第10話 凪の葛藤

「ほいよ、奈桐。小さくなって味覚変わってない? これで大丈夫?」


 頷き、差し出した小さめのサイダーを受け取ってくれる凪。


 俺たちは二人で館内にある自動販売機の前にいた。


 小休憩ってやつだ。


 母さんとよしきさんは、物販スペースで色々と買い物してる。


「どこか座らない? 立ったままだと疲れるし」


「ん。確かにな。了解」


当然のように俺は凪の手を取り、凪も俺に手を握られる。


 同じ高さで交わされていた手の絡みが、今は少し違った高さから成っている。


 凪はちょっとだけ手を挙げたような状態にしなきゃいけない。


 腕とか疲れないだろうか。それが心配だ。


「さっきはありがと。お父さんにああ言ってくれて」


 歩きながら、ぽつりと言う凪。


 俺は小さい彼女の方を見て、それから視線を前へ戻しつつ応えた。


「そんな感謝されるようなことでもないよ。紛れもなく本音だし」


「ほんと? 大学生くらいの男子って、いきなり家族が増えたりなんてしたら『めんどくせー』って思うもんなんじゃないの?」


「それはさすがに偏見。あと、奈桐さんあなた今四歳でしょ? 四歳の女の子が大学生男子の心理推測したりしないで」


「いえいえ。見た目は四歳でも、中身は十五年プラス四年生きた大学一年生みたいなものですから。成先輩のお心なんてだいたい予測できますとも」


「先輩って……。何ならそこはもう一年のブランクがあっても同級生ってことでいいんじゃないの?」


「そういうわけにはいきませんよ。生きた時間は正直ですもん。成先輩より、私の方が一歳若いんですからねー」


「体の年齢は一歳どころじゃないから、その言い方もどうかとは思うんだけどな……」


 冗談じみたやり取りを交わし、俺たちはそこにあったベンチへ並んで座る。


 こうしていると、たぶん周りからは親子みたいに思われてるはず。


 本当は同い年の恋人同士なんだけど。


「けどさ、奈桐?」


「どしたの成? ……って、固いなぁ、これ……」


 グググっと力を込めてサイダーの入ってるペットボトルを開けようとしてる凪。


 俺は何も言わずにペットボトルを横から取り、蓋を開けてあげる。


 凪はそれを見て、「おぉ」と感心するような声を上げてくれたけど、気にせずに続けた。


「奈桐はさ、芳樹さんのこと『お父さん』って呼んでるよな。普通の娘みたいに」


「うん、そうだね。……んくっ! か、辛ぁ!」


 舌や味覚まで子ども仕様に戻ってるみたいだった。


 推測は的中。炭酸飲料はきついらしい。代わりに俺の買ってたカルピスをあげる。


「それって、心理的にはどうなんだ? 奈桐のお父さんは、守さんっていう存在がもう一人いるんだけど」


「……答えづらい質問するね、成」


 カルピスをごくごく飲み、ペットボトルから口を離してジト目で見つめてくる凪。


 それは承知の上だ。


「わかってるよ、答えづらいっていうか、嫌な質問だってのは。でも、気になるし、俺も知っときたかったから」


「そこら辺の私の考え?」


「うん。奈桐の考え」


 俺が頷くと、凪は地面に付いていない足をプラプラさせ、遠い目で「そうだなぁ」と呟く。


「当然のことだけどね、成。私は……雛宮奈桐はもう死んじゃってるの。十五歳で」


「……頷きたくはないな。それ」


「でも、事実だもん。頷かなきゃ。私の名前は、藤堂凪。もう少しで橋木田凪になるけど」


「……うん」


 目の前で家族連れやカップルがどんどん通り過ぎて行く。


 騒がしくはあったが、お互いの声が聞き取れないというほどでもなかった。


「そういうことだから、奈桐のお父さんとお母さん、守と陽子の前にはなるべく姿を現さない方がいいと思ってるんだ。私さ」


「え……」


「だって、考えてみて? この見た目」


 俺の方へ体の正面を向け、こっちを見るようジェスチャーしてくる凪。


「名前は確かに藤堂凪だけど、見た目なんて雛宮奈桐の小さい時そのまんまじゃん? 成だって私のこと見た時泣いてたのに、お父さんやお母さんの前にこれで出て行ったらどうなると思う?」


