第12話 奈桐の告白

「このイルカショーの観客席は、俺が奈桐に対する好意を確かなものにした場所だ」


 そう。


 思い出す。


 もう、十年ほど前の話だけれど。


「私への好意を……確かなものに……?」


 言葉の一語一語を噛み締めるかのように、ゆっくりと呟く凪。


 俺は頷いた。


「小学生の時だよ。あの時、奈桐めちゃくちゃモテてただろ? クラス、いや、学年の中でも運動神経抜群で、足が速くて、リレー選手だった奴とか、野球やってたり、サッカーやってたりして、カッコよかった奴ら複数人からすごく好意を向けられてた。覚えてるだろ? 宮本君とか、山野君とか、坂巻君たちのこと」


「……う、うん。それは……まあ」


「学年の女子たちの黄色い声を分散させてさ、欲しいままにしてたじゃん。奴ら」


「……別に、私はそういうのあまり意識してなかったけど……?」


「でも、欲しいままにしてたのはしてただろ? 奈桐も気付いてたはずだよ?」


 凪の方へ若干顔を寄せ、問いかける。


 幼い見た目をした彼女は、少し目を見開き、若干頬を赤くさせて後退。


 やがて俺から目を逸らし、渋々同意してくれた。


「少しくらいは……だけどね?」


「うん。少しくらいでもいい。とにかく三人はモテてた。ほんと、不平等なくらいに」


「でも、それが今、私たちのことで何の関係があるの? 関係なくない?」


 凪に言われ、俺は「いや」と首を横に振る。


「関係あるよ。だって、この三人は、当時揃って凪へ好意を寄せてたんだから」


「っ……」


 反応からして、知ってたような様子。


 それもそうだ。


 凪は……いや、奈桐は、この水族館へ行く遠足の直前、三人から告白されていたんだから。


「奈桐は告白もされた。三人から」


「……」


「対して、俺は幼馴染だってのに、それを傍から見るしかなかったモブキャラだった」


「……そんな――」


「そんなことあるよ。実際、勇気を出すまでは、教室で奈桐に声を掛けることすら難しいと思ってたんだし」


「……成……」


「あの当時、俺から見た奈桐は、すごく遠い存在に思えてたんだ。本当に果てしないくらい」


「……それは……」


 凪が何かを言いかけたタイミング。


 そのタイミングで、水族館員のお姉さんの声が、マイクを通して会場に響き渡る。




『みなさーん! お待たせいたしました! イルカショーの始まりですよー!』




 湧き上がる会場。


 それに呼応し、ぐんぐん水中で動き回るイルカたち。


 彼らはやがて水面から顔を上げ、きゅい、きゅいと鳴き上げた。


 それを聞き、さらに観客は盛り上がる。拍手の嵐だ。すぐ傍にいた子どもたちも楽しそうにはしゃいでる。


「……成……?」


「……ん?」


「始まったね。イルカショー」


「うん。変わらないよな。あの時と」


 本当に。


 そう、凪はポツリと呟く。


 それは、この歓声の中でも、ハッキリと、確かに聞こえるものだった。


「……けど、それは成もだよ」


「……え?」


「成だって、昔と今も、変わらない。変わらず、私の傍にいてくれる。変わらないで、私のことを好きって言ってくれた」


「……!」


「あの時と同じように、手を繋いでここまで連れて来てくれた」


「……奈桐……」


 凪の言葉で思い返されるのは、かつての情景。


 小学生の時、遠足でこの水族館へ来て、奈桐は宮本君たちとずっと一緒にいた。


 いるしかなかった。


 奈桐の選択肢が三つしかないように、取り囲み続ける三人。


 俺はそれが耐えられなくなって、遂に隙を見て奈桐をイルカショーへ連れ出した。


 勇気を振り絞った。


 今までにないくらい、誰にも奈桐を奪われたくないという一心で。


「遠いって言っても、成はきっと私を迎えに来てくれるから」


「……っ」


