第11話 特別な場所

 凪と一緒にイルカショーを見る。


 そのことを母さんと芳樹さんに電話で伝え、俺たちは二人でショーの行われる会場まで足を運んだ。


『仲良く見とくから、そっちはそっちで水族館デート楽しんでくれ』


 電話口で、俺はこうも言っておいた。


 一見、親に気を使えるできた息子みたいなセリフだけど、本音のところは違う。


 少しでも、この場所で、凪と二人きりになって会話したい。


 近すぎる距離感にいた唯一の女の子に対して、初めて恋心を自覚したところだから。ここは。


 特別な場所で、浸りたかったんだ。


 さっきみたいな会話をしたばかりだからこそ。


 一緒に。二人で。


「成、座れる場所ある? 人たくさんいるけど」


「まあ、なんとか。でも、本当にギリギリって感じだな」


「私、成の膝の上でもいいよ? せっかく体小さいんだし」


「別にそこまでしなくてもいいって。ゆっくり快適に見たいだろ? 俺の上じゃ、ちゃんと顔も見合わせられないんだからさ」


「でも、その分密着できるよ?」


「密着なら家に帰ってからでもできるだろ? 何もここでしなくてもいいよ」


「けど、私今日は夜、いったんお父さんと一緒に二人暮らしの家に戻るし」


「それでもだよ。安心してくれ。ちゃんと二人分の席、俺が取るから」


凪の手を引きながら、俺はコロシアム状になっている観客席の階段を上がって行く。


 開始まで、まだ十五分ほど時間があるというのに、席は大勢のお客さんで埋まっていた。


 パッと見では、空いている席が見つからない。ポツポツと一人分のものなら空いているものの、二人並んで、となると、厳しそうだった。


「成、本当に私大丈夫だって。成のお膝に座っとくから」


「いや、でも……」


「一人分でも座っとかないと、どんどん席取られるよ。見て、お客さんまだたくさん入って来てるから」


 そう言われると、確かにその通りっぽい。


 入口からは、どんどん人が入り込んできている。この調子だと、一人分の席すら確保することが難しくなりそうだ。


「……仕方ないか……」


 俺は諦め、すぐそこにあった一人分の席へ腰を下ろす。


 それから、凪を自分の膝……ではなく、股の間に座らせる。


 こうすれば、凪も少しは安定して腰を下ろせるはず。


 俺の予想は的中し、彼女はすっぽりと空間にハマり、上手いこと座れていた。完璧だ。


「偉そうなこと言ってたのに、結局こうなった。ごめん、奈桐」


「全然いいよ。広くはないけど、悪い気はしないから。この席」


「……そう?」


 伺うような声音でわざとらしく問いかけると、凪は頭をコクコク縦に振り、頷いてくれる。


「ただ、成の股間に挟まれるっていうのは想像してなかったんだけどね。目論んでた?」


「な、なわけ! 目論んでなんてなかったし、別に変なこと考えてるわけでもないからな!? そこは信じてくれ!」


「あははっ。えぇ~? ほんとかな~?」


「ほんとだって!」


 俺が動揺したのがよっぽど面白かったのか、凪は舌足らずな声でケラケラ笑う。


 言うまでもないが、周りにはお客さんがたくさんいるんだ。


 あんまり下手なやり取りをしてると、俺が児ポだの何だので通報されてしまう。


 そんな癖、俺は断じて持っていない。持っているとするならば、小さい奈桐もオッケーだという寛容性だろうか。


 それは児ポに値しないはず。絶対。いや、確実に。


「言っとくけどな、俺が好きなのは奈桐であって、小さい女の子じゃないからな? そこは勘違いされたら困る」


「……ふふっ」


「……何だよ? まだ疑ってるのか?」


 怪訝そうにしながら問うと、真横にいた孫連れのご婦人が、俺のことを汚物でも見るような目で見てきた。絶対勘違いされてる。ヤバい。通報一歩手前ってとこじゃないか……?


「ううん。そういうわけじゃなくてね?」


「どういうわけなんだよ?」


「なんか成、昔とは違ってすごく簡単に私のこと『好き』って言ってくれるなーと思いまして」


「……えぇ?」


「五年の歳月は正直だね。成は成長したよ。さすがは私より一歳年上になっただけある。私はそこまでスムーズに成のこと『好き』って言えないもん。思ってたとしても」


「……」


「お兄ちゃん、えらいえらい」


「……やめい」


 身をよじり、冗談っぽく、からかうように俺の頬を撫でてくる凪。


 そこは頭を撫でるものなんじゃないかと思うけど、たぶん手が届かなかったんだろう。


 頬で妥協したらしい。なんというか、奈桐らしかった。


「……でも、そりゃそうだよ。言うに決まってる。自分の想いなんて、躊躇せずに」


「気になるかも。そこにどんな心境の変化があったのか」


 心境の変化、か。


 ショーの準備をしている最下層。ステージのところにいる水族館員のお姉さんの動きをぼんやり眺めながら、俺は切り出した。


「いつ無くなるかわからないって思い知らされたから。奈桐が」


「……」


「傍にいるのが当たり前で、ちゃんとした好意を告げなくても、自分の元から離れて行かない。そんな安心感がさ、恥ずかしさとか、迷いとか、言い訳にできる理由ってのを勝手に大きくしていくんだ。それで、本当の想いを伝えるのを躊躇させる」


「……うん」


「でも、一度奈桐が遠くに行ったことを経験したから。なりふり構ってられないんだなって気付けた。奈桐に必死になるべきなんだって、俺は理解できたんだ。だから、言える。高校一年生の時と違って」


 ――好きだ、って。


「……そっか。そう……なんだ」


「もっと言えば、ここにいるからってのもある」


「……」


「このイルカショーの観客席は、俺が初めてちゃんと奈桐に対する好意を自覚した場所だから」

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