はなさないで

 飼っている中で一番のお気に入りはアメリカザリガニだった。最初はカブトムシだったけど、アメリカザリガニにはあの黒光りする角のかっこよさを上回る魅力があった。カブトムシより動きがよく見えるのも理由の一つだ。

 僕は何枚も絵を描いて、観察日記をつけた。

 お盆にやってきたお父さんは、「なつかしいなぁ」と僕の飼っている虫たちを眺めていた。


 問題が起こったのは、夏休みが終わる前にお父さんがお迎えに来た時のこと。帰る前の日に荷物を全部準備した。

 

「虫たち、逃がしてくる」


 一度に持てないから、順番に庭に持っていく。カブトムシ、クワガタを裏の林に放して、土もそこにひっくり返す。バッタは空き地に放す。それから入れ物をきれいに洗って、納戸に片づけると最後にアメリカザリガニ。

 捕まえてからそれぞれ二回脱皮をして、ぐんっと大きくなっている。僕は二匹をじーっと眺めた。


「放したくないなぁ」


 呟いてみるけど、お母さんがいいなんて言うはずがない。あの時、隼太がお母さんに話さないでいいのか聞いていたのは、僕がこんな気持ちになるのがわかってたからなのかな。

 僕がいつまでもぐずぐずしていると、お父さんが様子を見にきた。


「やっぱり、持って帰ったらダメかな?」


 ダメ元で聞いてみる。


「う~ん。お父さんはいいけど、お母さんが嫌いだろう? それに、今は赤ん坊がいるから、「ばい菌が!」って別の意味でも許してくれないと思うなあ」


 やっぱりダメか。しかたなくあきらめて、アメリカザリガニをバケツに移す。この一か月で上手につかめるようになったのにな。


 バケツをかかえて二匹との別れを惜しみながら玄関へ向かうと、ちょうど隼太と隼太の両親がやってきた。最後の晩だから一緒に食事をすることになっていたのだ。


「聡くん、今からまた何か捕まえに行くの? ほんと好きねえ」


 笑って言ったおばさんが、バケツの中にいるアメリカザリガニを見て、首を傾げた。


「その子たち、どうするの?」

「もとの水路に放してきます」

「え? ダメよ。放さないでよ」

「飼うんじゃーなかったのー?」


 慌てて言うおばさんと、不思議そうに言う隼太。

 

「ちょっと、兄ちゃん。聡くん、ザリガニを放そうとしとるよ」


 おばさんが家の中に向かって大声を出す。


「いいよ大丈夫ーってー、この前言ってたよねー?」


 隼太がぼそりと小声で言う。

 中からお父さんが出てきた。


「何大声出してるんだ」

「ザリガニ、飼うんじゃなかったの?」

「飼ってたんだろう?」


 お父さんが首を捻る。僕にもちんぷんかんぷんだ。


「家まで持って帰って飼うつもりじゃなかったの? って言ってるの!」

「まさかそんなはずないだろう? 赤ん坊も生まれたし、あいつがそういうの嫌いってお前も知ってるだろ?」

「じゃあなんで持って帰って来たのよ」

「何を言ってるんだ?」

「もしかして、知らないの?」

「何を?」


 僕はおばさんと父さんの会話を二人の顔を見比べながら聞いていた。

 おばさんが、額に手を当ててため息をついた。


「去年の六月に、アメリカザリガニとアカミミガメが条件付特定外来生物に指定されたの。知らなかった?」

「あ〜、なんかニュースでやってたな。あれってどういう意味があるんだ?」

「捕まえるのはいいけど、放したらダメってことよ」

「もし放したら?」

「罰則があるのよ」

「うわぁ。今の子は可哀想だなぁ。ザリガニ釣りも出来ないのか」

「キャッチアンドリリースはオッケーなのよ。隼太も一緒に行ってたでしょ」


 お母さんに話さないでいいか聞いていたのは、そういうことだったのか!


「お母さんに、お願いしてみてもいい?」


 上目遣いで父さんを見る。


「いいけど、ダメって言うだろうなぁ」


 電話で頼んでみたけど案の定、お母さんは「絶対ダメ!」を貫いた。


「だけど、放したら罰則があるんだって」

「どんな罰則よ」

「罰則はええっと」


 僕が口ごもっていると、おばさんが横から口をはさんだ。


「三年以下の懲役、または三百万の罰金」

「はい!? 何それ。なんでそんなの捕まえてきてるのよ! もうどこかに埋めちゃったら? そんな罰金払えないわよ」

「生きてるのにそんなことできないよ!」

「そんなこと言っても飼えないんだから仕方ないでしょ。犬や猫だって保健所で処分されてるのよ」

「お母さんがそんな人だなんて思わなかった!」


 あんなにかっこよくて強そうでなのに、僕が持って帰ってしまったからって殺されちゃうなんて。

 電話を切った僕は、半泣きになった。

 お父さんは、ただ、黙っていた。



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