自分たちらしく。二人で。

 自宅へ帰り着くと、聞こえてきたのは隣の食堂からする母さんの声だった。


 相変わらず我が橋木田食堂は繁盛してるようで、フライパンを振るう母さんが作る料理をアルバイトの人たちがテキパキ運び、また新たに注文されるメニューを続けざまに作っていってる。


 一応、帰ったことを厨房に繋がってる出入り口から伝え、俺は奈桐と一緒に自室へ向かうため、階段を上る。


 空腹ではあるものの、夕飯はもう少し先でいい。母さんも今はそれどころじゃないだろう。自分で作る気も起きないし、今はそんなことしてる場合じゃない。


「……じゃあ、どうぞ。お先に」


「う、うん。お邪魔……します」


 自室の扉を開け、ぎこちなく奈桐を入室させてあげる。


 で、俺も続くように部屋へ入り――


 鍵を閉めた。ガチャリ、と。


「へ……!?」


 すぐさま奈桐が俺の方へ振り返ってくる。


 赤くなってる顔に驚きの色も灯らせ、こっちを見つめてきた。


「え……? お、俺、なんか変なことしたか……?」


「し、した……。ど、どうして部屋の鍵……閉めたの?」


「そ、そりゃ、会話の最中に誰かが入って来たりしたらマズいかと思って……」


「……でも……いつもは閉めないじゃん?」


「うっ……」


「……っ」


 別のこと、考えてるんじゃないの?