「……大号泣……いや……気絶するかも」


「でしょ? 絶対に面倒なことになるよ。止めといた方がいいんだって」


「……そう……かな?」


「そうなの。それに……」


「……?」


 若干顔をうつむかせ、ゆっくりと奈桐はまたこちらを見てくる。


「妹。葉桐にも会わないといけなくなるから……」


「……!」


 その言葉を聞いて、俺は居ても立ってもいられなくなる。


「奈桐」


 思わず、改めてそう名前を呼んでしまった。


 わかってた、とでも言うかのように、凪も自虐的っぽい笑みを浮かべる。


「あの子、今元気にしてる? ちゃんと聞くの、これが初めてだけど」


「葉桐ちゃんは……その……」


「すごく私のこと慕ってくれて、『お姉ちゃん、お姉ちゃん』って、いつも後ろをついてきてくれてたから。ずっと不安だったの。私がいなくなってどうしてるかなって」


「……っ」


「……教えて? あの子が今、元気にやれてるのか」


「……うん。それは……もちろん教えるよ」


 一呼吸入れるように、俺は手に持っていたサイダーを思い出して飲む。


 いつも以上にそれは炭酸がきつく感じられた。


「葉桐ちゃん、今年で高校三年生になった。大学受験とか、就職を意識しててもおかしくない年齢だよ」


「うん。……だよね」


「でも、聞く限り、学校には行けてない。それは、中学の頃からずっと」


「…………そうなんだ」


「もちろん、奈桐のせいだとか、それは違う。違うんだけど……」


「私が死んじゃってから、葉桐は……ってことだよね?」


「………………うん」


 ノーとは言えなかった。


 嘘なんてつくべきじゃない。


 葉桐ちゃんは、奈桐が亡くなってきっと誰よりも深く傷付いている。


 俺もかなり傷付いてはいたけど、それと同等か、それ以上なくらいだ。未だに立ち直れていない。


「どうしようもないことではあるよ。俺だって大学には行けてたけど、心の奥底じゃ奈桐が亡くなったこと、ずっと引きずってた」


「……」


「それこそ、もうこの先、誰とも恋愛しないつもりだったから。奈桐しかいない、と思って」


「……」


「だから、葉桐ちゃんも、まだその暗闇の中にい続けてるんだと思う。奈桐のことが大好きで、ずっとお姉ちゃんとして傍にいてくれると信じて疑ってなかったんだよ」


「……」


「気軽なことは言えない。言えないからこそ、黙ってはいたんだ。でも、やっぱり葉桐ちゃんにだけは――」


「無理」


 俺の言葉を遮るみたいにして、奈桐がぴしゃりと言う。


「無理だよ……そんなの……。今、この姿で葉桐の前にだなんて……」


「奈桐……」


「もちろん、私だって会えるなら会いたい。すごく、すごく、すごく。でも、だからって、なんて言って会えばいいの?」


「っ……」


「私、奈桐だよって言うの? 成の時みたいに」


「そ、それは……」


「言ったでしょ? 葉桐に会えば、お父さんとお母さんにも絶対自分のこと言わなくちゃいけなくなる。そうしたら話がややこしくなって、今の芳樹お父さんにも私のこと説明しなくちゃいけなくなるの」


「……うん……」


「それで、説明したら芳樹お父さんはどんなこと考えると思う? 自分の娘の中身が血のつながっていない女の子の意識でできていて、まるで関係ない人だって知ったら……」


「……っ」


「きっと、表向きはいつもみたいに笑って『そうだったんだ』って言ってくれると思う。……だけど……」


「……複雑な思いには……なる……」


 俺が補足するようにぽつりと言う。


 凪は、自分のワンピースの裾をギュッと握り、頷いた。


「凪のお母さん……芳樹お父さん、自分の奥さんも亡くしたのに……そんな……そんな……」


「……奈桐……」


「言えるわけないよ……そんなの……」


 弱々しくも、曲げられないような強さが伺える、そんな声音。


 凪の瞳の端には涙が浮かんでいた。


 それを見ると、俺の胸もギュッと痛くなる。


 確かにその通りなのかもしれない……。


「……ごめん。なんか」


「……成が謝ることないよ。これは……私の問題だし……」


「いや、奈桐の問題は俺の問題だ。辛そうにしてるところ見たら、こっちまで辛くなってくる」


「……じゃあ、こっちもごめん。ここにいるのに暗くして」


「……ここ?」


 つい首を傾げてしまった。


 凪は、瞳の端の涙を拭って、俺の方を見ながら頷いた。


「ここ。昔、成と一緒にイルカショー見たところ。小学校の遠足で」


「……あ」


 そうか。


 そうだ。


 いや、忘れるはずがない。


 俺は、この場所で奈桐への恋心を自覚したのだから。




『お客様へお知らせです。まもなく、午後の部イルカショーが開催されます。とても可愛らしいイルカたちのショーをぜひご観覧ください』




 タイムリーに館内放送が流れる。


 俺たちは目を合わせ、ジッと互いを見つめる。


「久しぶりに、行ってみようか」


 俺が言うと、凪は表情に少しだけ笑みを取り戻し、小さく頷いてくれた。

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