第26話 協力のお願い
「ほいよ。これ飲んで落ち着け。別に酔ってはないだろうけどさ」
差し出されるミネラルウォーター。
俺はベンチに座った状態で、それを言われるがままに受け取る。
俺の隣に座っている凪は、赤坂からリンゴジュースを買ってもらっていた。小さいペットボトルのやつだ。
「しかしよ、ここも久々だな。今さらながらナイスな場所のチョイスだぜ、瑠璃」
「まあ、たまたま近かったから。この時間帯というのもあって、ゆっくり話すならここがいいだろう。懐かしさにも浸れるしな」
俺と凪とは対照的に、立ったままの赤坂と迫中。
二人は特に何かを飲んでいるわけでもなく、ただ俺たちを見下ろして言葉を交わし合っている。
酔いも回っているだろうに、冷静そのものだった。
アルコールを摂取していない俺が逆に酔って介抱されているよう。みっともないといえばみっともなかった。すぐ傍には凪だっているのに。
「瑠璃ちゃん。これ、おいしーね」
凪が言って、赤坂は笑う。
夜闇のせいで表情はよく見えないが、薄っすらと笑んでいるのがなんとなくわかった。
「よかったな。凪ちゃん」
「瑠璃ちゃんものむ?」
「ん、私はいい。全部凪ちゃんが飲んで大丈夫だ」
「ううん。凪、ぜんぶはのめないから。のんで? 瑠璃ちゃん」
言われ、赤坂は苦笑しながら小さいペットボトルを凪から受け取る。
赤坂がリンゴジュースに口を付けたのを見て、凪は嬉しそうに笑った。
本当の幼子のような、無邪気な笑顔と共に。
「……しかし、本当に似てるな。凪ちゃんと……成の恋人は」
「ぶふっ!」
迫中の言葉に、赤坂が飲んでいたリンゴジュースを吹き出す。
そのまま彼女はゲホゲホと咳き込み、やがて迫中に対して語気を強めていた。
「おい、仁……! お前はいきなり何を……!」
「いや、今さらだろ? ここにいるのは俺たちだけなんだし、踏み込んだこと言っても別にいいじゃねーか。もちろん、成が良ければ、の話だけどよ」
「だったらせめて確認を取ってからにしたらどうだ!? いきなり過ぎだし、橋木田成がこんな状態になったのも奈桐ちゃんのことがあって――」
「いいよ、赤坂。俺は別に大丈夫だから」
心配してくれる赤坂に対し、俺は何でもないことを伝えた。
確かに迫中の言う通りだったから。
今、このメンツで隠すことなどあまりない。
凪の正体が奈桐である、なんてことは言えないにしても、それ以外のことは基本的に包み隠さず言える。
俺たちの仲はそれくらいにいいと思う。
昔から、奈桐も含めて四人で遊んだりしていたから。
ここに二十歳の奈桐がいれば、懐かしい同窓会もできるほどだ。
「って、成も言ってることだしな。飲みの席であんなことになったのだって、奈桐ちゃんのことを思い出したからだろ?」
「……まあ、そうだな」
俺はゆっくりと頷く。
それを見て、迫中は「すげえもんだよ」と返してきた。
「俺が成の立場だったとして、ここまで恋人のことを想える自信なんてない。ほんと、お前がどれだけ奈桐ちゃんを大切にしていたかがよくわかる」
「それはそうだ。橋木田成にとって、奈桐ちゃんはただの恋人じゃない。私たちよりも付き合いが長く、それこそ生まれた時から傍にいたってレベルなんだ。大切にも想うだろう」
「だとしてもだよ。成の想い方は尋常じゃない。今ここに奈桐ちゃんがいたとすれば、きっと彼女も心の底から幸せに思ってるはずだよ。死んでもなおこうして想ってもらえてるんだから」
ふぅ、と迫中は一つ息を吐く。
俺はそんな親友の姿を下から見上げ、隣にいる凪の方へ視線を移動させた。
指先をもじもじさせて、チラッと俺の方を見てくる。それから、すぐに俺と目が合ったのを察すると、別の方へ彼女も視線を移動させた。
「……克服なんて簡単にできねぇよな」
ぽつりと呟く迫中。
少しの間の後、赤坂が返事をするように頷いた。
「それはそうだろうな」と。
沈黙が訪れる。
俺は、気まずさを特に覚えることなく、その沈黙に浸り、自分が涙した理由をゆっくりと探っていた。
ゆっくり。ゆっくりと。
そうして、考えが未だまとまらないうちに沈黙は破られる。
「ありがとう、お兄ちゃん」
凪だった。
凪が俺に礼を言ってきた。
唐突に。
「たぶん、ひとしくんのいうとおり。お兄ちゃんのこいびとは、きっとありがとうっておもってる。いっぱい、いっぱい、ありがとうって」
