Chapter 2 契約 

 無人であるはずの幽霊屋敷で寝ていた着物姿の美女は、この家の家主である先輩の妹、佐倉零さくられいだった。


 大輝だいき先輩には9つ年の離れた妹がり、時々先輩から彼女の話を聞くことが有ったのでその存在は知っていたが……実際に会うのは今回が初めてだ。

 先輩が今年34歳だから……彼女は25歳。俺の二つ下だ! ……美形兄妹って羨ましいな。

 

 しかし引っかかる事が有る。妹さんは確か……


「先輩から妹さんは彼氏さんと同棲して家を出ていると聞いたのですが……」


 俺はできる限り丁寧に聞く。この状況で警察に突き出されたらたまらない! ましてやあの先輩の妹様だ。今後の信用問題に関わる! 俺の質問を聞いて彼女……零は目を細めながら気まずそうに答えた。


「彼氏とはその……一か月前に分かれました」


 ―――へっ!? 別れたぁ!?


「一か月前? 一か月の間どうしていたんですか? 友達の家を転々としていたとか……」

「昼間はここに居て夕方に友達の店に避難して……深夜店が閉まってから、ここに帰って来てました」


「大輝さんや、陽菜さんには帰って来た事伝えていないんですか?」

「はい……執着心が強い元彼が私を探してて……元彼はお兄の後輩だから情報がれたら私、捕まってしまうので……」


 『捕まる』……彼女は暗い顔で自分の体を抱いて背を丸くした。そして、震えてる……元彼と厄介な事になっているのか。それならば尚更なおさらお兄さんを味方に付けた方が良かったのでは……?

 そして、この子は一か月間ひっそりと幽霊のようにこの家に隠れ住んでいたのか。ん? 幽霊?? ……俺の頭の検索エンジンが不意に働き出す。もしかして?


「幽霊の正体って零さん?」


 彼女はそれを聞いてビクリと肩を震わせると、申し訳なさそうに項垂うなだれる。


「そうかも……しれない……です。まさか陽菜ねえが私に気づいて怖がっていたなんて知りませんでした。妊娠中なのに悪い事しちゃった……」


 あああ……それを聞いて俺も項垂れた。つまりこの家に幽霊は “いない” のか。

 それに佐倉家の住人が居る。しかも妙齢みょうれいの女の子だ、そんな家に俺は居られない。


「そうでしたか……知らなかったとはいえ寝ている所押し入ってしまいすみませんでした。俺、帰ります。あ、でも明日荷物が届くからそれだけ受け取りに来ます」


 レンタル倉庫に預けていた荷物を仕事帰りに宅配でここに送ったのだ。ダンボール三箱。ミニマリストで良かったと思う瞬間の一つでもある。


「え? 月島さんアパート退去しちゃったんですよね? どこへ行くんですか?」


「今日は漫喫にでも泊まります。この件は『幽霊が怖くて諦めました』って先輩に説明して断りますから。あ! 俺からは零さんの事言いませんよ? でも、零さんから先輩に連絡入れて欲しいなって。もし何かあったら……ね?」


 本当にそうだ。妹は彼氏と一緒に居ると思い安心している先輩にとったら晴天の霹靂超びっくりだ。


 俺はそう言って椅子から立ち上がり、撮影道具をリュックの中に仕舞った。振り返って彼女に挨拶しようとした時だった。ベッドの対角線上に居た彼女が四つん這いで俺の近くに来た。ふわりと石鹸せっけんの香りが舞い、白い華奢きゃしゃな手が俺のTシャツの裾を掴む。


 ―――えっ?


「あの! こちらの都合でご迷惑かけてしまったので、今日は泊まって行ってください。何なら契約通り住んで頂けると嬉しいです」


「ええええ!?」


 これはどういう状況? 彼女の表情を見ると困り顔で泣きそうだった。

 混乱した俺の口から絞り出したセリフは


「いや、その……幽霊もいないし…」


 それを聞いて彼女は一瞬考える。その後ハッとして真剣な目で俺を見て言った。


「祖父はいわくつきの品を集めていたので、呪物じゅぶつが有るかもしれません」


 ―――呪物!


 俺はごくりと唾を飲む。憧れの配信者の中にも呪物コレクターがいて、呪物を観察したり呪物と一緒に過ごしてみたレポート動画をUPしている人が居る。呪物の定点観察とかも有りか? 特級ならなお良い!


