Chapter 1 退去通告 

「先輩、聞いてくださいよ。俺、アパート退去通告の通知見逃してて……あと二週間で新しい部屋探さないといけなくなっちゃいました……」


 昼休み、俺は会社の先輩とうどん屋で冷やし肉うどんを食べながら、ここ最近で一番大きな悩みを話した。先輩は俺の話に呆れるように眉をしかめておろしうどんをすすった。そりゃそうだ、当の本人が一番呆れている。我ながら情けない。


「そりゃ災難だな。確かにお前んとこのアパートかなり古かったもんな。社員寮は聞いたのか?」


「ええ、総務に聞いたら今は空きが無いって言われて……暫くホテルかマンスリー借りる事になりそうです。部屋探しで有給使うかもしれません……それにせっかく副業に向けて金貯めたのに。引っ越しで消えていくなんて……」


 俺は悔しさを飲み込むようにうどんを啜る。この肉うどんが俺の心と胃袋を満たし、出汁の香りが優しく励ましてくれた……。先輩は柏天を頬張り話しかける。


「有給は仕事調整してくれれば構わないが、確かに引っ越しは金掛かるよな。副業は何するつもりなんだ?」


「配信業です。俺、ホラーが好きなんで心霊系の動画を撮りたいんすよ」


「月島がホラー好きって意外だな。心霊系ってことは幽霊だよな?」


「そうっす。仕事終りに心霊スポットの公園とかめぐろうと思って」


 そう、俺はホラー作品が好きだった。子供の頃から映画を見ては楽しんでいたが、最近は動画サイトにも沢山の心霊系動画がUPされる。そして時代は進みスマホとパソコンが有れば誰でも動画編集をしてUPできる環境まで揃ってしまった。


 俺の話を聞いた先輩は水を飲んだ後、腕を組んで何か考え出した。首を捻り言葉を絞り出すように呟いた。


「……月島、俺んち住むか?」


 先輩の突然の提案に俺は驚いて二度見する。


「先輩夫婦と一緒にってコトですか?」

「いや、違うよ。正確には俺達が住んでいた俺の実家だよ。相続して二人で住んでいたんだが、妻が言うにはここ2週間物音や人の気配が有るらしくて、幽霊だって言って怯えてるんだよ」


 先輩の佐倉大輝さくらだいきは世帯持ちだ。一年前に可愛い奥さんと結婚して一緒に暮らしている。そして今、第一子を懐妊中だ。


「だから半年くらい妻が持ってるマンションに昨日から二人で戻る事にしてな。体のこともあるし不安な事は少ない方がいいだろ? それで今、実家が無人なんだよ。相続の関係ですぐに売れるもんでもないし」


 幽霊屋敷に住める! これは願っても無いチャンスだ。

 許可を得た幽霊屋敷での異変を記録してUPしている配信者もいる。契約を結んで借りて住むなら不法侵入にもならない。


「いいんですか? 俺なんかが住んで」


「ああ、月島の事は陽菜も知っているし、俺とは4年来の仲でお前が悪い奴じゃないのも知っている。住所が晒されたり家を破壊しない限りは構わないよ。人が住まないと家は痛んじまうからな。妹は家を出て彼氏と同棲してるから帰ってこないし……お前には悪いが検証して幽霊が居ないって分かればそれが一番だ!」


 おお! 捨てる神あれば拾う神あり。先輩に後光が差しているように見えた。住居問題と俺の夢が一気に叶ってしまうとは!!


「ありがとうございます! 先輩! 俺、一生ついて行きます!」


 ◇ ◇ ◇


「なるほどね。大輝があなたに貸したと」


 俺は部屋に有った学習机の椅子にちょこんと座り、彼女にこの家に来た経緯を説明したのだった。

 幽霊女はベッドの上で俺と対角線上に距離を取りながら壁に背をもたれ、一枚の書類を見ていた。


 ―――賃貸契約書だ。


 先輩と契約書を交わして良かった……!! 先輩が念の為にと作ってくれたのだ。早速役に立つとは、さすが先輩。

 猫のようなツンとした印象を持つ彼女は警戒色強めな眼差しで契約書と俺を交互に見つめる。


「月島颯太……27歳……月三万……心霊動画撮影……」などと、ぶつぶつ言いながら書類を読み進める。


 しかし、この人ホント綺麗だな……サラサラの黒髪に白くて柔らかそうな肌、書類を持つ指は細くて桜色の爪が色っぽい。浴衣の着崩れを簡単に直したのだろうが、それでも彼女の少し乱れた胸元に目が行ってしまう。

 いつか彼女が出来たら温泉旅行に行きたいな……などと見ていたら彼女は目を細めて俺を睨む。


 ―――怖っ!!


 考えを見透かされたのかという思いと、エアコンの風が直撃しているのが相まって俺はブルッと身震いをした。煩悩よ去れ!!


 彼女は軽く息を吐くと「わかりました」と言って契約書を俺に向けて差し出した。ピリピリとした部屋の中の緊張感が少し和らいだ気がした。俺も安堵のため息を吐いて書類を受け取る。


 心の余裕が出来たので部屋の中ぐるりと見渡してみる。部屋にはぬいぐるみやトロフィーが飾ってあった。物置として使われていたこの部屋には子供部屋の面影が有る。更に絞り込むと女の子の部屋だ。と言う事は……彼女は……


「私は佐倉零さくられいです。兄がいつもお世話になっております」


 彼女はベッドの上で正座に座り直し俺に向かいぺこりとお辞儀をする。


 律儀だ。

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