第20話 恋する泥棒猫と、スウェット姿の葉桐ちゃん

「本当にすまない。何もかも私のせいだ。私が昨日、水族館で出会ってしまったから」


 部活(といっても部室で駄弁っていただけだが)が終わり、赤坂と一緒に歩く帰り道。


 俺の横で彼女は心底落ち込み、シュンとしていた。


 いつもの強気な姿勢からしてみれば珍しい。


 珍しいのだが、そのレアな現象に感心している場合じゃない。


 俺は、間髪入れずに「いやいや」と手を横に振る。


「別に赤坂のせいじゃないよ。あれは色んなことを曲解してる田島さんと、他の面々が悪いだけだ。あと、俺たちのことを水族館で見て、訳のわからん噂流した人。女子らしいけど、この人がすべての元凶。いったいどんな奴なんだ。まったく」


 慰めつつ、俺は薄暗くなった空を見上げて眉間にしわを寄せる。


 ほんと、事実を確認せず、よくこんな噂を流せるもんだ。


 俺がロリコンなわけないだろ。


 いつだって奈桐が一番なんだし。


「しかし……。あそこで私がお前たち二人と出会わなければこんなことになっていなかったのもまた事実……。どうしたって責任は感じるというか……」


「それも感じなくていい。噂の張本人である俺がそう言ってるんだぞ? これ以上赤坂が気にしたってしょうがない。不必要なことで自分を責めないでくれ。そういうの、俺も苦しくなってくるから」


「でも……」


「でもも何もない。赤坂は、赤坂らしくいてくれ。そっちの方が俺は好きだし」


「……!」


 こちらを見つめ、目を見開く赤坂。


 もうすぐ真っ暗になる夕方時だ。


 既に辺りでは薄っすらと夜闇が漂っていて、その表情の色までを確認することはできなくなっている。


 それでも、彼女が照れていることくらいわかった。


 こちらへくれていた視線をゆっくり動かしている足元へやり、


「……そうか」


 と、か細く、小さい声で呟く。


 俺だって鈍感じゃないし、そもそも赤坂がどんな感情を俺へ向けてくれているかは、奈桐が教えてくれた。


 彼女の心中を何となく察することができて、俺は気軽に発した自分の言葉を少し呪った。


 もう少しマシな表現をすればよかった。


 これじゃ赤坂の気持ちを弄ぶ最低男だ。


 心の中で自分を殴る。愚か者め、と。


 表向きでは軽く頭を掻いた。今の言葉が無かったことにならないか、と思いながら。


「しかし……なんというか……似ていたな。凪ちゃんは」


「え?」


「奈桐ちゃんに。かつてアルバムで見せてもらった彼女にそっくりだ。四歳だった彼女に」


 心臓がドク、と跳ねる。


 やっぱり、昔の奈桐を知っている人は皆そう思うんだろう。


 俺は動揺を何とか見せないよう苦笑した。


 赤坂は俺の方を一度見て、それから視線の先を前に戻しながら続けてきた。


「……橋木田成。お前は、もしもあの小さい女の子が、奈桐ちゃんの生まれ変わりだとしたら、その時はどうするつもりだ?」


「……!」


「私は、恐らく泣いてしまうと思う。小学生の頃はたびたび喧嘩していたが、彼女はお前にとって唯一無二で、私にとってもそうだったから」


「……赤坂……」


 彼女は「ふふっ」と小さく笑う。


「あれだけ色々なことで喧嘩していたのに、私は彼女のことが好きだったんだ。亡くした後に気付いた。胸の痛みが半端ではなかった」


「っ……」


「だが、もちろん橋木田成、お前には負ける。お前の喪失感に比べれば、きっと私のなんて大したことがなかったはずだ」


「そ、そんなの! そんなの、大きい小さいなんて関係ない! 奈桐のことを想っていたなら、あいつだってそれは……」


「……ふふふっ」


「……? な、何だよ、いきなり笑い出して」


「いや、な。やはりお前は優しい奴だな、と思って」


「は、はぁ……?」


「ただ一人、私を助けてくれた小学生の頃と何も変わっていない。変わらないでいてくれている。大変なことがあったというのに」


 実感を込め、小さな声で、けれどもほのかに暖かな声音で言う赤坂。


 それは恋する乙女のようなものにも見え、俺にも恥ずかしさみたいなものを覚えさせた。


 軽く頬を掻く。


 赤坂は、歩いていたところ、その場で立ち止まった。


 どうしたんだ?


