第22話 居酒屋入店
凪を居酒屋へ連れて行く前、一応俺は芳樹さんに電話を入れた。
それもそうだ。
夕飯を食べさせてあげて欲しいと言われてお世話を任されたのだが、それがまさか居酒屋へ連れて行ってご飯だなんて芳樹さんも想像していないはず。
だから、俺は電話した。
芳樹さんも恐らく仕事中だろうけど、申し訳ない思いを抱きつつ。
「――という訳なんですが、今から凪を居酒屋へ連れて行ってもいいですか? もちろん、夜の八時半くらいには必ず帰りますので」
『あぁ、うん。そいつは全然構わないよ。わざわざごめんね。こんな電話も入れてくれて』
「いや、それはいいんです。凪のこと、勝手に酒飲み場に連れて行くわけだし、報告は当然のことだと思うので」
『成はできた人間だね。晴美さんは君のことをいつも下げたような言い方をするけれど、しっかりしているよ。やっぱり成が凪のお兄ちゃんになってくれてよかった。心からそう思うよ』
「やめてくださいよ。そんなに褒められると照れます」
『あははっ! いやいや、でも本当のことだしね。改めてありがとう。本当に色々と』
「いえいえ。全然」
そんなやり取りを交わし、俺と凪は手を繋いで居酒屋への道を歩いた。
歩きながら思った。
ちゃんと『父さん』と呼べなかったな、なんて。
まだどこか気恥ずかしい。
頻繁に芳樹さんのことを『父さん』とは呼べる勇気がなかった。
彼はしっかり俺のことを『成』と呼び捨てで呼んでくれてたのに。
やっぱり俺は、心のどこかで父親という存在を認め切れていないんだろう。
それは、どんな人であれ、だ。
父親がいる生活が想像できない。
自分の頭の中で、父親がいる生活というやつを想像できないわけだ。
だから、パズルのピースをぴたりとハメるように、芳樹さんのことをしっかりと認められない。
嫌いというわけじゃなかった。
むしろ受け入れたい。
頭ではわかっていても、心がそれを簡単に許してくれないから。
俺は面倒な人間だ。
自分でも改めてそう思った。
「ねぇ、成?」
「ん? どうしたよ、奈桐?」
「だから呼び方ね。居酒屋、瑠璃ちゃんも、仁くんもいるんでしょ? そのままだと確実に怪しまれるから」
ジト目で下から言われ、俺はごめんの一言。
素直に頭を下げた。
「そいつはすいませんでした。ちょっと考え事してたら素で出ちゃってたよ」
「それがマズいんじゃん。素で出さないで。我慢して」
「なんか言い方がいやらしい」
「いやらしいのは成の頭の中っ。もうっ」
ベシベシ太ももを叩かれる。
叩かれるのだが、俺はそんな橋木田凪の心情を、確かにその叩き方から察した。
「なき……じゃなくて、凪?」
「なに?」
「居酒屋着くの、もしかして楽しみにしてる?」
「え」
「ははっ。何でわかったの、の顔だな。そりゃわかるよ。奈桐は凪になっても奈桐だし、どれだけ傍で見て来てたと思ってる? 俺に対して隠し事なんて無理です。呼吸の仕方一つだけで何考えてるかわかるからな」
「……それは怖いんだけど?」
本気で恐れる凪を見て、俺は苦笑い。
でも、と返す。
「凪だってそうだろ? 俺のこと、それくらい理解してるんじゃないのか?」
「それはそうだけど……」
「じゃあ別に怖いのだってお相子じゃん? そんな怖がらんでも良きです」
「……なんか見透かされたのが悔しかった……」
「正直でよろしい」
言って、俺は凪の頭に手をやる。
たぶん、身長差的な意味合いもあるんだろう。
同じくらいの身長だった昔と比べて、圧倒的に俺は凪の頭へよく手を置く。
小さくなった分、まだ気が楽だ。恋人だとも思い続けてるけど、同時に妹にもなってきてる。
いかんな。
家族になると言っても、本当は妹なんかじゃなく、奥さんとして迎え入れたかったのに。
「……でも、楽しみなのは本当。私、そういう場に親無しで行くの初めてだから」
「おぉ。まあ、そうなるのか」
凪はこくんと頷く。
サラサラの可愛らしいツインテールも一緒に動いた。
「年齢換算でいくと十九歳だから、本当は大学生一年生くらいだし。大学一年生と言えば、サークルに飲み会、どんちゃん騒ぎの毎日、なんでしょ? 私もそういうの、一回やってみたかったから」
「その想像は大いに偏見が含まれてるけど、まあ、やってるやつもいるっちゃいるな。ちなみに俺はそこまでやったことない」
「え。そうなの? 晴美お母さんが遊び倒してるって言ってたから、てっきりそういう毎日を成も送ってるのかと」
