第17話 結婚式はしない
「え? 結婚式はしない?」
凪たちと一緒に水族館へ行った翌日。月曜日。
大学の授業が二限目からあるため、俺はその準備をしつつ、少しばかり遅い朝食をリビングで摂っていたのだが、ふと洗い物をしていた母さんから何気なしに言われた。
「それって、芳樹さんとの結婚式だよな?」
問うと、わざとらしく母さんはため息をつき、
「そりゃそうよ。芳樹以外に誰がいるっていうの? 母さん、この歳になって二股とかできるわけないんだから」
「……なんかその言い方だと若い時はしてたみたいに聞こえるな……」
「おバカ。そんなわけないでしょうが。あんた、もっと自分の母親を信用しな」
まあ、それもそうか。
母さんは基本的に曲がったことを許さない。
他人のすることもそうだが、もちろん自分のすることも。
小さい頃はよく言われたもんだ。簡単に嘘をついて人を騙したり、傷付けるようなズルい真似はするな、と。
「……してないんならいいんですけもどね。うん。……味噌汁美味い」
「当然だよ、当然。浮気とか、男とっかえひっかえとか、アタシはそもそも面倒くさいよ。もちろん理由があってってことなら色々考えものだけどさ」
「……うん」
それは俺の実の父さんに向けられた言葉なのか、それ以外に向けられた何気ない一言なのか、計りかねる。
ただ、昔から母さんは別れた父さんのことを特段悪く言うようなことをしなかった。
離れた理由ってのを訊いても、
『男ってのはカッコつけて無茶しがちだからね。お父さんは少し疲れたんだよ』
なんて言って、明確なことを俺に教えてはくれなかった。
一応気になりはするものの、執念深く追及しようとも思えず、今に至るといった感じだ。
俺はそれで構わなかった。
母さんがいるし、食堂があって、そこには常連客やら、実の兄みたいなスタッフさんたちがいる。
それから、奈桐もいた。
彼女がいたから、寂しいと思う必要が無かったんだ。
「でも、改めて訊き返すけど、結婚式しないんだ。母さんはそれでいいの?」
「うん。あんたには言ったか言ってないか忘れたけどね、人生で二回も式開いて人に集まってもらうのって、なんか面倒だし、こっちも気を使うからさ」
「あー、まあ、何となく聞いたような」
「それに、芳樹もアタシより八つくらい若いから。若い男捕まえてどうだこうだって陰で噂されるのもなんか嫌なのよ。静かにひっそり婚姻届出す程度でいい」
「おじいちゃんおばあちゃんに報告は当然するよな?」
「そりゃもちろんね。今度四人で挨拶へ行こう。兵庫県だし、成も行くの一年ぶりくらいでしょ?」
「そうだけど……。なんで俺まで? しかも凪も一緒って……」
それこそ息子と新しく娘になる四歳児を使って、実父と実母からの「若い男捕まえて、あんた脅しでもしたの?」的な質問から逃れようとしてるんじゃないかと疑ってしまう。
結婚式はしないで済むからいいけど、挨拶の時にはチクチク言われるから、みたいな。
「いいじゃない。あんた、一年に一回くらいおじいちゃんとおばあちゃんに顔出ししとかないと。電話来るんだからね? 『久しぶりに成に会いたい』っておじいちゃんから」
「っ……。あぁ、そうかい」
「大学生になってほんっとに付き合い悪くなったんだし、決定だからね。その日は予定空けておくこと。いい?」
「はいはい……」
言って、俺は食べ終えた朝食の食器をキッチンの方へ持って行く。
そしてそれを母さんに渡すと、泡だらけの手のまま、なぜかニヤリと笑んできた。何だ? 気味が悪い。
「しっかし、おじいちゃんたちが凪ちゃんに会ったらどんな反応するかね?」
「……。母上様、そういうことは不謹慎ですのでおやめになってくださいね」
「あんたは最初号泣してたもんね。あんまりにも小さい頃のなーちゃんに似てたから」
「もういいってほんと……」
にひひ、と笑い、また洗い物に戻る母さん。
俺は呆れるようにため息をつき、やがて小さく笑った。
「それはもう腰抜かすんじゃないかな。俺がすっごい傷付いてたこと、おじいちゃんずっと気にしてくれてたから」
「……うん。そうだね」
こっちを見ず、軽く口角を上げたまま、食器をゴシゴシと擦る母さん。
俺はそんな実母の姿を見て、踵を返し、二階へ向かおうとする――のだが、その寸前で呼び止められる。
「言い忘れてたけど、来週の土日からもう芳樹と凪ちゃんウチで暮らすからね」
「……え!?」
「姓はアタシら変わんない。芳樹たちの方が変わるってことで。よろしく」
そう言って、母さんはまた洗い物を再開させる。
いやいや、しかし急だな。もう少し先かと思ってたのに。
まあいいか。
早いなら早いで、俺は嬉しい。
凪……いや、夢にまで見た奈桐との暮らしが遂に始まる。
「……ははっ」
俺の足取りは軽かった。
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