第21話 答えは二人で

「――というわけで奈桐さん。今日はお兄ちゃんと一緒に居酒屋へ行き、そこで晩ごはんを食べましょう。よろしくお願いします」


 四歳の幼女に本気で頭を下げる。


 その光景は、きっと家の中だからこそ許されているんだと思う。


 これが他人の目に入れば、俺は恐らく危ない奴認定されるか、最悪不審者として扱われるかもしれない。


 良かった。ここが俺の家の中で。


 藤堂凪、改め、橋木田凪。もっと改め、雛宮奈桐。


 元十五歳の恋人に、俺は誠心誠意お願いしていた。


 四歳の身なりですが、一緒に居酒屋へ行きましょう、と。


 面倒な展開になるのは目に見えていますが、どうか一つよろしくお願いします、と。


「え……えぇぇぇ……」


 反応は予想通りだった。


 困惑というか、叶うならばそんな面倒な場所には行きたくない、という思いが顔にすごく出てる。


 それはそうだ。


 たぶん、俺が凪の立場だったとしても、今の彼女と同じ反応を示したと思う。


 面倒だし、何よりも疲れる。


 注目されるうえにボロも出せないわけだから。


「別に私はいいよ……? 一日くらい夕飯がコンビニのお弁当でも……」


「いや、それじゃ俺がダメなんだよ。鬱陶しくて面倒くさいサークル長がどうしても奈桐を居酒屋に連れて来いって言うし」


「意味がわかんないよ……。あと、成? 家の中で奈桐呼びは禁止ね? お母さん、どこかで聞いてるかもだし、凪で通して」


「お、おう。了解」


 こんな時でも抜け目がないな、凪は。


「でも、水族館に行った時のこと、成のサークルの人が見てたんだね。ほんと世間は狭いよ。私たち、うかうか一緒に外も歩けないじゃん」


「だよな。てか、普通は一緒にいるところ見られてもいいんだよ。連中の頭が腐ってるだけで」


「頭が腐ってる、は言い過ぎだけど、確かに歪んでるよね。どうして成がロリコンになるの。成が好きなのは私だし、私は別にロリでも何でもないのに」


 いや、ロリでしょう。


 自分の見た目のことを完全に忘れてらっしゃるようだった。


 心は十九歳くらいでも、見た目は四歳なんですよ、凪さん?