「凪さん。そんなわけないですよ。俺はあくまでも付き合いとして飲み会に行ってるだけで、酒もどんちゃん騒ぎもそこまで好きじゃないよ。少数で本当に仲のいい奴と飯食べるのが一番好きだ」
「えぇ。真面目。意外だ~」
「意外って……。昔からそうだったでしょうに」
苦笑して頬を掻くと、凪が「うーん」と考え込み、
「確かに真面目……ではなかったのかな? 成、友達多かったし」
「人付き合いには自信あるからな。適当にモテもしたし」
「うわぁ。うざぁ。サイテーだ、この浮気男めー」
「浮気男ゆーな。んなもんしてませんから。一秒たりとも」
それこそ、奈桐が亡くなってからだって一度も。
「てか、元はと言えば、凪に追いつこうとした結果でもあったんだよ。人付き合い大切にしようとしたの」
「……? 私に追いつく……?」
首を傾げる凪。
無理もない。それだけじゃさすがに説明不足だ。
俺は続ける。
「凪はいつだって人気者だったろ? 男子にも女子にも友達が多くて、人当たりもよくて人気者で」
「そりゃあもう。人付き合いには自信ありますから。適当にモテもしたし」
「それ言われるの結構嫉妬心湧くのな。今度からもう言わねー」
「ふふんっ。わかればよろしい」
してやったり顔で俺を見つめ、ふふん、と笑む凪さん。
自分を戒め、俺はさらに続けた。さっきのセリフの続きだ。
「なんていうか、おまいさんのことを遠い存在にだけはしたくなかったんだよな。奈桐に『自分に相応しい』と思ってもらえる男にだけはなっとこう、みたいな考えだった」
「……私、そういうの嫌いだよ? 成がどんな成でも、私は君のことが一番なんだから」
「っ……。と、当時はそれを俺も察することができなかったの! ただ、がむしゃらに凪へついて行かなきゃってことだけでいっぱいで」
「はぁぁ~。成は昔からそうだったね。考え過ぎなところあるの」
「当たり前だ。考え過ぎだ結果、凪が奈桐として亡くなった時、夏休み中外に出られなかった。病み過ぎて」
「……そういうの、今言うのは禁止。あとでおうちで聞きます」
人差し指でムニっと俺のお腹を突きながら言ってくる凪。
了解いたしました。
俺は頭を下げ、突いてくる小さい手を取り、モミモミ揉んだ。
きゃー、と凪は冗談っぽくはしゃぎ、その手を引いた。変質者の触り方だー、なんて言ってくれてる。まったく。恋人のことを変質者呼ばわりしないでいただきたい。
その見た目でそんなセリフ吐かれたら、俺は一発お縄なわけだし。
「とにかく、今日の居酒屋は私、楽しむね」
「……うん。そりゃもう楽しんで。時間制限はあるけど」
「むぅぅ……。お父さんも成も心配し過ぎ。せめて十時くらいはいけたでしょ」
「おバカ。十時なんて普通の四歳児はアンパンマンの夢見て寝てます。不良幼女にだけはならないで、凪ちゃん」
「別に不良じゃないもん。十九歳だもん」
「はいはい……」
力なく笑み、俺は件の建物の前で足を止める。ここだ。
「ほい。着いた。今日の戦場はここですよ」
「戦場って……。ここなんだ。居酒屋」
頷く。
豪華でも、古びてもいない普通の店。
その店の前で俺たちは立ち止まり、扉に手をかけた。
「じゃ、入りますよ。準備はいいかい?」
「そんなの元よりできてますよー」
胸を張って言う凪。
俺は内心不安だ。
でも、ここまで来たら逃げられもしない。
出入り口の扉に手をかける。
そんな折だ。
「――っ!?」
開けようとした扉が勝手に開き、その入り口からは見慣れた顔が出てきた。
「おっ! 成じゃん!」
「おう。何でこんなところにいるんだよ、お前は」
迫中だ。
なぜか迫中と出入り口で出くわす。てっきり中で飲んでるのかと思った。
「何でって、そりゃお前――」
何かを言いかけて、その口がピタリと止まる。
視線は下。
凪の方を奴は見つめていた。
「……え……」
そして、持っていた何かを床にボトリと落とす。
財布だ。こいつ、手に持ってた財布を落とした。
「おい、迫中。お前、財布落としたぞ?」
「……」
「迫中?」
黙り込む迫中。
それは、何度も見たリアクションでもあった。
赤坂も似たような反応をしていたっけか。
「あ……え……え……!?」
「はじめましてっ」
にこりと笑い、無邪気に挨拶する凪。
それを見て、迫中はさらに動揺する。
死人が若返ってよみがえった。
そんなところだろうか。
こいつの考えも俺はある程度わかった。
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