Chapter7 先輩 

引っ越してから初の出勤になる。


 今日も夏日で朝から蝉が忙しく鳴いている。それをBGMに聞きながら駅に向かうのだが10分程の道のりで汗が噴き出してくる。


 電車に揺られ冷房でクールダウンして会社の最寄駅に到着。5分程人の波に流されるように歩くと会社に到着する。自席に荷物を置くと大輝だいき先輩も出社してきた。


「先輩おはようございます!」

「おはよう!どうだ? 幽霊は撮れたか?」


 撮れたけど……猫の霊だ。これは成功でいいのだろうか?

 俺は困りながら誤魔化すように答えた。


「え、ええ……音だけですけど……」

「そうか、やっぱり居るのか」


 先輩は複雑そうな顔をする。そりゃそうだ、実家に幽霊だなんて。

 俺は慌ててフォローする。


「もしかしたら、家鳴りかもしれないっすけど……」

「ああ、古いからな。まぁ諦めず頑張ってくれ!」


 先輩の笑顔が眩しい。彼から聞かれたのが、心霊の事だけで良かったと内心ドキドキしていた。もちろん零の事がバレている訳では無いので、聞かれる事はないのだが……彼女との同棲に後ろめたさを感じてしまう。


 零の事を伝えた方がいいのか、このまま黙っているかを笑いながら悩んでいたら、先輩のスマホが短く鳴いた。彼は胸ポケットから取り出して通知内容を確認すると、ため息を吐いて返信もせず元の場所に戻した。


「どうしたんすか? 先輩がため息って珍しいっすね?」

「ん? ああ、妹の彼氏がな。」


 ええっ!? 気になっていた情報だ。

 先輩は溜め息交じりに俺にぼやく。


「妹の彼氏って俺の大学時代の後輩なんだが……最近連絡が多いんだよ。聞いてもはぐらかすし、喧嘩でもしてるのかあいつら? でも珍しく昨日妹から連絡があってな……」


 えええっ! 零から先輩に連絡していたのか。スマホの電源を入れたんだ……


「元気かって。引っ越したって言ったら、ロボット掃除機送るって言ってな。確かに持っていなかったから助かるんだが……なにか嬉しい事でもあったのかな。変な奴らだろ?」


 先輩は笑いながら飲物を買いに席を外してしまった。

 恐らく零は幽霊騒ぎを起こした罪悪感からプレゼントしたんだと思う。元彼が嗅ぎまわっているのか……気を付けないとな。できるだけ早めに帰った方がいいかもしれない。今週も仕事も副業も頑張るぞ!

 気合を入れてデスクに戻ると……


「月島ーっ!」


 フロア入口から名前を呼ばれた。

 声の主を確認すると長身の茶髪ショートの女性が俺を見てひらひらと手を振っていた。こいつは同期の三ノ輪梓みのわあずさ、経理部・鬼の門番とも言われ一部から恐れられている。彼女の隣にはもう一人、目新しい顔の女の子が居た。


 あっ! 忘れてた!!


 俺は慌てて彼女達の元へ駆け寄る。今日から俺が所属するチームに一人、新人が入るのだ。俺が教育係となっていたのをすっかり忘れていた。


「丁度用事が有ったから連れてきちゃった。じゃあ、この子よろしく。あとコレ再提出して」


 うっ……! 付箋ふせん付きの領収書が戻ってきてしまった……付箋には大きく『要確認』と書かれている。三ノ輪は用事が済むと風の様に去って行った。


「三ノ輪すまん! あ……ありがとな。おはようございます。今日から一緒に働いてくれる青山葉月あおやまはづきさんだよね?」


 名前を呼ばれた彼女は驚いて俺を見上げる。青山葉月さん24歳。中途採用で今日から三か月試用期間となる。小柄で長い黒髪を後ろで一つに結っていて前髪はぱっつんに揃えている。真面目で清楚な印象を受けた。ぷっくりとした涙袋が実年齢より幼く感じる。うさぎの様な小動物を彷彿とさせる彼女は緊張気味に小さく「はい」と頷いた。


「はじめまして、君の指導係の月島颯太です。よろしく。デスクに案内するよ」

「初めまして。青山です。今日からよろしくお願いします」


 危ない……危うく新人を放置するところだった。中小企業はどこでも人手が足りない。大切な新人を育てて行かなくては俺の副業ライフにも関わってくる。

 俺は彼女をデスクへと案内し仕事の説明をする。社内を案内したりシステムの入力作業などを教えているとあっという間に昼休みになってしまった。


「青山さんは昼どうするの?」

「えっと…… 私、何も持って来ていなくて……」


 彼女はしゅんとする。うちには社員食堂も無い、どうしよう? 初日だからコンビニの場所を案内しつつお昼ご馳走するかな?