「まあ、とりあえず今日はご一緒願いたい。好きなもの食べてもいいし、あんまりな質問されたりした時は俺が守ったりするんで」


「けど、私にベタベタしてたら、それはそれでまたロリコンとか言われるんじゃないの?」


「その時はその時だ。連中のせいで奈桐が傷付くくらいなら、ロリコンって言われてでも俺は君を守るよ」


「……っ」


 頬を朱に染め、ふいっと顔を別の方へやる凪。


 照れてるみたいだった。


 わかる。ちょっと今、俺もクサイこと言っちゃったよな。


 本音ではあるものの、時間が経つにつれてそれを自覚し、こっちまで恥ずかしくなってしまう。


 凪同様、俺も視線を横へ逸らす。場が微妙な雰囲気になってしまった。


「……ほ……ほんと……成は困ったさんだなぁ。私のこと好き過ぎ……」


 耳まで赤くしてるくせに、小っちゃい体で腕組みし、凪は体を左右に揺らしながら言ってくる。


 そういや今さらだけど、今日も凪の着てる服はめちゃくちゃに可愛い。


 プチ森ガールみたいなひらひらスカート姿は、まるで妖精さんみたいだった。


 そんな妖精さんが強がって腕組みして、ふふん、と言ってきてるわけだ。


 誰も見てないし、抱き締めてもいいだろうか。


 本当に本当に本当に可愛い。ロリコンでも構わないから、抱き締めたうえで髪の毛辺りをクンカクンカしたい。


 きっとお日様みたいな匂いがするはずだ。昔の奈桐もそうだったから。


「そりゃまあな。好きの想いなら半端ない。けど、凪だってそうだろ? 俺にまた会うために生まれ変わってくれるくらいだし」


「んぐっ……」


 図星を突かれたようで、体をビクつかせる彼女。


 俺はここぞとばかりにニヤッと笑い、


「人のこと言えないよなぁ~。まあ、そういう素直じゃないところも好きなんだけど」


「っ~……! す、すぐに好きって言い過ぎだし! 昔はすっごい勇気振り絞りながら言ってたくせに!」


「そりゃそうだ。人間ってのは日々進化していくからな。今なら凪の目をちゃんと見て、キスする距離でもしっかり言える。愛してるよ、って」


「んなななっ!?」


 ボンッと効果音がしそうなくらいにまた顔へ熱を灯す凪。


 それから、俺の方へ近寄ってきて、「ばか!」なんてことを言いながらベシベシ叩いてきた。その刺激が今は気持ちいいし、幸福を運んでくれる。うん。いい。


「そんなこと言ってたら本当にロリコン扱いされるよ!? 皆から気持ち悪がられるよ!?」


「構わない。奈桐さえ好きでいてくれたら」


「じゃ、じゃあ私居酒屋行かなくてもいいよね!? そ、それにさっきから奈桐って呼ぶの禁止って言ってるのに……!」


「いや、居酒屋は一緒に行こう。凪に一人で晩飯食べさせるわけにもいかないし」


「私はいいよ! 気にしなくても!」


「俺が気にするんだ。こう、居酒屋で酒飲んでて、一人椅子に座って凪がぽつんとご飯食べてる姿を想像するとさ…………ぐすっ」


「泣くほど!? 泣くほどなの!? そんなに私可哀想かな!?」


「可哀想だよ……。やっぱりダメだ。一緒に行くよ、居酒屋」


「えぇぇ~」


 俺を見上げながら、嫌そうな声を出す凪。


 そんな彼女を見て、思わず苦笑してしまった。


 俺は続ける。


「それに、さ。奈桐?」


「だ、だからその名前で呼ばないでって何回も――」


「俺は、少しでも多くの時間を君と過ごしたい」


「っ……」


「一緒に過ごして、たくさん思い出の続きを更新させて、それからたくさん会話がしたい」


「……成……」


 漏れ出た、紛れもない本音。


 空気が神妙なものになる。


 俺は、話すべきかと思って迷っていたことを遂に口にした。


「昨日、大学の帰り道で葉桐ちゃんに会ったんだ」


「……へ……?」


「奈桐の家の前を通り過ぎた時、玄関からちょうど出て来た。話し掛けようとする前に扉は閉められたけど」


 凪の表情がどことなく沈む。


 それでも、と俺は続けた。


「個人的なわがままを言うなら、俺は葉桐ちゃんに会ってあげて欲しいよ。奈桐」


「……!」


 訴えるような目で彼女は俺を見上げてくる。


 その視線の意味なんておおよそ理解できた。


「もちろん、言いたいこともわかる。言ってくれたしな。自分の正体を明かせば、今ある人たちとの間にひびが入るって」


「……」


 無言のままに凪は頷いた。


 たぶん、頭の中に浮かんでいるのは芳樹さん。


 彼もまた、凪からしてみれば大切な人の一人だから。


「……でも俺、葉桐ちゃんとまた昔みたいに会話するためには、奈桐の存在が絶対に必要だと思う」


「っ……」


「あの子は、未だに大好きだったお姉ちゃんの死から立ち直れていない。だから、部屋からも満足に出られない。傷付いた自分からしてみれば、外の空気はあまりにも沁みてしまうから」


「……」


「気持ち、わかるんだ。俺もそうだったから」


 思い出すのはあの夏休みだ。


 奈桐が居なくなって、俺はそれ以降の休みをずっと自室に籠って過ごした。


 廃人と何ら変わらなかったと思う。


 あの時の自分は、確実に今の葉桐ちゃんと同じ。


 いや、葉桐ちゃんはもっとかもしれない。


 とにかく外に出られない。


 大切な存在を亡くした傷は、それほどに深い。


 深すぎる。


「だから……これもまた……気が変わったら、で構わない」


「……」


「葉桐ちゃんに会うこと。自分について話すこと」


「……」


「どうか前向きに考えてみて欲しいよ。奈桐」


 呼ぶな、とは言われたが、俺はその名を呼び続けた。


 呼ばずにはいられなかったんだ。


「……ごめん、成」


「……?」


 疑問符を浮かべると、凪は顔をうつむかせて続けてくれる。


「……わかんないよ。私」


「……わかんない?」


「うん。わかんない。もしも仮に私が正体を明かしたとして、そこから先の身の振り方が何もわかんない。想像できないの」


「……奈桐……」


「今の関係にひびが入るのも怖いし、誰かを傷付けるのも怖くてたまらない。そこからどうしていいかわからなくて、あたふたするしかない自分を想像すると、怖くてたまらなくなる」


「……」


「誰も私を受け入れてくれなくなるんじゃないか。奈桐と凪な私は、純粋な一人の女の子として、お父さんとお母さんにも、芳樹お父さんにも、誰の近くにもいられなくなるんじゃないか」


「……」


「お姉ちゃん失格。私。妹が傷付いてるのに、自分のことばっかり」


「……奈桐……」


「正解はわかってるのにね。そこに辿り着くための方法がわかんないや。……あはは」


 力なく笑う彼女は、本当に苦しんでいるように見えた。


 なんか俺は、こういうのばかりだ。


 奈桐が凪になってから、会話するたびに辛そうにさせてる気がする。


 反射的に首を横に振った。


 そうじゃない。そんなことはない、と。


「わからなくてもいいよ。大丈夫だから」


「大丈夫なわけないよ。だって私……私は――」


「大丈夫。そのために俺がいる」


「……へ……?」


きょとんとし、俺を見つめる奈桐。


 俺は、いつも通り彼女と目線を合わせるためにしゃがみ込み、頭を撫でた。


「傍には俺がいるから。一人で考えてもわからなかったら、俺がどうにかする。答えを導き出すの、手伝うよ」


「……で、でも……どうやって……?」


「わからない」


「え……!?」


 奈桐はギョッとした。


 自分でも思う。何言ってるんだ、と。思わず笑ってしまった。


 笑いながら、続ける。


「わからないけど、とにかく会話することが大事だと思う」


「会話……」


「芳樹さんは前から言ってるけど、他にも改めて守さんとか、陽子さんとかとも、久しぶりに話してみようと思うんだよ。そしたら、答えも出て来るかもだし」


「……そうなのかな……?」


「うん。たぶんそう。何となくそう思ったら、行動してみるが吉だよ」


「……うん……」


 奈桐の目が輝き始めた。


 俺は一つ頷く。


「じゃあ、そういうわけなんで、とりあえず今から居酒屋へ行こう」


「え」


 すごい急。


 奈桐は笑う。


 俺も笑った。


「腹が空いては戦もできぬ、って言うしな」


 俺は奈桐の手を取り、玄関へと向かうのだった。

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