 いや! 呪物は有りだが、見ず知らずの女の子とひとつ屋根の下は駄目だろう! せめて日を改めて撮りにに来るとか。そうだ退散しよう。


「あ……明日荷物を取りに来た時に撮らせてください……じゃぁ」

「私! グラフィック強いです。それに友達の動画編集手伝ったことも有ります!」


 ―――動画編集経験者だと? しかもグラフィックソフトも。


 俺は動画編集すらまだだ。少しずつ慣れて行くつもりで居たが経験者に教えてもらう事が出来る環境だと……なんで彼女は俺を引き留める?


「あの……素朴な疑問なんですけど、何で俺を引き留めるんですか? 零さんにメリットなんて……」


 ある訳無い。むしろ見ず知らずの男と同じ屋根の下なんて身の危険を感じるのでは?彼女はそれを聞くと、左手で俺のリュックをがしりと掴む。


「メリット……思惑おもわくは……月島さん、私のボディーガードになってくれませんか?」

「は? ボディーガード!?」


 彼女からの提案に俺は情けない声で聞き返してしまった。

 いやいやいや……俺、鍛えてないし! 腹筋6つに割れてすらいない。中肉中背のThe標準の俺にそんなことを言われても。目を白黒させていると彼女は言葉を続けた。


「十月までの三か月間でいいんです! 私、兄に話す勇気が無いんです。元彼は兄のお気に入りだから……ブロックしてもいろんな手段で連絡してきてスマホの通知が止まらなくて怖いんです。それに、今日みたいな事が有ったら一人は心細くて……」


 俺を掴む彼女の手が微かに震える。彼女の足元に転がるスマホの画面は電源が入っておらず真っ暗だった。こんなんじゃ何かあったときに通報すらままならない。


「兄が家を貸す程信頼している貴方あなたなら、私も安全な気がして……なので考えてもらえないでしょうか? あっ……彼女さん」


 そう言って彼女はそっと両手を離してぺたんと座る。バツの悪い顔をしたあと俺を困らせまいとしたのか。


「すみません。自分勝手で……非常識ですよね? なんでもありません。忘れて下さい」


 困り眉のままそう言って彼女は微笑んだ。


 んんんんん……ああああああ……


 俺はリュックを降ろして再び椅子に座る。急に座った俺に驚いたのか彼女は小さく悲鳴を上げた。俺も思いのほか近い彼女に内心少し驚く。


 あぁ! 何でこんなにいいニオイするだよ! もう!!

 俺は煩悩を振り払い真剣に彼女の目を見つめる。


「彼女は居ないんで心配しないでください。……分かりました。見ての通り鍛えていないのでボディーガードには役不足ですが……俺が居て安心できるなら協力します。……正直、漫喫は足が伸ばせなくて辛かったんで助かります。ただ、動画の作り方教えて頂けるとすごい嬉しいです。あと呪物も。いいですか?」


「えっ……?」


 彼女は理解が追いつかずキョトンとしていたが、次第に顔が明るくなる。そして少女のような可愛い笑みを返してくれた。さっきまで目を細めて睨んでいた彼女がこんな笑顔を見せてくれるとは……。


「月島さん、ありがとうございます! もちろんです! よろしくお願いします!!」


 …………笑うとすーっごく可愛い。


 いや! 彼女と間違いが起らないようにだけ気を付けよう。俺は怖いを取りに来たんだ。浮かれるな! 己を律しろ!!


 壁の時計を睨んだ彼女は、何かに気づいたのか俺に問いかけてきた。


「月島さん、シャワー浴びます? 湯船にお湯張れますけど?」


 シャワーと聞いてドキッとして彼女を見てしまった……が、良く考えると俺は熱帯夜でジワリと汗をかいていた。それに時間は深夜を回っている。


「いえ! シャワーだけで大丈夫です。」


「わかりました。キッチンの奥にシャワーが有ります。脱衣所にタオル置いておきますね。あと布団も一階の和室に敷くので、今日はそちらで休んでください。」


 彼女はそう言って穏やかに微笑んで、部屋から出て行った。

 何だろう……胸がむずかゆい。客人としてもてなしてくれているのだろうけど新婚生活を疑似体験しているかのような……いかんいかん!


 俺も荷物を持って一階に移動し、玄関に置いてあったボストンバッグも回収し和室の中に入る。


 一階の和室って!?

 彼女のご先祖様に見守られながら眠るのか!!


 俺はシャワーを浴びてTシャツハーフパンツを着た後、気まずさを感じながらも久々に足を延ばして眠るのであった。


 俺の幽霊屋敷生活はこうして幕を開けた。

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