第7話 ぶかぶかな結婚予約指輪

 その後、俺たちは何事も無かったかのように、母さんと芳樹さんのいるリビングまで戻った。


 当然だけど、二人にはどんな会話をしてたか、本当のことは言わない。


 母さんなんて奈桐のことを知ってるし、詳しく話せば泡を吹いて倒れそうだ。いや、そもそも信じないかもしれないか。


 芳樹さんにしても同じ。自分の娘の意識が、本当は雛宮奈桐という十五歳の女の子のものでできているなんて思わないだろう。言ったところで信じてもらえないだろうし、もしかしたら芳樹さんのことを傷付けてしまうかもしれない。自分の娘だと思っていた存在が、実はそうじゃなかった、みたいな感じで。


 だから、ここはどちらにせよ黙っておくのが最善なんだ。


 凪ちゃん……いや、奈桐にも言われたから。




『表面上でいいから、いいお義兄ちゃんでいて』




 と。


 俺は、奈桐のことを凪ちゃんで通す。


 歳の離れた義兄妹として、芳樹さん《とうさん》と母さんの前では初々しい関係でい続けなければならない。


 どんな運命のいたずらだよ、とはツッコみたくなるんだけどな……。






 それから、少し時間が経ち、夕方の四時頃。


「じゃあ、成。あんた、しっかり留守番頼むよ? 母さん、お父さんと一緒に夕飯の買い物行ってくるから」


 芳樹さんと母さんは、玄関の扉に手を掛けつつ、俺と凪に言う。


 今日は芳樹さんも凪も、二人して俺の家にお泊りすることになった。


 明日は日曜だし、仕事も幼稚園も無いからいいだろう、と。


「了解。楽しんできて。買い物デート」


 俺は外へ行こうとしてる二人へ、手を振って言葉を返す。


 もう片方の左手は、凪の右手と繋がってた。俺たちは手を繋いで並んで立ってる。


「あははっ。まあ、時間が時間なんだけどね。確かにデートだ。成君、申し訳ないけど、凪のことお願いするよ」


 いつも通り、朗らかに笑いながら言ってくれる芳樹さんにも同じだ。


 手を振りながら、


「それも了解です。安心してください。凪ちゃんとは仲良くして待ってるんで」


 とまあ、こんな感じで返した。


 心配はいらない。


出会って間もない四歳の女の子となら、どうやって距離を縮めようかと思案するところだけど、凪の中身は奈桐なんだ。むしろ、芳樹さんと母さんがいない方が好都合と言えば好都合(悪い言い方だけど)。これからのこととか、色々二人で話したいしな。


「一時間くらいで返って来ると思うから。ほんと、凪ちゃんのこと、頼むよ? 成?」


「はいはい。わかったから早く行ってきなって」


「凪ちゃんもね? このお兄ちゃんと遊ぶの、もしかしたらつまんないかもしれないけど、いい子で待ってて? 帰ったら、お母さんがとびっきりに美味しいハンバーグ作ってあげるから」


