第82話 欲求不満なのはお互い
俺には子どもがいない。
ゆえに、一週間の仕事で疲れた体にムチを打ちながら家族サービスに励む、なんてこともしなくていいわけで。
遊園地の入場ゲートで列に並んでる最中。すぐ真横。
抱っこしてる愛娘の愛良ちゃんへペロペロ言いながら変顔を作ってる仁を見ると、素直に尊敬の念が湧いてくる。
こいつもこいつで月曜日から金曜日まで戦ってただろうに。
さすがは父親になった男、とでも言うべきか。
疲れも何もかも、娘の前ではすべてが無に帰す。
いや、娘だけじゃないか。
何なら、瑠璃の存在も仁からすればめちゃくちゃ大きくて。
二人がいるから、平日の仕事の疲れもなんてことはないんだろう。
俺もいつかはこうして家族サービスをする日が来るのだろうか……。
「……? どうかした、成?」
何気なく凪……つまり奈桐の方を見てると、目が合ってしまった。
思わず視線を逸らす俺。
今さらこんなことで恥ずかしがるような関係でもない。
なのに、反射的に奈桐から逃げてしまった。
逃がすまい、と俺の顔を覗き込んでくる未来の嫁。
……は、さすがにまだ気が早い呼び方だけど。
でも、俺にとっての一番は何があっても奈桐だから。
チラ、と14歳の彼女へ視線を戻し、俺は一つ息を吐く。
その様を見ていた奈桐は、わざとらしく眉間にしわを寄せた。
「んんっ……!? なんか気に入らないため息……! まるで私の顔を見るのが嫌みたいな……!」
「安心しろ。そんな嫌と思えるほど俺は満たされちゃいねーよ。本当ならもっとお前の顔を見てたいくらいだ」
「っ……」
どうやら想定外の一撃を与えることができたらしい。
さっき俺がしたような反応を写し鏡のように見せてくれる。
若干頬を赤らめ、目を逸らす奈桐さん。
でも、こいつはすぐにしれーっと俺を見つめ直し、
「……まあ、最近は二人きりでいられる時間……確かに減りましたし……?」
なんてことをボソボソ呟いてる。
そうなのだ。
部活と、嫌でもしなければならない高校受験のための勉強。
この二つのせいで疲労が溜まってるからか、近頃の奈桐は寝るのが早い。
俺が仕事から帰ると、大抵もう寝てしまってる。
月から金曜の間で、二回起きてくれてればいい方だ。
「……こっちとしては……すごく寂しいなー……と思ってますとも……ええ……」
傍には美森がいて、仁と瑠璃と、愛良ちゃんがいる。
そんな中なのにも関わらず、『凪』は俺の恋人である『奈桐』要素全開で頬をぷくっと膨らませる。
周りに誰もいなかったら速攻で抱き締めてた。
けど、それはできない。
抱き締めたい欲と、それを制止する理性が俺の中で争ってる。
苦しい……! 苦し過ぎるぞ、これは……!
「……はっ……!」
なんて考えながら、頭を抱えていたところだ。
ふと、下から美森がジト目で見つめてきてることに気付く。
たぶん、俺と奈桐がコソコソ会話してたのを見てて、気に食わなかったんだろう。
ドキッとし、俺は不自然に焦りながら実妹へ声を掛けた。「どうかしたか?」と。
そしたら美森は――
「……こんなところでも恋人ごっこ。お姉ちゃんばっか……」
「え……!?」
「……ずるい……」
「い、いやいや、美森……!? 別にお姉ちゃんばっかでもないだろ……!? てか、恋人ごっことかそれは――」
「……ずるいっ……!」
何を言ってもダメそうだった。
その場で俺を見上げながら睨み付け、完全にむくれてしまっている。
奈桐もこれ以上俺と絡むのは無理だと判断してくれたらしく、短いため息の後、しゃがみ込んで美森と同じ目線になった。
仁と瑠璃は、俺の方を見てニヤニヤするばかり。
止めてくれよ、とは思ったものの、よくよく考えれば何を止めるのか、俺自身わからないから仕方ない。
こほん、と咳払いし、奈桐が切り出した。
「……いい、美森? 今、成も言ったけど、さっきの会話は恋人ごっこのうちに入らないの」
「……え……?」
キョトンとする美森だが、すぐにムッとした表情に戻る。
そして、
「……でも、二人とも赤くなってた。完全に恋人同士みたいだった」
こんな風に奈桐へ反抗するわけだ。
まあ、さすがに美森ももう8歳だ。
半端な嘘じゃ騙せない。
ここはもう正直になって謝るしかないんじゃないか、と思うが、奈桐は折れなかった。
「そこまで言うなら美森、成と私の本当の恋人ごっこ見る?」
「……へ?」
またもやキョトンとする美森だが、疑問符を浮かべたのは一人じゃない。俺もだ。
仁と瑠璃は互いに見つめ合って困惑してる。
どういうことだ? という空気が場を覆った。
「あの……凪ちゃん? 本当の恋人ごっことはいったい……?」
「な、奈き――……じゃなくて。凪ちゃん……? えっと、一応ここ人がたくさんいる場所だし……あんまり変なことはしない方が……」
仁と瑠璃も何かしらのヤバさを感じ取ったからか、奈桐を止めにかかる。
俺もその言いようのないヤバさは一番感じていた。
なぜか。
答えは簡単だ。
奈桐の目がガチ過ぎたから。
これは絶対にとんでもないことをし始めるぞ、という雰囲気。
普段冷静な奈桐だけに、あまり突飛なことをするとは考えづらいが、この時だけは別だった。
思った通りというか何と言うか。
俺は、頬を突如奈桐に触れられ、そして――
「本当の恋人同士っていうのはね……?」
「……ふぇ……!?」
――キス。
キスだった。
手とは別の、頬に触れる柔らかく、湿った感触。
奈桐の唇が、俺の頬にくっ付けられる。
わずか二秒ほどの間だったが、それは場を混乱に陥れるのに充分で、俺にもかなりの動揺を運んでくれた。
「ななななな、奈桐……!?」
美森の目の前だというのに、思い切り『奈桐』と口にしながら。
俺は遊園地の入り口前で、午前から心臓をフルに稼働させていたのだった。
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