第60話 消えかけてた思い出
食堂の手伝いが終わった夜。
俺はすぐに夕飯を食べ、風呂に入り、自室へと向かった。
部屋に入ると、既に入浴を済ませ、パジャマ姿になっている奈桐が、俺のベッドの上で寝転がって漫画を読んでる。
漫画のタイトルは【地獄村 ~逃れられない運命~】という内容も結構エグめな血みどろの作品。
おおよそ四歳児の読むものじゃないが、奈桐の実年齢は本来なら俺と一緒なので一々ツッコまない。
あとはもう寝るだけ、といった風なスタイルだ。
着ているパジャマ、薄紫で小さいリボンの付いてるそれが結構似合ってて可愛い。
「あ、成。おかえり」
「ただいま。なーちゃんや? 読んでるそれ、面白い?」
「……どしたの、急に? この漫画は面白いよ? 今ちょっとヒロインの子の行動にイラっとしちゃったところだけど」
「ところどころ賛否両論分かれるシーンが多いからな、地獄村。バッドエンドだし」
「え……!? そうなの……!? てか、ネタバレしないでよ~、も~……!」
「ははは……悪い悪い……」
降り立つ沈黙。
俺は奈桐の寝転んでいる横。ベッドの上に腰掛け、コホンと咳払い。
「……あの、奈桐さん? 今日の朝のことですがね?」
「はい、成さん。おわかりいただけましたか? 私を取り巻くとんでもない状況」
「充分におわかりしました。あれから大丈夫だった? 俺がいなくなって」
問うと、奈桐は漫画を閉じ、起き上がってから「全然」と応えてくれる。
ぺたんと女の子座りをするが、下ろしている髪が少し乱れてた。
手招きすると俺の真横に来てくれるので、すぐそこの棚の上にあった櫛セットを取り、髪をといてあげることにした。
「流したり逃げたり、躱したりするのに大変だった。ファーストキスってあんな風に簡単に奪われるものなんだね。成も幼稚園の頃、女の子にああいうことされなかった?」
「されてないし、どっちかと言うと、ああやって複数の子から追いかけまわされて奪われそうになるのって稀だと思う」
「かな?」
俺は頷き、続ける。
「昔から奈桐は可愛いけど、一緒に幼稚園通ってた時はあんなこと起こってなかっただろ?」
「っ……。か、可愛いって……ほんと成、簡単に言ってくれるようになりましたね」
「そりゃまあ事実だし。思ってること、ちゃんと伝えとかないと取り返しがつかなくなるって学びましたし」
「……なんか悔しい。勝手に成長されたみたいで」
「ほほほ。悔しかろ? 俺は日々成長するのだよ。それでもなんか最近の小さい子たちはマセてるからか、えらく大胆だけどな」
「たまたまだと思う。たまたま今、私の周りにそういう子が多いってだけで」
「そこで今俺がした質問だよな。一緒にうたかた幼稚園通ってた時、奈桐にベタベタしようとする奴なんていなかっただろ? ましてやキスなんて……考えられん」
「……まあ、その理由に関しては簡単に推測つくけどね。私」
「え、そうなのか?」
「うん。成、わかんない?」
「んー……」
動かしていた手を止め、俺は軽く宙を見上げて考える。
考えるが……どうもすぐにはその理由とやらがわからなかった。
んー、と声を漏らし続けていると、奈桐はクスッと笑う。
「まったくだな~。成は罪な男の子である」
「え、えぇ……?」
「いいよ。特別に教えてあげる」
耳を貸すよう奈桐が軽く手招きしてくる。
それに従い、俺は顔を近付けるのだが、奈桐も同時にこっちへ顔を寄せて来た。
流れる髪の毛がふわふわ動いて、シャンプーの香りが俺の鼻腔をくすぐる。
奈桐は口元に手をかざし、そっと俺へ教えてくれた。
「……私が誰にもベタベタされなかったの、全部成が傍にいてくれたからだよ……?」
「……!」
「……ずっと成が傍にいてくれたから……ね?」
甘くて優しい囁き声は俺の耳を撫でる。
奈桐は俺から顔を離し、にこりと笑顔を作ってる。
……なんか……ヤバかった……。
意図せず小さい頃の記憶が頭の中でよみがえる。
本当に、本当に、確かに俺は奈桐と一緒にいて……それで……。
「……え……? な、成……?」
気付けばなぜか目から涙がこぼれていた。
「へ……!? あ、あれ……!?」