「……凪……」
「だから、凪もいっとく。ありがとう」
呆気に取られる俺たち。
だけど、その中でも迫中はクスッと笑い、
「ひとしくん、か。ほんと、困ったな。一瞬ドキッとしちゃったよ。小学生の時を思い出した。奈桐ちゃんに呼ばれたみたいでさ」
「あ、ああ。私もドキッとした。そこに奈桐ちゃんがいるのかと思った」
二人が続けざまに言うものだから、と凪はわざと照れるような仕草をする。
けれど、今のありがとうは、きっと凪の本心であり、奈桐の本心だ。
疑われるようなことなんてしない方がいいし、言わない方がいい。
そんなこと、本人が一番わかってるはず。
それでも言葉として出てしまったのは、こらえきれなくなったからなのかもしれない。
そういう凪の思いが、俺の涙腺をまた刺激する。
考えたってどうしようもないことだ。
今、はっきりとわかった。
俺が飲みの場で泣いてしまった理由。
それは――
「いない方がいいよ。奈桐は」
「「え?」」
迫中と赤坂の声が重なる。
凪は俺の方をただ見つめるだけだった。何も言ってこない。
「ここに居させるのは、奈桐が可哀想だ」
「……どういうことだよ?」
問うてくる迫中。
俺は彼の方を見上げて、それからさらに上。夜空を見上げながら続けた。
「だって、奈桐がここにいるとしたら、それは透明か、あるいは生まれ変わって別の何かになってるってことになる。雛宮奈桐としての姿をここに現すことなんて絶対にできない」
「……何が言いたい?」
首を傾げる赤坂。
言いたいことは簡単だった。
「自分自身の存在を認知してもらえない。認知させられない。そんな思いを抱きながら俺たちの前にいるなんて、本当のところめちゃくちゃ辛いだろうなって思う。私はここにいるよって、あいつなら絶対言いたいはずなんだ。でも、それができなくて、認知してもらえないままここにいる。そんなの、きっと辛くて辛くて仕方ないはずなんだよ」
凪の……いや、奈桐へまた同情し始めてしまう。
こうなれば俺はもう終わりだった。
また、勝手に涙が出そうになる。
「何で奈桐だけこんな目に遭うんだろうな。何で葉桐ちゃんたちは奈桐を失った心の傷を負わないといけないんだろう。考え出すと止まらなくなる。今さら感すごいんだけど」
瞳の端を袖で拭う。
恐らく、俺がこんな思いに駆られたのも、久しぶりに葉桐ちゃんを家の玄関先で見かけたからだと思う。
まったく心の傷が癒えてる様子じゃなかった。
荒み、その傷は傷口から腐ろうとしている。
どうにか。
どうにかできないか。
それは、暗に凪へ投げかけた願いでもあった。
俺にしたように。奈桐として妹の前に、家族の前に現れてやってくれ、という願い。
「……なんか悪かったよ。成」
そんなことを考えていると、迫中が俺へ謝ってきた。
何の謝罪だ。思わず首をひねってしまう。
「気軽に先輩と一緒にお前のことからかうような真似してさ。凪ちゃんをダシにして」
「本当だな」と横から赤坂。
「おまけに飲みの場で橋木田成のことをベラベラと。本来なら絶交案件だ。橋木田成が優しくてよかったな。仁」
「っ……。ま、まあ、そうだよな。本当ならそうなっててもおかしくなかったよ……。はは……」
赤坂はらしくない姿で力なく笑う。
「いいよ。別に謝って欲しいわけじゃない。俺はその……もっとやらないといけないことがあるな、と思ってるだけで」
「やらないといけないこと?」
「うん」
頷き、凪の方を見る。
凪も俺の方を見ていた。
何か言いたげな、何かを諦めたようにも見える、下がり眉の表情。
夜闇に目が慣れたせいだろう。
細かい部分もなんとなくわかった。
「葉桐ちゃんと話したい。外でも、家の中でも、どこでもいいから」
「葉桐ちゃんと……?」
「伝えないといけないこと。伝えたいことがあるんだ」
奈桐が亡くなって、流れていく時を止めてしまった人たちがいる。
俺もその中の一人であることは間違いない。
でも、それは俺一人ではないから。
皆の時計を動かして、俺の時計はようやく動き出す。
そして、そのためには協力が必要で――
「だからさ、赤坂、迫中。ちょっとだけ俺に協力してくれないか?」
俺は、二人の目をジッと見つめ、切り出すのだった。
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