 そう思い、俺も彼女に合わせて立ち止まる。


 見つめ合う俺たち。


 赤坂はくすっと笑み、俺の顔に人差し指を伸ばしてきた。


「気を付けろ、橋木田成? 優しいのはいいことだが、その優しさを奈桐ちゃん以外に振り撒けば、泥棒猫がお前のことを好きになってしまうぞ?」


 伸ばされた人差し指は、俺の鼻をツンとつついてくる。


 くすぐったいのと、意味深な発言のせいで、俺は瞬間的に顔を熱くさせた。


 けれど、夜闇の漂う中、微笑む赤坂の瞳に薄っすらと涙が浮かんでいるのを見て、その熱も徐々におさまっていく。


 胸がズキリと痛んだ。


「これから先も、お前は奈桐ちゃんだけを愛してあげてくれ。どんなことが起ころうと、何があったとしても」


「……うん」


 俺は、神様に誓うように、彼女のお願いを受け入れるのだった。









 その後も、俺は赤坂と一緒に他愛のない会話を繰り返し、帰り道を歩いていた。


 そろそろ俺の家の近くだ。


 近くだけど、そこは通り過ぎて赤坂の家まで行こう。距離的には一キロほど歩くだけ。


 そんなことを考えながら、ふと何気なしに奈桐の家の前を通った時だった。


 ――ガチャリ。


 玄関の扉が開く音がして、そちらへ視線を向ける。


 その先には、久しぶりに見る葉桐ちゃんの姿があった。


 長くなった髪の毛は結ばれているわけでもなくボサボサで、着ている服も、家着と思われるスウェット上下。簡易スリッパを履き、とてもじゃないが人に見られることを想定しているとは思えない出で立ち。


 けれど、それは変わらない葉桐ちゃんの姿だった。


 奈桐を亡くしてからの、葉桐ちゃんのいつもの恰好。


 だから、特段驚くことも無ければ、だらしないと思うことも無い。


 ただ、彼女がいる、という感想だけが脳内に浮かんだ。


 声を掛けよう。


 そう思いもしたのだが、


「っ……!」


 葉桐ちゃんは俺たちを見るや否や、そそくさと家の中へ戻って行ってしまった。


 ガチャン! と、さっき開けられた時よりも大きな音を立てる扉。


 言うまでもなく避けられている。


 それがわかって、俺と赤坂は、奈桐の家の前で思わず立ち尽くしてしまった。


「……橋木田成。今のは……」


「うん。奈桐の妹の葉桐ちゃん」


「私、久しぶりに見たかもしれない」


「俺も。たぶん、赤坂よりは久しぶりじゃないけど」


「……彼女はやっぱり……」


「……うん」


 赤坂が何を言おうとしたかは、すぐにわかった。


 今の葉桐ちゃんに奈桐を会わせたい。


 でも、それは奈桐自身が拒んでいる。


 今ある関係にひびが入る。


 自分はそもそも亡くなった人間だから、と。


「……もっと、奈桐と話そうと思う」


「え……?」


「奈桐と話をして、それで……」


 いや。それも違うか。


 葉桐ちゃんと奈桐を引き会わせる。


 そんなのは、俺の傲慢な考えでしかない。


 すべてはなるようにしかならないんだ。


 こうしたから幸福になって、こうしたから不幸になる。


 そんなもの、俺の中の答えでしかない。


 本人からしてみれば、それはまったく幸福じゃない可能性だってある。


 でも、だからこそ俺は、もっと奈桐と話がしたかった。


 せっかく、こうして話せるのだから。

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