動揺する奈桐のおかげで、自分が泣いていたことに気付く。
目元を拭うのに、どうしようもないくらい涙は止まらない。
完全におかしくなってしまっていた。
「ちょ、え、えぇぇ……? ご、ごめん奈桐……な、なんか俺……変で……」
「……」
こっちを見つめ、無言のままに奈桐は俺の頭を撫でてくれる。
小さい体だ。
ベッドの上に立ち、俺を抱き締めるようにして撫でてくれていた。
「……ううん。いいよ。大丈夫、成」
「っ……」
「泣いちゃうのは……私も同じだから……」
「……ごめん……」
「……いいの……もう、謝んないで? たぶん、昔思い出したんだよね……?」
「……ぅぐ……」
「こういうの……全部……全部懐かしい……。成は大きくなっちゃったけど……私は本当にあの頃に戻ったみたいで……」
「………………」
「どっちかが泣いた時……こうして慰め合ってたよね……?」
「…………なきりぃ…………」
「うん……うん……。私はここにいるよ……? もう……どこにも行ったりしないからね……?」
……そうだ。
……そうだった。
小さい頃、俺が弱気になった時、いつも奈桐はこうして優しく抱き締め、安心させてくれてた。
幼稚園のお迎えで、食堂の仕込みとか出前のある母さんは、遅くなることが多かったんだ。
そういう時、傍にいてくれたのは奈桐で。
陽子さんが迎えに来てくれてるのにも関わらず、一緒になって残ってくれたりしてたっけ。
色々と思い出す。
時間と共に消え去りかけてた何気ない思い出の一つ一つを。
「…………悪かった。もう大丈夫」
「ん……ほんと……?」
「……うん。ありがと」
頷く俺を見て、奈桐は頭から手を離してくれた。
離し際に、最後のひと撫でとばかりに、髪の毛をクシャッとさせるのも彼女の癖だ。
どこまでも奈桐を感じる。
「はは……どうもダメだな。昔思い出したらほんっと涙腺にくる。俺はもうおっさんだ」
「成がおじさんなら、私だっておばさんだよ。見た目四歳児、中身おばさん、みたいな」
冗談を言い合い、互いにクスクス笑ってた。
そんな折だ。
一階から母さんの大きい声が聴こえてくる。
「成ー! なーちゃーんもう寝かしつけてあげてー! 九時回ってるからー!」
「はいよー! りょーかーい!」
同じく大きい声で返し、俺たちはとりあえず部屋の電気を消すことにした。
寝ろ、と言われて起きてたら、うちの母さんはブチギレモードになる。
それは面倒だ。
さっさと電気を消し、二人一緒にベッドの中へ入った。
俺は小声で話す。
「いやー、やれやれ。せっかくこれからのことについて細かく話そうと思ってたのに、余計な時間使っちゃったな。ごめん、奈桐」
「いいっていいって。結局私の問題、話し合ったところで簡単に解決しないし、やれることなんて一つしかないと思うし」
「一つ……?」
「うん。一つ」
「どんなこと? 教えてよ?」
「簡単だよ。成が毎朝私を幼稚園に送ってくれるの」
「え? そんなこと?」
「うん。そんなこと。で、毎朝テツくんたちに見せてあげるの。『いってきますのちゅー』とか言って。ふふふっ」
「いやいやいやいや……奈桐さん……? あなたそれ、俺が本格的にロリコン扱いされて捕まるやつでは?」
「大丈夫。そうなったら私が皆に言ってあげる。成はロリコンじゃなくて、シスコンなだけだからって」
「それもまた問題じゃ……!?」
「問題じゃないよ。シスコンだったら気持ち悪がられるだけで捕まったりはしないから」
「余裕で問題じゃないですか……!」
もぞもぞ布団の中で動く。
奈桐は『大丈夫』を連呼し、俺のわき腹をくすぐってきた。
こっちもこっちで勢いあまってやり返すものの、奈桐(4)がヤバすぎる声(喘ぎ声としか思えないもの)を漏らしたので、速攻で取りやめた。
結局俺はほとんど仕返しができないまま布団の中で奈桐にくすぐり攻撃を受け続け、気付かぬうちに寝てしまっていた。
学習机の上に置かれているスマホ。
そこに一件の重要なメッセージが入っていることに気付かず。
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