 赤面した状態で上目遣いをし、目でそう訴えかけてくる奈桐。


 けど、本当にそうじゃない。


『そういうこと』をしようとしてるわけじゃないし、突然抱き着いたり、襲ったりしようとしてたわけじゃないんだ。


 ただ、俺は真実を話そうと思ったから、部屋の鍵を閉めた。


 真実を話して、二人で真面目に考え合おうと思っていた。


 お互いに、どうしたら目を見て『好き』と言えるか。


 そして、『好き』と言われる耐性を付けられるか。


 そんな中で、誰にも邪魔をされたくなかった。


 大切なことだから。


 俺と奈桐の、大切なこと。


「か、鍵を閉めたのは、本当に会話を誰にも邪魔されたくないからだ。べ、別にやましいことなんて何も考えてない」


「…………あやしい」


「ほ、ほんとだって! そんな疑うような目で見ないで! お願いだから!」


 赤面しつつ、ジト目で俺を見つめてくる奈桐。


 そんな彼女に対し、俺は手を擦り合わせながら懇願。


 あくまでも真面目な理由で部屋の鍵を閉めたことを信じて欲しかった。


「……なーんてね。知ってるよ。成が真面目な理由で鍵を閉めたことくらい」


「へ……?」


 案外あっさり信じてくれた。びっくり。


 奈桐は視線を床の方へやりながら続ける。


「むしろ……やましいこと考えてたのは私の方。昨日あんなことがあったんだもん。成が何か決心して、行動に大胆なことしてくるのかなって……変なこと……考えてた」


「っ……!」


 へ、変なこと……。


「バカだなぁって思う。ほんとは私も成の目を見て『好き』って言えないし、言われる耐性だって全然無いのにね。よわよわなことバレちゃってるのに」


 あはは、と誤魔化すように力なく笑う奈桐。


 俺は……それを見て、たまらず衝動的に体を動かしていた。


「へ……!?」


 奈桐の戸惑い声が部屋に小さく響き、やがて無音になる。


 感じられるのは、胸と胸が寄せられ、わかるようになった心音だけ。


 時計の音も、一階から微かに聞こえてくる食堂の音も、すべては意識の外。


 俺は、彼女の体を前から抱き締めた。


 一人で自虐的なことを言わなくてもいい。


 そんなことを伝えるようにして。


「な……成……?」


 弱々しい奈桐の声が俺の耳に届く。


 俺は、少しばかり抱き締める力を強める。


「っ~……! な、成……私……そのっ……!」


「奈桐」


「ひゃぅっ……!」


 吐息交じりに彼女の耳元で囁くと、甘い悲鳴を漏らす。


 一つ一つが愛おしくてたまらない。


 大切な奈桐の温もり、息遣いを、これでもかというほどに感じていた。


「奈桐は……バカじゃない。バカなんかじゃないよ」


「や……やめっ……。耳元で……囁くの……」


「むしろ……嬉しかったんだ。奈桐も『好き』って言えないくらい……俺のことを好いてくれてるんだってわかって」


 びく、びく、と奈桐が体を震わせる。


 抱擁をゆっくり解くと、彼女はとろけたような表情で見つめてきた。


 瞳は潤み、虚ろになっていて、まだ離れたくないとばかりに手だけは俺の腰に絡ませたまま。


 俺も奈桐の腰に改めて手を回し、顔だけは少し離れている距離感で続ける。


「お父さんにさ、俺、ちょっと相談してたんだ。奈桐の目をちゃんと見て『好き』って言えないって」


「お……お父さん……に?」


「うん。どうしたらいいか。それでちょっと一時間ほど話してた」


「……そう……だったんだ……」


 奈桐が一つ息を吐く。


 自分を落ち着かせるためかもしれない。


「でも、結局ちゃんとした答えは見つけられなかったし、教えてもらえなかった。わかったのは抽象的なことで、ふんわりしたようなことだけ」


「……それは……何だったの? 抽象的なことって……?」


 問われ、俺は頷きながら答える。


「焦らず、ゆっくりと、段階を踏んでいつか言えるようになればいい、だってさ」


 奈桐は一瞬ポカンとし、やがて小さく笑った。「何それ」と。


「生まれてからずっと一緒だった。それが恋人になってまだ間もない。色々と戸惑いもある。今さら言葉にしなくても互いに大切なのは理解し合ってるし、時間が経てば言えるようになる、みたいなことも言われたな」


「ふふっ。それって要するに、恋人として一緒にいる時間が長かったら、いつかは慣れて言えるようになるよってことだよね?」


「んー……ま、まあ、そうでもある?」


「そんなの全然ロマンチックじゃないよ、お父さん。もう……」


 ぷくっと頬を膨らませる奈桐さん。


 確かに、ロマンチックじゃないと言われればその通りかもしれない。


 けど、だ。


「けどな、奈桐。俺、奈桐のお父さんから教えてもらったこと、それだけじゃないんだよ」


「え? 他に何かあるの?」


 頷く。


「実は、もう一つとっておきなことを教えてもらって」


「とっておき……。それは、『好き』って言えるようになるためのもの?」


 今度は首を横に振った。違う、と。


「それとは別。一転して、ロマンチックなことなんだ。きっと奈桐も喜んでくれる……はず」


「え。気になる。何? どんなこと?」


 至近距離から俺を見つめ、首を傾げる奈桐。


 俺はそれを見てクスッと笑い、


「秘密。今はまだ」


「えぇ? 何で? そこまで興味惹くような言い方したのに?」


「これはその時まで取っておいてこそのものなんだ。だから、『とっておき』と言う」


「むぅ……何それぇ」


 ごめん、と彼女の頭に触れる。


 奈桐はそれを受け入れてくれ、すぐに顔をほころばせた。


「でも、成が秘密にするなら、私も秘密持ってるってことだけ明かしとく」


「え……?」


「ある時が来るまで、私もこの秘密、成には教えないもん。気になるかもだけどね」


 いたずらに笑みながら奈桐は言う。


 その通りだった。めちゃくちゃ気になる。俺が言える立場じゃないけど、秘密ってなんだろうか。


「ある時が来るまでってのはどういうこと? それって近い未来? それとも、遠い未来?」


「んー、近い未来かな。今月の末にある花火大会の日」


「すぐじゃん!」


 俺が言うと、奈桐は笑顔で頷いた。


「うんっ。すぐだよ。すぐにこの秘密は明かします」


「うわ。めちゃくちゃ楽しみ。何だ、奈桐の秘密って」


「私が秘密にすることだからね~? 昔から……」


「どでかいことだよな。良いことにしても、悪いことにしても」


 その通り、と奈桐は俺のお腹をツンツンしてくる。くすぐったい。


「でも、花火大会の日か。予想するなら……んん~?」


「えへへっ。何でしょ~? ふふふっ」


 楽しそうにする奈桐。


 そんな彼女を見て、俺は癒されつつも、とあることに気付いていた。


 今年の花火大会は、奈桐の誕生日とまったくの同日で行われるのだ。


 運命としか思えない。


 奈桐パパから教えてもらったこのとっておきのサプライズは、奈桐の誕生日にしてあげるものだと教わった。


 それが、より舞台をロマンチックにしてくれる花火大会と一緒だなんて。


 仕組まれている感が凄い。神様か何かに。


「とにかくね、たぶん私たちの悩みも、全部花火大会の日に解消されるはずなの」


「悩みが解消……」


 するのかな? いや、俺のとっておきではさせるつもりだけど。奈桐のとっておきだと解消されるのか? 顔を見て『好き』だといい合えるのだろうか。


「だから、気にせず前向きになる。今、成も焦らないでってうちのお父さんから言われたみたいだし」


「うん。そうだな。今まで通り、俺たちらしくいればいいか」


「そ! 暗くて顔の見えないところだったら言えるしね」


 こそっと小さい声で奈桐が言い、俺は少しだけ恥ずかしくなって、目を逸らしながら頷いた。


 ――わかった、と。

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