第25話 克服なんてできてない

「橋木田君はさ、わざと彼女作ってないんじゃない?」


 今時の大学生っぽくブラウンに染めたロングヘアが特徴の女先輩。


 中須さん。


 彼女は、枝豆の中身を取り皿の上に出しながら俺の方を見ずにそう言ってきた。


 それに便乗して、周りの人たちも次々に反応する。


 ――実は自分もそう思っていた。

 ――他サークルの女の子も橋木田君のこと気になるって言ってた。

 ――それでも彼女いないのは何で?

 ――やっぱり、意図的に恋人を作ろうとしてないの?

 ――何か理由があるの? 

 ――その高校時代の彼女のこと未だに引きずってるから?


 俺の心の奥底。


 あまり触れて欲しくない部分に迫る疑問が、嫌な雨のように次々と降り注いでくる。


 正直に言うと、本当のことは答えたくなかった。


 この場に凪がいなければ、きっと俺は適当にトイレへ行くだの何だの言って、質問から逃れていたはずだ。


 でも、胡坐をかいている足のところ。俺の懐部分に凪は座っていたから。


 俺は本意ではないものの、まるで強がるようにして咳払いし、切り出した。


 雑然としていた場は一気に静かになり、皆が俺の答えを待った。


 ジッと俺を見つめる迫中も。答える必要などない、とでも言いたげな赤坂も。皆。


「……まあ、高校時代の彼女が影響してるのは間違いないですよ」


「「「えええ~! そうなの~?」」」


 酔っ払ってる女子三人組がいかにもな反応を見せてくれる。


 他の連中の反応も様々で、総じた雰囲気としては、「それでそれで?」という感じ。もっと詳しく聞かせてくれ、と。


 俺はチラリと迫中を見やる。


 奴は、何か覚悟の決まったような、けれどもどこか余裕のある不思議な顔で俺をジッと見つめ返してくる。


 こいつは何を考えてるんだ。


 そんなことを思いつつ、ため息交じりに続けた。


「シンプルに好きなんですよ。未だにその子のこと。忘れられないんです」


「え。意外。橋木田君、一途に普通の恋できたんだ」

「ね。てっきり本当にロリコンなのかと思ってた」

「しかも浮気性のね。小さい女の子に浮気w」

「それサイテーなやつじゃん!」

「おまけに犯罪者だしw」


 アハハハッ! と勝手に盛り上がって笑う先輩方。


 まったくだ。いい加減俺をロリコン扱いするの止めてもらえませんかね?