 言って、母さんは凪の目線になるようしゃがみ込んで、頭を撫でてあげていた。


 凪はそれを受けて、「うん」と笑顔で頷く。可愛い。


「それじゃあ、そろそろ行こうか母さん。あんまり遅くなるといけないから」


 芳樹さんの言葉を受け、母さんは腰を上げ、俺たち二人に手を振って玄関から出て行った。


 にしても、さりげなかったな。『母さん』って。


 さっき、母さんも芳樹さんのことを『お父さん』って呼んでたし、二人が結婚するのだといよいよ強く感じさせられる。


 俺に父親か。


 昔からお父さんなんていなくて当然みたいな感じだったから、変な感覚だ。


 それは、決して不快とか、そういう意味じゃなく。


 むず痒い感じがする……みたいな。


「……ん」


 なんてことを一人で考えてると、左手がクイクイ動く。


 奈桐が俺のことを見上げて、引っ張ってきていた。


「奈桐、どうかした?」


「色々話したいことがある……んだけど、その呼び方はあんまりしちゃダメ。普段から呼んでると、お父さんとお母さんの前でも出ちゃうし」


「使い分けはするつもりだよ? それでもダメ?」


「できるならいいけど……。んんん~……」


 芳樹さんと母さんがいなくなったところで、さっそく腕を組んで奈桐になる凪。


 やってたやってた。


 悩ましいことがあると、こうして腕を組んで腰を捻る仕草。


 思わず笑みをこぼしてしまった。変わってないな、と。


「大丈夫。俺だって伊達に二十年生きてるわけじゃないんだから。そういう大人な言葉の使い分けはできて当然なのだ。奈桐、安心するがいい」


 胸を張って言う俺に対し、奈桐はジト目で見上げてくる。


「成は昔からそう言って大事なところでミスしちゃうんだよ。私、知ってるんだから」


「だからこその五年間だよ。俺はこの五年で圧倒的に成長したの。人間的にも、それから男としても!」


「何それ。男としてって」


 呆れ笑う奈桐。


 小さい彼女は続ける。


「それを言ったら、私だって何だかんだ十九年生きてるよ。十五歳で亡くなって、一年間を空けてから、また赤ちゃんとして生まれ変わったし」


「……ん。なんか張り合ってます、奈桐さん?」


「別に? 十九年生きてても、私はあんまりすごい成長を四、五年のうちでできなかったから、成がそこまで立派になれるのかなって疑問に思ってるだけ」


「結構辛辣……。感じない? 俺の五年間の成長」


「今のところ、あんまり?」


「がーん……。ショック……」


 色々、考え方とか大人になった自信あったのに……。


「でもだよ、成?」


「……?」


 ちょい、ちょい、としゃがみ込んでくるよう要求してくる奈桐さん。


 俺は要求通りしゃがみ込み、さっきの母さんみたく目線を奈桐に合わせた。


 彼女は、口元に手をかざして、そっと囁くように言う。


「成が変わらないでいてくれて、私は嬉しい」


「……え……」


「ずっと、私が大好きなままの成でいてくれてたってことだから」


 なんとなく照れくさくなって、俺は視線を若干下の方へやった。


 奈桐の小さい体を包んでる白基調のワンピース。そこに目が行く。


「けど、それって俺的には喜んでいいのか怪しいよ、やっぱり……」


 奈桐はクスッと笑い、


「喜んでもいいことだと思うよ? 一途な証拠。私の彼氏は一途」


「一途なのは当然だよ。それは当然として、どうせなら立派な姿を彼女に見せたかったし……」


「……えへへっ」


「……うぅ……」


 にこっと幸せそうに笑む彼女。


 それはすごくズルかった。


 それを見るだけで、自分が変わり切れてないこととか、色んなことがどうでもよくなる。


 また、抱き締めたくなる。


 いや、もう抱き締めていた。


 そう思った直後に、俺は行動に移していたんだ。


「……なんか、奈桐にそう言われると、俺も段々得したような気分になれてきた」


「……? どういうこと?」


「人生で二回、四歳の小さい奈桐に全身で触れられるから」


「えぇぇ……? 成、なんかそれは変態っぽいよぉ……」


「変態でもいいし。好きだ、奈桐。大好き」


「もぉ……」


 大切な彼女は、毒づきながらも、仕方ないとばかりに抱き着いてる俺の髪の毛を撫でてくれた。


 その手つきがまた優しい。


「あ、そうだ、成?」


「……?」


「お父さんとお母さんもいないし、成にもらったプラチナの指輪、今ここで付けてみてもいい?」


 問われ、俺は閉じていた目を開けた。


 そうだ。せっかくなんだから、今ここで付けて欲しい。


 密着させていた体を奈桐から少しだけ離し、頷いた。


 彼女はそれを確認し、ワンピースのポケットから指輪入りの箱を取り出す。


 そして、それを開けた。


「……どうしても、今の私には大きいかもね。小っちゃくなったし」


「うん。それでもいいと思う」


「いくよ。付けるね」


 奈桐は、リングを指に通すのだが、


「あははっ! 見て、ほらやっぱり! ぶかぶか~(笑) えへへっ!」


 あまりにもそれは大きすぎて、自分で笑っていた。


 楽しそうに、けれども幸せそうな感じで。


「ありがとう、成」


「……え?」


「こんなプレゼント考えてもなかった。嬉しい」


 それは俺もだ。


「サプライズなんて、成すっごく苦手だったのにね。色々考えてくれてたんだなって思うと……私……」


「……奈桐……」


「えへへ……ダメだね。なんか、また泣けてきちゃう。こういうの、しばらくは続きそう。せっかく一緒にいられるようになったのに」


「……いや」


 たぶん、それは――


「奈桐、大丈夫」


「……へ?」


「それは、俺もだから」


 しばらくは、色んな感情のせいで泣いてしまいそう。


 でも、それでいいんだ。


 離れ離れになってた五年間。


 それは、俺たちからすればあまりにも大きすぎたことで。


「――また、一緒にいられるのが普通なように戻ろう?」


 君のことは、絶対にこれから先、二度と離さないから。


 頷いてくれる奈桐の瞳にも、そんな俺の思いと同じ言葉が浮かんでいたのだった。






●〇●〇●〇●






「――それで、とりあえずは凪ちゃんってことで通すんだよな、奈桐?」


「でないと、皆が混乱しちゃうから。迷惑もかけるだろうし」


「母さんと、芳樹さんには絶対言わない、と。じゃあ、守さんとか、陽子さんは? 会いにも行かないのか?」


「それはそうだよ。こんな姿で『私、奈桐』なんて言ったらどうなるか。皆大パニック」


「葉桐ちゃんにも?」


「当然。……会えるなら、もちろん会いたいんだけど」


「……なら、いつか会いに行こう」


「へ……!?」


「あ、もちろんすぐにじゃない。いつか、だ。俺が、いつか会いに行けるよう手配してあげる」


「どういうこと、手配って!? そんなこと、時間が解決するものでもないと思うけど!?」


「大丈夫。安心してくれ。二十歳の俺を舐めるな」


「だ、だから成のそれは昔から不安なんだってば!」


 母さんと芳樹さんが帰って来るまで、俺は奈桐の髪の毛を指でクルクルさせたり、手櫛で解いたり、結んでみたりしながら、こんな会話をしていた。


 奈桐の方も、髪の毛を触られまくってるけど、それに関しては何も言わない。されるがままで、会話に集中してる感じ。


 こういうのが、昔から俺たちのスタイルだった。


 俺は奈桐の髪の毛が好きで、奈桐は俺に髪の毛を触られるのが別に嫌じゃなくて。


 やり取りをしながら、片隅で考えていたんだ。


 何度も何度も。


 君のことが好きだ、と。

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