「私も、成と離れてても、成をちゃんと探しに行こうって思える」


 言って、にこりと笑む凪。


 俺は、そんな彼女を見て、思わず抱き締めたくなった。こんなに人がたくさんいる中で。


「ありがと、成。私だって、大好きだよ」


「っ……!」


 いったい、奈桐が凪になって、何度目の告白なんだろう。


 俺たちは、空白の五年間を急ピッチで埋めるみたいにして、互いのことを好きだと言い続けている。


 けれど、不思議だった。


 言い過ぎなくらいだと思うのに、まだ心は彼女からの『好き』を求めてる。


 どれだけ飢えていたのか、という話だ。


 個室でいい。


 二人きりの空間で、誰にも邪魔されず、誰にも干渉されない環境で、君と『好き』を交わし合いたい。


 ただ、それは恐らく俺一人だけではないはずだ。


 奈桐。


 君が想い、君のことを想っていた人たちもまた、俺と同じように君と話をしたいと思っているはず。


 だから、だ。


 やっぱり君は、会話すべきなんだ。


 守さんと、陽子さんと、それから葉桐ちゃんと。


「……でも、成?」


「……ん…………んん?」


 あれ。


 感傷的な気持ちになって凪の顔を見つめていたのだが、唐突に彼女はクスッと笑い、ジト目で俺を見つめ返してくる。


 いったいどうしたんだろう?


「成、人のこと散々モテるモテる言ってくれたけど、モテてたのは何も私だけじゃないんだからね?」


「……へ?」


「瑠璃ちゃん、元気にしてる? 今でも接点あるの?」


「え……」


 瑠璃ちゃんって、赤坂……?


 頭の中に浮かんだ疑問を、そのまま言葉にして問い返した。


 凪はジト目のまま頷いた。


 俺も頷き返す。


「接点はあるよ。大学も……一緒だけど」


「へぇ~」


 なんか顔がちょっと怖い。ジト目だけど、顔の半分に陰ができてるような気がするし、怖いよ凪さん。


「成は気付いてないだろうけど、瑠璃ちゃんは昔から成のこと好きなんだよ? 知ってた?」


「は……!?」


 あまりにも唐突過ぎる暴露。


 いや、まったく知らなかったが!?


「遠足の時、私ずっとそれでモヤモヤしてたの。成とは幼馴染で、いつだって一緒にいて、けど、何となくすれ違ってるみたいで」


「……っ」


「このまま二人とも、別々の方へ行っちゃうのかなって思ってた。別々の人を好きになっちゃうのかなって思ってたの、私」


「奈桐……」


「けど、それは杞憂だった。さっきも言った通り、成は私の手を引いて、ここまで連れて来てくれたから」


 イルカが大きくジャンプする。


 歓声が上がる。


「そこで、私も気付いた」


 俺は。


「成のことが、すごく好きなの」


 君のことが大好きだ。






●〇●〇●〇●






「結局、ほとんどちゃんとショー見られなかったね」


「でも、俺はよかったと思えてるよ。小学生の時ぶりに奈桐と一緒にここへ来られたから」


「……私も。成と同じ気持ち」


「……そっか」


 繋がれた手。


 彼女の手は、かつての時よりもかなり低い位置にあって、俺の手は高いところにあって。


 上に伸ばし、下へ伸ばす。


 それは、ようやく再会できた二人が、わずかな光の中で喜び合ってるような光景にも思えた。


 乗り越えないといけないことは、まだたくさんあるのだけれど。


「成? そろそろ、お父さんたちのところへ――」




「……橋木田成……?」




 凪が俺を呼んだ声を遮るかのように、後方から、別の声が俺を呼び止めた。


「……あ……」


 振り返った先。


 歩きゆく人々の中で、そこに立っていた女の子。


 赤坂瑠璃。


 まごうことなき彼女だった。

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