「よかったら一緒にうどん屋行く? 向かいがてらコンビニや他の飲食店も案内するよ」

「いいんですか? 嬉しいですぅ!」


 彼女はパッと表情を明るくして喜んだ。嫌そうじゃなくて良かった!

 ニコニコした彼女を連れ、俺は佐倉先輩と合流して三人でいつものうどん屋へと向かった。他愛も無い話をしていると不意に質問された。


「月島先輩は彼女いるんですかぁ?」


 最近も似た事聞かれたな。同じ黒髪ロングの零と青山さんが被る。ただ、青山さんは零とは違うタイプの子だった。なんというか……零が猫系なら、青山さんはうさぎ系。でもまぁ、こんな可愛い子に頼りにされてはまる人は嵌るんだろうな? そう思いながら素直に答えた。


「いや、いないよ」

「月島は浮いた噂が無いからな?」


 先輩はからかうように横から補足して笑う。

 ええ、社内でもクリーンな男です! モテないだけ・・だけど。自分でツッコんで悲しくなってきた。俺は悲しみと一緒にうどんをすする。


「え~! 意外!! モテそうなのに!!」

「 酒もタバコもギャンブルもしないのに不思議だよな? はっはっはっは!」


 そう言いながら彼女はサラダうどんを小さくついばんだ。

 お世辞でも嬉しいよ。優しいね、青山さんは。

 先輩、楽しそうっすね?


「まぁ、月島は今プライベートが充実しているからな。運命の相手もそのうち出会うんじゃないか?」

「だといいんですけどね。マジ先輩羨ましいです」


 いいな、あんな優しくて可愛い奥さんと出会えて。


 運命の相手か。


 運命と聞いて零の笑顔が浮かんできた。確かにインパクトある出会いで運命っぽいけど……ボディーガードだし。勘違いしてはいけない。

 いや! それより何より今は心霊動画撮影を頑張らねば! 彼女が出来たらこれができなくなる可能性だってある。……零みたいに理解がある彼女だと更に嬉しいんだけどな。


 ◇ ◇ ◇


「た、ただいまー」

 

 家に帰り、ドキドキしながら玄関で室内に向けて言葉を投げかけた。

 二階から「お帰りー」と零の声が聞こえる。久々にただいまを言った!姿は見せずとも反応してくれるのは嬉しく喜びをかみしめる。彼女は内向的な性格かと思ったが意外に声を掛けてくれるのだ。


 平日の夕食はそれぞれタイミングが異なるので各自摂ることになっている。俺も外で食べて帰ってきた。今日はそのついでに、猫達が生前好きだった玩具やエサを買ってきた。いい反応を期待しているぞ!


 荷物を置きに部屋に向かう途中で零の部屋のガラス戸を叩いた。


「プリン買って来たけど食べる?」


 忙しいかな?


 彼女曰く納品完了と同時に元彼宅から逃げ出したので、ここ二週間はスマホとタブレットで出来る仕事しか受ける事ができず、仕事をセーブせざるを得なかった。仕事道具を取り戻した彼女は「やっと描ける!」と意気込んでいた。


 ガラス戸に人影が近寄ってくる。浴衣を着たニコニコ顔の彼女がガラス戸を開けた。


「食べます!」


 ふんわりと石鹸の優しい香りが漂ってくる。

 ……彼女なら抱きしめてるところだ。


 俺達は一階のリビングで休憩がてらプリンを食べる事にした。


「先輩と話したよ、掃除機プレゼントしたんだって?」

「え!お兄ちゃんおしゃべりだな。ロボット掃除機がこの家に残ってたから、新居には持って行ってないと思って。便利だし悪い事しちゃったお詫びに送りました」


 やっぱり予想通り!