「お兄ちゃん。それで?」


 呆れているところ、凪が俺の方を見ながら問うてくる。


 少し面食らってしまった。


 ご本人、当事者様がまさか話の続きをご所望とは。


「いや、まあ、それでその……普通の恋はできるし、俺はその子のことが未だに好きなわけで――」


「それはわかったんだけどさ、要するに今は別れてるってことだよね? 橋木田君、振られちゃった側?」


 中須先輩が訊いてきて、田島先輩はビールを飲みつつ親指を突き上げ、それを俺に向けてくる。


「ナイス失恋」


 うるさいわ、と思った。


 この人のことは無視し、俺は中須先輩に対して返した。


「振られちゃった側というか、正直なこと話すと、これは失恋とかじゃないんですよね」


「はははっ。失恋じゃなかったら何なのさ?」


「死に別れたんです」


「……え?」


「俺、高校生の頃、恋人と死に別れたんです。付き合ってたまま」


 場が一気に凍ったのがわかった。


 明らかに触れちゃダメなものに触れてしまった、という雰囲気。


 皆互いを見合ったり、ぎこちなく頬を引きつらせたり、ビールを飲んで誤魔化してみせたり、色々だ。


 俺も苦笑する。


 苦笑して、すぐそこにいる凪を見つめた。


 小さな彼女は、視線をやや下に落とし、哀しそうに微笑していた。


 変えられない過去。確かにあった過去。一度自分の命が亡くなってしまったという経験。


 それら色々なものが凪の表情に詰まってる。


 俺は何とも言えない気持ちになって、少し腕を動かし、凪の体を両手で包んだ。たぶん周りの人たちもその動きにはあまり気付いていないはず。


 それほどにゆっくりであり、微かな動きだった。


 もちろん凪は気付き、俺の服の袖を握って上目遣いで見上げてくる。


 苦笑のままで見つめ返すだけだった。俺は。


「……へぇ。なるほどね。そいつはかなり訳アリだ。御覧の通り皆も固まっちゃったよ」


 中須さんはあくまでも自分のペースを乱すことなく俺に語り掛けてくる。


「しかし、恋人が亡くなった、ねぇ。ふむ。……田島はどう思う?」


「え。お、俺?」


 ビールを飲みながら気まずさを誤魔化してた人筆頭の方へ話を振る彼女。


 田島さんはもごもごしつつ、何とも言えないような反応をしている。


「それは……まあ、何ていうか……ロリコン扱いして悪かったなぁ、とは思うけど」


「はははっ! あくまでもそこなんだ。けど、そっか。田島だもんね。橋木田君のことロリコンって言い出したの」


「お、俺なのか!? え、俺だったっけ!?」


 言いながら、先輩は周りを見渡す。


 皆シラケた感じで田島先輩を見ていた。


 言い出しっぺが本当に彼なのかは怪しいところだが。


「えぇ……。それじゃあその……すまんかった、橋木田。そんな辛い過去があったってのにお前をロリコン扱いして」


「えらく素直で従順(笑)」


「う、うるせぇなお前は! しょうがないだろ!? 俺だって橋木田がこんな過去背負ってるって知らなかったんだから!」


 はははっ、と場に笑いの雰囲気が戻ってくる。


 けれど、俺はそれを両断するように口を開いた。


「別に田島先輩が謝らなくてもいいですよ」


 皆の視線がまたしても一斉に俺へ向けられる。


「そもそも俺は謝ってもらいたくてこんなことを言ったわけじゃないですし。ただ、訊かれたから、あったことをありのまま話しただけなので」


「そ、そうか……?」


 呆気に取られたみたいにして言う田島先輩。


 俺は頷いた。


 迫中は相変わらず何とも言えない表情。


 赤坂は一人考え込むように下を向いていた。


「その、ずっと独り身でも俺はいいと思ってたんです。奈桐以外の女の子を恋人にするのは彼女を遠ざける行為でもあるし、何より絶対俺が耐えられない。たとえ亡くなったとしても、俺にとって奈桐は唯一無二で、心の中で繋がってる存在なんです。代わりの聞かない女の子なんです」


「亡くなった彼女、奈桐ちゃんって言うんだ?」


 中須さんが問うてきた。


 はい、と頷いて返す。


「本当に可愛かった。見た目はもちろんだけど、中身の方もすごくいい子で、俺のことをいつも大切に想ってくれて、けどどこかいたずらな一面もあって……」


 凪がさりげなく俺の胴部分に体をゆっくり預けてくる。


 上から見えた彼女の耳は少しばかり赤い。


 ごめん。意地悪かもしれないけど、許して欲しい。


 ここまで来れば、恋人の魅力を俺は伝えたくて仕方なかった。


 俺は勢いを緩めることなく口を開く。


「特にお化け屋敷とか暗い所はあまり得意じゃなくて。そのくせ俺にはいつも言ってくるんですよ。行ってみようとか、入ってみようって。それで入ったりしてみれば、案の定怖くて前に進めないっていう」


「……へぇ……」


「はは……。ほんと、思い出します。昨日のことのように。もう四年以上前のことなのにな」


「……」


「はは……はは……は……」


 あれ。


 熱くなる目元。


 酒は一滴も飲んでいないのに。


 シラフだっていうのに。


 気付けば、目の辺りから雫がこぼれ落ちた。


「は、橋木田成……!」


 黙っていた赤坂が俺のところまで寄って来てくれる。


 周りの人たちがどんな反応をしていたのか、そこまで気を配ることができない。


 なんで自分が泣いてしまっているのかわからなかった。すぐそこに彼女本人がいるのに。


 小さくなった彼女本人が。


「中須先輩、そろそろ時間です」


「ん? どういうこと? 瑠璃ちゃん?」


「橋木田成はこの子を家に帰してあげないといけない時間なんです。だから――」






「そうだな。瑠璃の言う通り、か」






 迫中が声を上げた。


 俺は涙の引かない目元を抑えつつ、奴の方を見やる。


 仕方ない、という顔だ。


 そんな顔をひっさげ、奴も俺の元へ来た。


「先輩方、すいません。俺と瑠璃、二人を家まで送ってきます。今日はここで帰らせてください」


 そこにいた人たちはポカンとしている。


 色々なことが起こり過ぎて、状況についていけてないんだろう。


 それは田島さんも同じで、彼はあたふたしつつ、


「え、あ、あぁ。それはいいけど、何でお前まで一緒なんだよ? てか、橋木田は――」


「友達ってやつなんでね。俺たち。すんません。ほんと今日はここまでで」


 いつものノリで謝るような仕草をしつつ、俺の手を引っ張り上げる迫中。


 凪もそれと同時に立ち上がる。


 すぐに俺の太ももへしがみついてきた。


 あんなに四歳児っぽくない十九歳の女の子のような振る舞いをしていたのに、今はすっかり幼児のよう。


 それは、もしかすると四歳の姿に甘えたかったのかもしれない。


 四歳の姿に甘えて、何も挨拶などすることなく、自分の世界に入り込む。


 他のことを考えたかった。


 周りの人間のことなど今は考えることなく。


 俺とのことを。


 そうなんじゃないか、と推測する。


「じゃあ、私たちは帰ります。水を差してすみませんでした」


 赤坂が謝り、俺たち四人は宴会場を出て行く。


 皆の反応はまばらだ。


 それでいい。


 靴を履き、会計を済ませ、外へ出た。


「あ、赤坂……迫中……」


 俺は二人へ声を掛けようとするが――


「橋木田成、少し付き合ってもらう」


「……!」


 いきなり赤坂に服の袖を引っ張られるのだった。


 どこへ行こうとしているのか、そんなことは何も教えてもらえず、迫中はただ苦笑するだけだった。

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