の電球が切れたって言ってたなぁ。買ってくれば良かった。


 キッチンの明かりをつけて、脱衣所のドアを開けっ放しにし、キッチンの明かりを頼りに服を脱ぎ始めた。零は2階で仕事してるから見られないだろう。勢い良く服を脱ぎ捨てて風呂場の電気をつけて中に入ると……


 零が、湯船に浸かっていた。


 何か言おうとして口をぽかんと開けたままの彼女と目が合った。そしてブクブクとマリンブルーに染まった湯の中に隠れるように口元まで沈んでいく。残念ながら半透明で隠れられていない。


 良い谷間だ……いや、2階に居たんじゃ?


 彼女の近くには蝋燭ろうそくのような小さなライトが灯っている。あぁ……お風呂の癒しアイテムか。いや、元彼を警戒して風呂まで電気付けていないのか!? 狼狽えていると鏡に映る俺の息子とも目が合った……俺を見る零の視線がゆっくりと上から下へと移動している。俺は戸を静かに閉める。


 見られたぁーーーーー!!

 いや、見てしまった……ああああああっっっ!!!


 慌てて腰にバスタオルを巻き心を鎮めていると、脱衣所の隅に彼女の着替えが置いてあった。


 しまった……暗くて見落としていた!


 その着替え……パジャマの上には畳まれた水色の衣が視える。あああ……今日は水色履くのね。頼む俺、脳内再現やめてくれ。


 背後で風呂場の戸が開く音がした。零が5センチ程戸を開けてその隙間から申し訳なさそうに声を掛けてくる。


「ごめんなさい……! 電気つけずに入ってたから気づかなかったよね?? あの……バスタオル取ってもらってもいい?」


 何で俺はこの家に来てから彼女に驚かされてばっかりなんだ! 別の意味で心臓に悪い。君、幽霊か何かか??


 俺は頷き隙間を直視しないようにバスタオルを差し出すと、白く細い腕が伸びてタオルを掴んだ。零さん? 曇りガラスの戸だから余計にエロいです……まずい!戦略的撤退だ。


 俺はトイレに逃げ込んだ。しばらくするとトイレの扉がノックされる。


「颯太ごめんね? お風呂空いたから入って……私、もう2階にいるから安心して? ……」

「おう、分かった……こっちこそごめん。」


「ううん……あのね、コンタクトしてないから何も……見えなかったからっ!……おやすみっ」


「ああ、おやすみ……」


 慌てて階段を駆け上る音が聞こえる。

 俺は見ちゃったんだよな……それに、その言い方は見ちゃったでしょ?……ああ! せっかく落ち着いたのに!


 それもコレも全て元彼の所為だ!! あいつの所為にしておこう!!


 その翌日切れた電球は取り換えられ、脱衣所の戸に新たな札が追加されることになったのであった。

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