【KAC20245】花の海

雪月

花の海

「だからぁ、こん灰は売らんっていってるじゃろ!」

「そこをなんとか!」

「売らんったら売らん!もう帰っとくれ!」


 枯れ木にすら見事な桜を咲かせる不思議な灰がある。

 娯楽の少ない時代である。

 そんな面白い話が広まらないはずがなかった。

 噂は人の口から口へ方々に伝わり、多くの人がその奇跡を一目見ようと老夫婦の元を訪ねてきた。


 はじめはまだよかった。

「よっ!花咲翁!」などと囃されれば、えいやと灰を撒きその見事な花ぶりを野次馬と一緒になって楽しんだものであった。


 けれども、人の欲とは底知れぬもの。

 訪れる者から花を求める者はやがていなくなり、灰を求める者が大半になった。


 いくらでも出すという商人あきんど達に対して、我が子のように大切にしていた愛犬ポチの形見のようなその灰を売るというのはどうしても老夫婦にはできなかった。


「ねぇ、おじいさんや。この灰も、お殿様から頂戴したお宝も私達には過ぎたものだったのかもしれねぇなぁ」

「ん……そうだなぁ……もう老い先長くもないのに……静かに過ごしてぇもんだ」


 老夫婦達がそんな風に思い悩んでいると、びょうっと一陣の風が吹き込んだ。

 春一番の大風だ。


「ありゃ!」

「んなぁ!」


 風は家の中を渦を巻きながら吹き上げ、灰を巻き込むとどこかへ吹き去ってしまった。


 慌てて老夫婦達が後を追いかけると灰を連れた風は、まるで手招くように家の外に留まって渦を巻いていた。

 しかし、老夫婦達が近づくと風はまたびょうっと吹いて少し先に留まるということを繰り返した。


 風はどんどんと麓を離れ、山の中へと入っていった。

 老体に鞭うち二人は風を追い山を登っていった。


 一体どれほどの高い山であっただろうか。

 ぜぇぜぇと息を切らしてやっとの思いで山頂にたどり着いた老夫婦の前で風はしばし、くるりくるりと楽しげに舞ったかと思うと山頂から一気に吹き下ろしていってしまった。


 灰を浴びた山の木々が次々に色づいてゆく。

 山頂から麓めがけて艶やかな桜色が波のように広がっていった。


 そうして老夫婦の眼下には桜の花が海の如く広がっていた


「嗚呼、おじいさんや……なんて、なんて綺麗なんじゃろう」

「ん……花さ凪いでおるわい」


 あれほど吹いていた風はすっかり止んでいた。

 老夫婦はいつまでもいつまでも花の海を眺めて過ごした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【KAC20245】花の海 雪月 @Yutuki4324

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説