 彼女は申し訳なさそうに話すが、プリンを頬張ると美味しいと言わんばかりに顔が弛んだ。幸せオーラが溢れ出していて、こちらも嬉しくなってくる。更に仕入れた情報を彼女に伝える。


「あと、元彼さんが先輩に連絡入れているみたい」


 それを聞いて彼女の手が止まり笑顔が消え空気が変わった。


「連絡が多すぎて先輩も困っているみたいだけど……ちな先輩は詳細を知らなかった」


「……情報ありがとうございます。またお兄ちゃんが何か言ってたら教えてください。スパイみたいなことさせてすみません……」

「いや、ボディーガードの一環だから。一応できるだけ早く帰ってくるよ。元彼の写真ある? 外見が分かれば俺も……」


「ごめんなさい。全部消しちゃって無いんです……プリンごちそう様でした。仕事に戻ります。撮影頑張ってくださいね」


 彼女は食い気味に答えて、空き容器をすすいでごみ箱に捨て部屋へと返って行った。


 彼氏の写真ってそんな直ぐに消せるものなのだろうか……相当嫌なことが有ったのかもしれない。


 だとしたら悪い事をした。


 ◇ ◇ ◇


 風呂に入り終えた俺は撮影の準備をしながら一人ぼやく。

 水と餌を供えて、今日買ってきたおもちゃも袋から出して近くに置いた。


「お前ら、なんで憑いて来たんだよ……向こう天国で快適に過ごしてると思ったのに」


 チリンと鈴の音が聞こえた気がしたので部屋を見渡すが……やはり何もいない。


 昔から人に話づらい事は猫達に話を聞いてもらっていた。話すだけで考えがまとまり解決することがある。それを思い出しながら釣竿状の猫じゃらしをプラプラと振り、独り言を続ける。


「零と元彼、何事も無ければいいな……お前達もここで暫くお世話になるなら零の事、元気づけてくれよな?」


 俺の独り言に答えるように猫じゃらしの先に付いた羽がピクリと動いた。こいつら……やっぱり居るんだな。


 録画を始め部屋に戻り布団に潜るとスマホに通知が入る。かのんだ。


(お疲れー! 調子はどう?)

(お疲れ、一応毎日撮影してる。零が猫って聞いて喜んでる)


(やっぱりwあの子猫好きだから!)

(なぁ、かのんって零の元彼の事知ってる?)


(急にどした? 嫉妬か?)

(いや、元彼がお兄さんに探り入れてたから、念のため顔だけでも知りたいなと思って)


 すると、零と見知らぬ男が仲睦まじく寄り添うツーショット写真が一枚送られてきた。


 写真の零は眼鏡をかけておらず、カラフルな花柄のワンピースを着て幸せそうな顔をしている。男も真面目そうな眼鏡をかけて爽やかな笑顔をしているが、どこか神経質そうだった。こんなに笑っていたのに今では怯えた顔をする彼女を思うと不憫ふびんで胸が痛む。


(こいつ。中谷衛なかたにまもる30歳 確か隣の市に住んでたはず)

(最初に変なこと聞くけど、零が何かした訳じゃないよね?)


(もち! ガチの束縛男だよ。最後の方は私にも会わせてもらえなかった。仕事やSNSも辞めさせようとしたみたいよ)

(えぇっ! そこまで!? エグいな、零から色々取り上げて……。教えてくれてありがとう!)

(おう! 零の事頼んだよ! おやすみ)


 そこまでガチガチに縛るとは……友達だけじゃなくて仕事まで嫌がるなんて。零を諦めてくれるのが一番だが、そこまで執着した男が三か月で簡単に諦めるとは思えない。しかし、何故三か月??


 改めて写真を見るとこの男、ガタイいいな。ジムにでも通っているのだろうか? 俺よりも身長デカいんじゃないんだろうか?

 俺はTシャツをめくり自分の腹を見た。決して太っている訳ではないが……


 割れていない。鍛えるかな?


 出かけて撮影するにも護身術や体力が有った方がいいし。


 俺はもやもやを昇華すべく、クランプを何セットかこなして眠りについた。

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